コロナ馬鹿騒動はまだまだ続いておって、これから次の本当の本番に向かって、大変な事態が起きようかという状況なのに、自粛から経済再開へ! と、勘違いした阿呆どもが喜々として、その狂い果てた顔で騒々しい。
こうやって、社会では人間の足元が見えてくる。
あんまり利口な大人はおらんかった、それが結論だろう。
これじゃ~、遊び惚けてる俺でも儲かるわいな。
それでも油断せず、コツコツと、なにも変えずに生きて居る。
葬式や結婚式で、涙を見せて心を揺らしている人たちが、相変わらずに多いが、幼児性が抜けないのと、肝心なところが曖昧に生きてる証拠だ。
自分と愛する伴侶、自分と親、自分と兄弟、自分と爺婆、自分と子供、自分と孫・・・色んな近親者がいるが、自分と自分以外の近親者との距離感が、まるで理解と確定がされてないまんま、ズルズル惰性で暮らしていたという証だ。
日常からはっきりと線引きをしておれば、仕方のないことだと、別に感情も動かない。
そういう価値観が日常に沁みついている者でなければ、自営の商売は長くは続かない。
まず自分が生きるために商売をする。
それが近親者を養い喰わすことに繋がり、拡がってゆくだけのことで、見返りも勲章もそこにはない。
人間は両手を目いっぱい広げた距離のことしか出来ない、これは本当のことだ。
いま、傍にいる者を気にかけてやる、それしかない。
これからは誰かに喰わしてもらうとか、群れや組織の一員として管理・統率の見本となるとか、他人や社会を頼る生き方・価値観でいると、散々な目に遭うことだろう。
倍返しなんてのは組織人の感覚であって、自営は・・・さ、やるべきことはやった、次へ行こう!・・・で終わる。
自分以外の人間のせいにしたり、恨んだり妬んだりもせず、すべて必然と捉えて、気持ちよく次に行く。
男女や親子の関係でも、これは通じるものだ。
どんだけ偉そうなことを抜かしておっても、人間の足元はそこだけで見抜ける。
人類という大きな集団社会で生きて居る以上は、形式的、法律的には責任は負うが、心根の部分では醒めた目で見ていることが普通になる。
いつも後悔とは無縁の、自分に正直に生きる。
それで合わない相手とは、無理して関わり合うこともしない。
ただ歳をとり、経験を積んでくると、自分と言うものが拡がり強くなって来て、合わない相手も減ってくる。
それは別に愛とか優しさとかではなくって、余暇、そう言っても良いものだ。
勘違いされてることが解っていても、別に笑って過ごしてる。
いちいち言われなければ解らない大人に、いちいち言うことも、ナニも無い。
オストメイトの装具、これは国産品がほとんどない。
すべてが輸入品、外国製品で、その生産拠点は後進国。
これもコロナの影響というよりも、生産中止になったりするものも出て来てる。
オストメイトのトイレを普及する前に、日々の生活に直接に関わる装具、これを国内企業が創るべきだが、オストメイトの人口よりも、ジャ~ニ~ズのファンの数の方が多いから、みな群れてそっちに行っている。
キレイごととは、そんなことを言う。
俺は海で遠泳したり、山に登ったりしてるが、装具類については、自作したり、他のモノを工夫して流用したり、色んなことを最初から続けている。
モノは溢れている。
あとは自分がそれらをどう工夫するか?
日々、これも進化していってる。
英文で不動産の書類を作る。
法律用語や専門用語を英訳して、実務にあったケース・バイ・ケース、英文で外人に説明をする。
そういうことが必要な時代になってる。
俺はまだまだボケてはおれんのだよ。
それが時代というもので、自分から合わせていかなければ、商売は出来ない。
今日も、コロナなど関係なしに、忙しいわい。