http://diamond.jp/articles/-/69453
自民・公明両党は3月20日「安全保障法制整備の具体的方向性」について合意した。これにより政府は4月中旬までに「自衛隊法」「周辺事態法」「PKO協力法」「武力攻撃事態法」「船舶検査活動法」の改正案、および他国軍への後方支援のために自衛隊を随時海外派遣できるようにする新たな「恒久法」の法案を作成し、5月中旬に国会に提出する方針だ。
この合意に先立ち公明党は①国際法上の正当性②国民の理解と民主的統制③自衛隊員の安全確保、の3原則を提示、自民党もそれを受け入れ、これを前提として法案の作成や国会での審議が行われることになる。
だが、これまでの与党協議の中で想定されている海外での自衛隊の活動には「自衛隊員の安全確保」と両立し難いものが少なくない。同様な活動をしてきた他国軍の例を見れば死傷者が出る公算は高いと考えざるを得ない。
外国軍占拠地域での「治安維持」活動は
現実には平定作戦、ゲリラ討伐に等しい
PKO法の改正では国連の活動として行われる「国連PKO」だけでなく、有志連合など一部の国が行う平和維持活動にも参加することを想定しているが、その場合には「国連決議に基づくか、または関連する国連決議があること」を条件としてはいる。
だが、米、英が2003年にイラクを攻撃した際には国連安全保障理事会が武力行使を認めなかったため、米国は湾岸戦争前の1990年、まったく異なった状況の中で出された安全保障理事会決議を根拠として持ち出し、攻撃の合法性を主張したこともあるから「関連する国連決議があること」は有効な歯止めとは言い難い。イラクやアフガニスタンのように外国軍が占領した地域で「治安維持活動」を行うのは現実には「平定作戦」「ゲリラ討伐」に等しい。
そのような「治安維持活動」では、ゲリラやテロリストの移動や武器、爆発物の持ち込みを防ぐため、道路上に多数の検問所を設け、車を停止させて運転手や乗客を尋問し、車内を捜索する必要がある。だが個々の検問所の兵員は概して少ないから、ゲリラ攻撃の標的になりやすいし、身体検査中に身に付けた爆弾で自爆テロをする例も少なくない。
また家宅捜索を強行して反撃を受けることもある。装甲車輛による街路などのパトロールは道路脇の爆弾や対戦車ロケットによる被害に遭いやすいし、重要施設の警備兵が狙撃や自動車爆弾の犠牲になった例も多い。
米軍はイラク戦争で4491人の死者と約3万2000人の負傷者を出したが、2003年3月19日の攻撃開始から同年5月1日にブッシュ大統領が空母リンカーン艦上で「勝利宣言」をするまでの間の死者は139人、負傷者は545人に過ぎず、死傷者のほとんどは「治安維持」の過程で生じた。
PKO法改正では武器使用の権限を拡大して、他国部隊が攻撃を受けた場合、自衛隊の部隊が救援に向かう「駆けつけ警護」を行えるようにすることも想定されている。この状況では襲われた他国の部隊は防戦に努めているはずだから、当然自衛隊は戦闘に飛び込む形となり、死傷者が出ることはまず不可避だ。
またゲリラが他国軍の宿営地や車列などを攻撃する際には、救援部隊が駆けつけて来ることを計算に入れ、後方などに警戒部隊を配置したり地雷を入れることもあるから、救援部隊が待ち伏せ攻撃を受ける危険もある。
後方の物資輸送部隊は
かえって敵に狙われやすい
新たに制定する予定の「国際社会の平和と安全のために活動する他国軍隊に対する支援活動」に関する法律は、これまでアフガニスタン攻撃に際する他国軍艦への洋上給油や、イラクへの陸上自衛隊と航空自衛隊輸送機の派遣などが1回ごとの特別措置法を制定して行われていたのを、すぐに出せるよう「恒久法」にしようとするものだ。その中で輸送・補給を担うことが与党間の協議などで強調されている。一見、戦闘に加わらないような印象を与えるが、実はこれも相当危険な任務だ。
