オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

段ボールいっぱいの、サツマイモ

2019-11-09 10:32:20 | 銀座の周旋屋

 

 美味しいサツマイモを段ボールいっぱいに頂いたから、すぐにまわりに分けてあげといた。

 群馬の豪農と言っても、いまや異常気象のおかげで、多くを持つ者の宿命でもある持つことによる負債に疲れ切っておられるようだったが、この国のお百姓さんはね、足腰の強さと自然との許し合いに慣れておって、荒らされても荒らされても、また耕して種を植えて行く。

 ある意味で、地球や宇宙とおなじ、そこに損得・利害など無いがごとし。

 ただただ淡々と毎日まいにち畑や田に出ている。

 なにがあっても陽は登り、陽は沈む。

 そんな行動に勝手に感情移入して、綺麗ごとを並べ立てて消費生活にうつつを抜かしてる都会の人間には、決して真似などできないだろうね。

 手をかけた農作物をいつも軽トラックで関越飛ばして届けて下さってる80歳になるお爺さん、ただ感謝です。

 だいたいが俺が群馬よりも北の山にいる時に、いつもやってこられて店先に置いていかれる。

 ・・・どうせまた遠くの高い山の上にいるんだろう??

 銀座でもやってる、無農薬がどうたらこうたらのお遊戯会も、そろそろ止めとけや。

 流行は予防接種とおなじで、人間のやることにはロクなことはない。

 その環境で抵抗力をつけ、鍛えて適応する、これの繰り返しだ。

 猛毒となるものは別にして、たいした意味もない予防なんて、逆に免疫や抵抗力を失う阿呆みたいな話よ。

 

 新聞・テレビの旧型報道媒体は、近いうちに解体・破壊される枠組みに入りつつあるようだ。

 5Gの時代に、自作自演・誇大妄想・自画自賛、そこでコマーシャルを貼るスポンサー、みなイカサマ常習者、犯罪者だろう。

 銀行もまた、旧型金融会社として、衰退の一途をトボトボと歩いているが、クレジット会社もまた同じ様だ。

 情報管理されたボケ老人・高齢者たちが死んで行けば、二人三脚も終わりを迎える。

 大企業社員も公務員も、みな大ボケをかましてノホホンと暮らしてるが、人間の生活様式も5Gのスピードで一気に変わってくるだろう。

 ついて行けるかな?

 

 銀座だの日本橋だの神田・深川だのから青山だのの老舗や有名店の頂き物は年中だけんども、ほぼ右から左へと、手から手へと渡ってゆくだけで、俺の舌を満足させて喉が喜び腹が震えるようなものは、ナニも無い。

 30数年前の不動産バブル時にもいろんな豪勢な店で飲み喰いしておったが、それがたとえ魯山人を歓喜させた店であっても、俺にはなんか違う、そんなことだった。

 関西から西で生まれ育ったから、マグロはゲテモノ、大トロと言われても箸は向かず、いまでもそんな感じだ。

 鯛や河豚やヒラメやエビに蝦蛄、魚は白身が好物のまんまだ。

 採れたてのシイタケを山の帰りにもらって軽く火を通していただく、山菜も採れたてが美味い。

 地産地消の食いものだけが、島国日本人の胃袋を満足させてくれる、そう想っている。

 そもそも都会の高級料理店までガタゴト運んでくること自体が、ナンセンスだ。

 美味いものを喰いたければ、その産地で喰う、これが一番の贅沢だろう。

 自分の足で現地に向かう。

 銀座で本当のことを言って暮らして居ると、総スカンを喰らうのがオチだろうが、俺はいつも本音でペラペラやって30年だが・・・。

 美味くない、価値のない、不味いものは不味いんだ。

 経営者や料理人の日常の生き方を見ておるから、ダメなものは逆立ちしても、駄目。

 

 さ~、この週末はどこの素敵な山に向かおうか・・・。


魚止めの滝が、人も止めてやがる

2019-11-08 11:50:45 | 銀座の周旋屋

 

 山に登らないときでも、毎日、少なくとも1万歩は歩いてる。

 人間の内臓はさ、動かず楽してるとすぐにおかしな癒着を始める。

 

 ところで、魚止めの滝というのがあって、さして有名でもないし、どこにでもあるようなもんで、紅葉は綺麗な場所だったが・・・このところの台風と大雨で魚どころか人間まで止めてしまってた。

 

 ・・・死んだら葬式もせず、骨は海や川に撒いてくれ、墓標もいらないし、法律にひっかからないようにうまい事、適当に処分してくれりゃ~それで良い、墓のように一か所に閉じ込めることだけはしないで欲しい・・・

