歴史では決して触れてない、そういう事実はたくさんある。
わざと触れてない、明るみになれば愕然とされ、支配・統治が行き届かなくなり、恐怖政治と看做される惧れもあることから、闇に葬って未来に遺さない、そういう歴史は多い。
そのひとつ、幼い子の人肉を喰らう、戦っていた憎き相手を滅ぼした後に、その敵だった者の中で幼児を切り刻んで、鍋に入れて皆で喰らって歓声を上げていた時代もある。
大人の男女は祟るし、不味い。
我が国では、その不味い大人の敵の首領をわざわざ切り刻んで、喰らっていた時代もある。
皆さんが子羊や子牛やの肉を好んで喰らってるのと、大差のないことだ。
これを現代でも秘して行っているのが、他ならぬ世界の統治者たちではある。
統治するとは、支配・管理するとは、その相手を喰らうことでもある。
こういう野蛮なことが、本当に行われている現場に、心の弱いのほほんと生きてる現代人が立ち会わされるとどうなるか? 腰を抜かして嘔吐して、その後の人生は大きく変わってしまう。
不肖な我が子を殺させてしまった元総理なんてのは、その後の人生がすべて歯車が狂ったまんまだ。
アメリカやイギリスの統治では、こういうおぞましい秘密の儀式のような、そんなことが今も行われており、そこに呼ばれた日本の政治家や官僚・大企業の経営者なぞは、その強烈な現場に身を置いて狂い果てる、そういうことは昔からあったことだ。
太平洋戦争の末期には、日本の戦意をそぐ方法として、富士山を真っ赤に塗りたくってしまうという方法も、アメリカの軍部では真剣に議題に上がっていた。
笑える話ばかりだが、そこに生きて居た人間にとっては真剣そのもの、これが現代でも、高度な文明を手に入れてるという人類の世界でも、相変わらず続いている。
アメリカの大統領らは、たいがいの者がそんな儀式に臨んでいる。
そこで微動だにせず、誰よりもムシャムシャ人肉を喰らうものでなければ、世界の覇権国家の棟梁にはなれない。
30年以上も前の、訪問販売の営業の世界でも、似たようなことは多かった。
そこでもっと怖ろしい男となり、皆が驚愕するようなことを平然と行える、そういう行動を若気の俺はいつも独りでやっていたもんだった。
日本の歴代の総理はみなそういう儀式に呼ばれ、忠誠を誓わされている。
死ぬまで口外できないことを、皆で行う、これが集団統制の昔からある愚行になってる。
政治とは、そういうものだ。
山の獣たちの間では、そういうことが普通に行われている。
山賊や海賊たちは、喰うものがないときは人肉を喰らって生きておった。
日本の歴史にもたくさん書き遺さなければいけない真実はある。
俺はそんなことも、近い子供たちにはキチンと話してやっている。
知って居れば、そこからどう生きるか? 真剣に考えるようになる。
隠しておれば、それを知った時の衝撃で身がすくみ、狂い果てるのがオチだ。
5Gの時代に、農業・漁業にはあえて目を向けることもなくなってる時代に、我が皇室の行事は原住民のシャーマニズムの抜け殻、余裕のある時間に誰にも迷惑をかけずに行うのであればまだしも、義務のように強制的に行う、この姿は異様な集団としか見られない。
伝統を守るのであれば、隠しておくものばかりであっては形骸化する。
その儀式の本当の意味を、まず話すことから始めて欲しいとは想うね。
人類の歴史と、人身御供の歴史、これはどこにでもある話だ。
さ、今週の山の天気図はどうだろうかね?
その前にいろんな仕事が入ってきておって、それをこなしてからだな~。
東京タワーの近所のビル貸主婆さんのとこまで、とりあえずは歩いてゆくわさ。
往復で15000歩くらいか、ま~ま~平地の移動だから、両腕に500gの重りを付けていってくるべか・・・。