ゲリラやテロリストは前線の外国戦闘部隊と正面から戦っては不利だから、後方へ潜入し食糧や水、弾薬、燃料などを運ぶ輸送車列を待ち伏せて攻撃したり、物資の集積所に迫撃砲弾を撃ち込むなど、補給を妨害しようとするのが「定石」だ。
正規軍同士の戦闘でも、航空機による対地攻撃は前線に散開してタコツボ陣地などに入っている部隊に対しては効果が乏しいから、後方の道路上の輸送車列や補給拠点を叩くのが主眼となる。地上部隊が敵を包囲しようと努めるのも、補給路を遮断し降伏に追い込むのが目的だ。
与党合意では補給などの後方支援を行う際、他国の武力行使との「一体化を防ぐ」と言うが、一体化どころか補給こそが作戦の主柱なのだ。特に近年の陸軍は機動力、火力が増大したため、米陸軍の一個機甲師団は戦闘時には一日に弾薬2000トン、燃料も約2000トンを消費するから補給は一層重大な課題となっている。
3月5日配信の本欄でも言及したが、安倍首相は2月17日、衆議院での代表質問に対する答弁で後方支援に関し「現に戦闘を行っている現場となる場合には、直ちに活動を休止、中断する。武器を使って反撃しながら支援を継続するようなことはない」と述べた。だが輸送部隊の車列が他国軍の宿営地などに向かう途中、ゲリラなどの攻撃を受けた際、多数のトラックが停止してUターンしようとすれば狙われやすく、かえって危険な場合も多い。
また少々の攻撃を受けただけで補給を突然中断し、食糧や水、弾薬、燃料が来ないとなれば前方の部隊は動揺し、状況によっては壊乱しかねないから「寝返り」同然で憎まれることになる。当初から「攻撃を受ければ退却します」と多国籍軍の司令部などに申告しておけば汚名は免れるとしても、それではいてもいなくても構わない配置にしか付けられず「安全な仕事しかしない臆病者」と嘲られるから行かないほうがマシなくらいだ。
「憲法上の制約があってできない」と言えば、他国の将校も「それなら仕方ない」と思うだろうが、「集団的自衛権行使は合憲」と言いながら、危険な任務は断るというのは納得してもらうのが難しいだろう。
敵中突破した隊長が讃えられると
続々追従者が現れる懸念も
現実には輸送部隊が攻撃されれば、若干の死傷者が出ても応戦しつつ突破し、補給物資を届けるしかない場合もあるだろう。だがこれを行えば昨年7月1日、集団的自衛権行使を閣議決定した際の3要件に言う「我が国、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ」た場合にのみ武力行使をする、との誓約に反するし、首相が国会で表明した方針にも背くから、輸送隊長は処罰せねばならない。
とはいえ、停車せず応戦して突破するほうが合理的な状況なら処罰は難しい。部隊運用の責任者である統合幕僚長や陸上幕僚長は防衛大臣や首相に行動の追認を求め、メディアは敵中突破の隊長を英雄扱いする可能性が高い。これが先例となれば次々と独断専行する指揮官が出て、統制が効かなくなる恐れもある。そもそも相手にとっては「前方」の部隊も「後方」の部隊も敵であり、「後方支援は、戦闘と一体化しない」というのは日本国内だけの理屈なのだ。
輸送はトラックに限らない。2007年2月に米国は日本に陸上自衛隊の大型輸送ヘリコプターCH47のアフガニスタン派遣を打診したが、危険が大と見た防衛省は難色は示した。ブッシュ米大統領はあきらめず、2008年7月の洞爺湖サミットの際にも福田首相にそれを迫ったが、福田氏は拒否したことがのちに分かった。
CH47は人員なら最大55人、貨物なら9トンを運べる大型で、山岳地帯など交通不便な地点にいる部隊への補給に適しているが、1機50億円程度の高価なヘリだから欧州の軍には少数しかない。日本は陸上自衛隊が58機、航空自衛隊が15機を持ち、米軍に次ぐ保有国だからお呼びが掛かりやすい。すでに日本の一部のCH47は重機関銃3丁、操縦席に防弾板などを付け、海外派遣に備えている。
だが大型ヘリが補給物資を積んで他国軍の駐屯地などに接近すれば、周辺のゲリラ部隊の肩撃ちの対空ミサイルや高射機関砲に狙われたり、着陸後に迫撃砲の射撃を受けることもありうる。