 80歳になる顧客との会話のなかでそんな愉しい話をしておったら、

 ・・・おれも息子たちには同じことを言ってるよ・・・

 ・・・そうそう、どのみちただのモノになってまで、名前つけて都合よく遺されちゃ~、たまらんわな

 ・・・何事もなかったように消してくれれば良いんだよ

 大笑いだった。

 

 小さな子供を二人抱えて離婚して、膠原病の母親も引き取って、開業医として働き始めてる女医と関り合いを持つようになってるが、自分で仕掛けて生きてゆく以上は、そこに甘えは許されない。

 他人よりも多くの荷物を背負って生きてゆくには、それを楽々担いで山を登って行く体力や精力も必要だし、まわりに振り回されない強靭な脳みそも必要になってくる。

 俺はそうやって生きてるうちにどんどん身体は強くなり、独りで悠々と生きておれるし、まだまだ背負っても良いような、そんな余裕すら手に入れている。

 なんでもさ、心持ちひとつ、さ。

 

 引退して、それまでの職場に残る、これが現代社会の癌となり、甘ったれた世界をどんどん狭くしてる。

 いかにも優しい先輩、いかにも物わかりの良い先人、いかにも大きな人間性・・・そうやって安穏と組織の側に組み込まれて、後輩を扱いやすい演芸猿に染めて行く役を演じる。

 そのうち大メディアに踊らされて、自民党からでも立候補するのか? そんな腐りきったスターや英雄ばかりが大衆に歓迎され? 本当に? 狭小な世界で、もっと歪な昭和の腐臭を振りまいている。

 

 現代の健康と医学、これは国家にとって扱いやすい豚や牛を育てるための指針であって、それがすなわち人間にとって良いことだと考えるのは、どうかしてるぜよ、おっかさん、だろう。

 生死を彷徨う大病をすると、そんなことが解ってくる。

 治療や快癒というものは、結局は本人の意思と体力・精力、自己治癒能力しだいで変わってくるのが本当だ。

 小児科や内科医は単なるカウンセリングの専門家で宗教家に近く、外科医はメカニック、そんなようなもんだ。

 病院や医者にかかれば健康は維持できて、病は治る、これは大きな勘違いで、手助けはしてくれるが、最後は自分の力で生きて行くことしかない。

 しかも、そこに政治的な国家というものが絡んできて、金儲けの医者や病院とつるんで国民を麻薬中毒のような状態に持って行こうとする、これが現代予防医学の本音だろう。

 高齢化し、長生きすればあちこちがガタガタになる、これは自然なことだ。

 生まれたら死ぬ、別に驚くことでもない。

 例えば遺言や遺書を遺す、これは単なる他人や社会に認めて欲しいという自意識過剰の類で、満たされなかった後悔ばかりの自分に宛てた捨て台詞、そんなようなもんだ。

 綺麗サッパリ無になるには、墓も名前も遺す必要などナニも無い。

 在ったモノが、跡形も無くなる、これを生死、と言う。

 小難しい理屈や説明など要らないし、大事なことはどれほど後悔なく、目いっぱい生きたか、それだけだ。

 自己満足とは、それだけで良いし、それ以外には無いだろう。

 

 ボクシングジムの会長の紹介の貸主のマンションに、元プロボクサーで今はウエートリフティングの選手になってる40のお兄ちゃんが入居することになった。

 なんの関わり合いもないのに、たまたま、だ。

 不動産は縁モノだとは言うが、俺の管理してる不動産では、そういうことも多い。

 そこからまた関わり合いが増えて行って、この頃では、それぞれの名前すら浮かんでこない俺には・・・面白い人間と面白い人間がいてさ・・・俺がいなくなっても、ま~ま~仲良くやってきなよ、となる。

 人と人をくっ付ける、これも周旋屋の大事な仕事でもある。


 気象庁の勉強不足の天気図と違って、俺の描いてる高所天気図は、この週末も良い塩梅だ・・・。

日光東照宮、鳴き龍セールス坊主

2019-11-07 08:14:26 | 銀座の周旋屋

 

 日本人にとって、昔は山そのものが神であり、その麓には誰でも気軽に参拝できる本社が建ち、その山の頂上には奥社がごくごく小さく置かれていた。

 その名残りが日本中の古い信仰の山々にはそのまんま、朽ちてもなお残っている。

 俺のような毎週のように山に登る人間は、麓の賑やかな本社には参拝しない。

 頂上の奥社で、神々と同等の会話と挨拶を交わすだけだ。

 ・・・おう、登って来たで!! 

