南会津まで車を走らせて、紅葉の渓谷を歩き、山を登り上げ、しっかり汗をかいてきた。
さすがに奥山に入ると、人間はいなくなって、2000年前ではなくって、2000万年前の地質がそのまんまになっている。
人類の小ささが解るだろう。
すべての桁が違い過ぎる、地球温暖化やコロナなんて猿の騒ぎは、木っ端微塵になるわいな。
そのまんま来た道は戻らず、険しい林道を暗くなるまで走って、新潟寄りに降りて、森を堪能した。
山用の車を小さな4駆に替えて、しっかり500キロ、1ヶ月で2000キロ近く、新車馴らしも終えただろう。
バイク野郎すら入って来ないような素敵な紅葉の山々は静かで良い。
小さな獣たちも・・・もう長く辛い豪雪の季節だよ!と、可愛い目をクリクリさせて迎えてくれていた。
テレビや新聞のモノゴトの捉え方や価値観が、どうにも相容れなくなって、俺は半世紀も経つ。
いまでもユーチューブやらツイッターと言った新しいメディアでも、相容れないことばかりだ。
媒体が変わっただけのことで、生きてる価値観は昭和のお古、やってられない見てられない。
俺は、お前らとはぜんぜん生きて感じてることが違ってる。
だからまともな会話はできるわけもない。
笑うことくらいしか、ともに出来ないから、笑ってる。
嬉しいや、哀しいや、悔しいや、怒ること・・・俺には理解不能な不思議な生態に見えてるし、ようやくに、この頃はそれを広言して生きることが出来るようになった。
・・・糞ジジイの戯言・・・それで済む年齢になったということだろう。
笑うことはともに出来る、だから笑ってる。
あとはナニが楽しくて生きてるのか、不思議な、奇妙な、首を傾げてしまうことばかりになってる。
山に来て、マスクをはずさない人間を見て、首を傾げてる獣たちとおんなじだ。
俺自身は、俺の愉しみをたくさん持っているから、別に他人のことなんざ、興味も湧かない。
ただ生業が、毎日いつも新しい関わり合いが増えてゆく仕事だから、サメのような目で、実のところはお相手してしまってるんだろう。
・・・そう、それはご苦労だったね~、大変だったね~、哀しかったの? そうだね~、嬉しかったの? そうかそうか偉かったね~、そんなこともあるんだね~
そんなことをほざきながら、空を見上げて、週末の天気と山のことばかりを考えている。
あとは、疲れたから、ひと眠りするか? 腹が減ったからなんか喰うか? 足腰が凝ったから、女を抱くか?
それとて、別段に自然でいいわけで、なんということでもないのさ。
この夏の大仕事で、何年かは困らない分は稼いで、さっさと多くの扶養家族にばら撒いて、残りは紙幣ではないモノに変えてしまってる。
盗まれるモノで持つから盗まれる訳で、奪われないモノにして生きて居れば、別段に守ることも必要はない。
禅問答なんて、下世話な話ではなくって、もっと永遠なものさ。
俺が関わってる女や子供らは、みなそれを感じていることだろう。
そんなことさ。