豪州軍のケースから推計すると
自衛隊1000人派遣で死者18名か
治安維持と補給活動でどの程度の人的損害が出そうかを考えるにはアフガニスタンでのオーストラリア軍の死者41人が一つの参考になるだろう。
オーストラリアは2001年10月に米、英軍がアフガニスタン攻撃を始めた際、少数の特殊部隊や観戦武官を送ったが、本格的にアフガニスタンでの「国際治安支援部隊」(ISAF)に部隊を派遣したのは2007年からで、同年に907人、翌08年に1080人、09年は1350人、10年から12年は1550人に達した。2013年は1030人に減り、同年末に大部分が撤退した。2007年から13年にかけてのアフガニスタン駐屯オーストラリア将兵の平均人数は1290人だった。ISAFに兵を出し治安維持に当たった07年から13年の7年間で、年平均約6人が死亡した。
一方、2003年に始まったイラク戦争では、オーストラリア軍は当初に特殊部隊500人、14機の戦闘・攻撃機FA18などを出したが、同年5月の米国の「勝利宣言」後撤退し、再び2004年から治安維持とイラク治安部隊の教育・訓練のため陸軍850人を派遣し、07年には1575人に達した。だが08年6月に撤退するまで同軍の死者はゼロで、英軍に派遣されていた同軍の将兵3人が死亡しただけだった。オーストラリア軍は日本の陸上自衛隊と同じイラク南部の比較的治安の良い場所を担当していたため損害も少なかった。
このように戦争での人員の損害率は当然ながら相手の戦力や戦意、こちらの任務によって大きく異なるし「運」の要素も大きい。だが戦争を考える際には悪い方を想定しておくべきだから、一応アフガニスタンでのオーストラリア軍の損害をもとに考えれば、仮に自衛隊員平均1000人を4年間(イラク派遣の特別措置法の当初の予定期間は4年で、のち2年延長)派遣すれば約18人の死者が出て、負傷者は一般に死者の3倍程度だから50人程度、という計算になる。
イラク戦争では日本は陸上自衛隊約550人を2004年1月から06年7月にかけてイラク南部のサマーワに派遣したほか、航空自衛隊のC130輸送機3機と人員200人を2004年1月から08年12月までクウェートの基地に派遣して陸上自衛隊や米軍などの輸送や補給を行った。
サマーワの陸上自衛隊はもっぱら要塞化した駐屯地に籠って地元部族との友好関係確保にこれ努め、公共施設や道路などの復旧工事に地元民を1日平均700人雇って職を与え、部族の会合があれば羊を贈り、車上から地元民を見れば手を振るなど、選挙戦さながらの人気取りを行ったし、駐屯地から出るのは1日1時間程度にしていたから死者ゼロで済んだ。2年半サマーワにいた間、駐屯地に13回、計22発の迫撃砲弾、ロケット弾が撃ち込まれたが、これは嫌がらせ程度だった。
今回の安全保障法制による自衛隊派遣が行われ、治安維持のために検問や家宅捜索をしたり、他国軍への駆けつけ警護や補給に当たれば、前回のサマーワ駐屯とはまったく異なり、一部の住民が反感を抱いたり、武力勢力と敵対関係になるから、いずれは他国軍と同様に死傷者が出ることは覚悟しておかねばなるまい。
仮に2ケタ、最悪の場合3ケタの死傷者が出たとしても、自衛隊の総人員22万人余の中では軽微な損害ではあろう。だが自国防衛のための犠牲ではなく、本質的には宗派対立に起因する他国の紛争に、米国等とのお付き合いのために派遣された自衛官が戦死したり重傷を負えば、いかに政府が「英霊」の無言の帰国を荘厳に演出しても、遺族や負傷者の悲嘆、不満は拭えず、政府に対する非難が徐々に高まるだろう。
こうした世論の変化は1979年から10年間アフガニスタンに介入したソ連でも、アフガニスタンとイラクで長期戦に引き込まれた米国などの参戦国でも起きた。「前車の覆るは後車の戒め」であり、他国の失敗の轍(わだち)に入らないよう、自衛隊の海外派遣にはよほどの慎重な判断が必要と考える。