 神々の会話だと想ってるから、決して恭しく頭を垂れるということはしない。

 降りるときに安全の神頼みなど、絶対にしない。

 自業自得だから・・・じゃ~また来るわい!・・・で、ここの神は去って行く。

 この頃の大人たちは、お行儀が良くって、阿呆みたいにお化けを信じて生きてるのがまた増えてる。

 呆けて死んでまうで、そんな有りもしないモノを怖れて、有りもしないモノに頭を垂れている。

 新興宗教が、廃れない訳がそこにはある。

 ほとほと間抜けなことだでや。

 こういう山々の奥社へと、願掛け・祈りに、昔は講に出掛けていた信心深い人たちが多かった。

 足腰の弱ってる老人や病人に代わって、お札をいただきに参る、そんな代役が群れて山に登って行き、記念碑を建てて寄付を預け、規則正しい精進宿泊でもてなして、お札を渡して帰しておったもんだ。

 この代役が曲者で、ま~ま~それ以上は書くのはやめておこうか・・・石ころも、思う者の念が濃ければ宝石にもなる、これを流行りのスピリチュアルとも言う。

 

 テレビや新聞・ネットの報道媒体が、作りモノ・自作自演のサクラを使った事件や事故を起こし、そこに仲間の専門家や公務員を配置して横並びの解釈と解説を付けて置く、視聴者という猿の集団はそこで良いだの悪いだのと大騒ぎを始め、それで今日一日は中身のある一日だったとなんだか幸せな気分・・・これを、阿呆という。

 

 プロ・スポーツ選手とは、対価を金で貰う。

 よく頑張るのが当たり前で、凄いプレーをして当然、鍛え上げた肉体で常人の及ばない動きを見せるから対価を貰えるだけの話で、それ以上でもなければ、それ以下でもない。

 芸を見せて、金を貰う関係。

 ミスや失策など、民間の自営業だったら、即廃業にも繋がる話でしかない。

 そのうえ、やめてもOBとしてその世界に残ってしがみ付いてる連中は、カス、権力・スポンサーの側の伝書鳩。

 協会だの、理事だ理事長だの、担当大臣だの、みなカスの集まりでしかなくって、選手のことは使い捨ての奴隷くらいにしか考えてないのが本当だ。

 選手の立場を! 選手の気持ちを! と、叫んだところで、ゼニカネ目当てに頑張ってる選手は、その足元を見られている。

 つまりは猿回しの猿。

 

 アメリカン・ドリーム、これは国家が国民を統制するときに見せてやる劇場版の作り涙。

 国家に拠る自作自演のテロで身内を失って、傷を負って、そこから頑張って立ち上がる・・・そんなクサイ脚本なんて、最初から自作自演のテロがなければ別に要らない苦労でしかない。

 無駄なことをして、無駄を作って壊し、これが現代の資本主義の政治になっているだけ。

 いちいち心を動かす部分なんて、な~んもないがな。

 

 日光東照宮のお薬師鳴き龍の下では、坊主が物売りのセールスに夢中になってる。

 東照大権現も呆れかえって苦笑い? いやいや、わが国の歴史なんてそもそもが壮大な嘘とはったりなだけ。

 その本来の姿を明るみに出してきてると想えば、別に珍しいことでもないがな。

 騙されてたあんたらが、ただの猿だった、そんだけのことよ。

 これが令和の社会の世相でもある。

 それでも、見ざる聞かざる言わざるなんだろうな~。

 

 いつ死んでも良いように、後悔しないことだけを念頭にして生きてくると、人間社会の善や悪なんて基準は、どうでも良いビニール紐くらいにしか思えなくなる。

 集団で生きる社会での、一応の取り決めであって、別にそれが良いとか悪いとかとは考えなくなってしまう。

 法律やルールとはそんな程度のものであって、面倒な違反をして猿な衆愚らに吊るし上げられることがあればまた、これも時間の無駄でしかなく、だからその辺の機微を弁えて生きるようになる。

 そもそもだ、ひとりの人間の存在よりも先に在るものはナニも無い。

 人間より先に取り決めがあるとするなら、すべては群れの統治のための口実でしかない。

 名前や言葉や思考や感情すら、誕生の後にまわりの環境で身についたものだ。

 その既製服と言っても良い身についた洋服をいっさい脱ぎ捨て、そこから本来の生は始まる、俺はそう想ってる。

 これは20歳の頃に、すでに確信として持って実行していた。

 他人の評価なんてどうでも良い石ころみたいなもんだ。

 だから俺にとっては日本という国家などどうでも良いもので、この生まれた島国を満喫する、それしかない。

 そうして61年生き、そのまんま今が在る。

 

 モノの本質を極める、見抜く、これさえ自分独りで出来るようになれば、別に人や時間やゼニカネに追われて暮らす必要もなくなるんだがね~。

 斜に構えて、厭世自慰に浸ることもない。
 
 果てのみえない宇宙や地球と、そこで飽くことも無くトボトボと歩き続ける自分の小さな足元、それだけで充分だろう。

 愉しいよ。 


高速など使わず、登山してくるさ

2019-11-05 10:41:53 | 銀座の周旋屋

 

 仕事を休んで山や海に出掛けるときは、だいたい往復で4~500キロは走ってくる。

 片道100キロくらいの近場であっても、同じ道は通らないように遠回りして、退屈なドライブは避けてる。

 目的はドライブではなくって、山に登ったり海で泳いだり魚を釣ったり古い城址を確認したり、イロイロだけんども、それでもなんか面白いことないかと同じ道は通らずに戻ってくる。

 若い頃は毎週のことだから高速料金を使わぬようにと、東京から新潟・福島あたりは延々と下道を走っておったために、いまでも渋滞のう回路はナビなんかよりも俺の白髪頭のほうが遥かに詳しい。

 そうやって人生61年で、すでにお月さまへの2往復と半分はハンドルを握って来てる。

 想えば凄い距離を走って来てる。

 バブルで億単位の儲けが出てるときには5台くらいの車を持ったりして、乗り換えて走ってきた。

 レーシング・ジャガーやらの高級外車は、せっせと走ったら値崩れする前に売ってしまってる。

 結局は、山奥でトラブルが起きても自分で解決できる国産の、メンテナンスの楽な車だけが残ってる。

 4駆のCRVは新車から10年弱で25万キロ、アルファードも新車からおなじ時期に15万キロなどなど、短期で買い替えてる現代の消費者達の中で、群を抜いてるだろう。

 ここ10年くらいは前後左右に他車のいない状況で走ることが多くなってるから、若い頃のようにガンガン山道を攻めることもなくなった。

 どうぞお先に! と山道では道を譲ってばかりになってる。

 そうやって獣たちが出てくるのを愉しんでたり、景色を満喫することばかりになった。

 登山や遠泳とおんなじで、おなじ人間と競ったり意識したりの馬鹿騒ぎには、まったく興味を持てないまんまだ。

 同行者がおれば・・・俺がここに一緒にいる、それでお前さんたちの幸せは十分だろう・・・そう想っている。

 歴史や風土史についても、豊富なことだから、半端なバスガイドよりも詳しいし、愉快なアクシデントも笑って愉しんでる。

 人間の世界で一番、贅沢な人生だと、想ってる。

 

 この連休では、1000キロは走って来たな。


カラマツの森が広がる、初冬の妙

2019-11-04 09:55:36 | 銀座の周旋屋

 

 深夜の暗いうちに出発しても、ここ数年は朝の6時頃には高速がどこも賑やかになって来る。

 退屈なテレビや新聞やネットという報道媒体が、作りモノの時代遅れの世界を延々と自作自演してるうちに、国民はみなそっぽを向いてしまって、それぞれが自分で動くようになってるということだ。

 都会に居て、昼頃にノコノコ起きて、そんな報道媒体を見て都会で群れて蠢く連中とは別の、多くの国民もどんどん増えているという事実は、嬉しいことでもある。

 あとは山や海の混雑するお決まりの場所ではなくって、もっと人のいないエリアへと入って行って欲しいもんだ。

 トラブルやアクシデントの数をこなして行けば、何処へ入って行っても平気になる。

 なんでも自分で出来る、そういう日本人がどんどん増えて行って欲しいと思うね。

 

 ・・・ということで、仮眠2時間で深夜の暗いうちにこの週末は関越に乗った。

 洪水被害の大きかった信州のもっと奥、観光地のあちこちの滝もみな土砂崩れや崩壊で通行止めになっていた。

 紅葉はいまがピークだろうほどに、山が明るく燃えていた。

 一面がカラマツの紅葉、そんな景色を見たかった。

 雲海の向こうには高い山々が水墨画のように並んでいる。

 いつもの光景だと言えばそうだが、ここ2週は遠望が利かなかったから、久々に深呼吸が気持ち良かった。

 高い山の頂は、すでに氷点下の季節だ。

 冬がやってきたということだ。

 

 さ、仕事を始めるっぺよ。