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緑の党推薦、アーティスト有意識者会議NAU推薦 34歳
無関心をやめた時 未来へのあゆみが始まった

選挙は楽しい!
ここにいるとなぜかみんな笑顔になってしまう。そんな不思議な選挙事務所がありました。
「もう、毎日楽しくて! 昨日はボランティアさんと2人でポスティングしている間、笑いすぎて声が枯れちゃいました(笑)」
そう満面の笑みで話すのは太田あゆみさん。高松市議会議員にチャレンジしているシングルマザーです。
あゆみさんは高松市内で、両親と今年6年生になる娘と一緒に暮らしています。11月に市政へのチャレンジを決意し、12月から街頭演説を開始。毎朝7時半〜8時半まで母の富子さんと一緒に街頭に立ち、そこを娘の彩華(あやな)ちゃんが手を振りながら学校へ通う日々を送っています。
彩華ちゃんの得意技はあゆみさんの演説原稿をチェックすること。あゆみさんは彩華ちゃんにわからないと言わるたびに書き直し、難しい政治の話をわかりやすくて穏やかな内容に変えていきました。彩華ちゃんは学校の帰りに友達を連れて事務所に寄り、宿題をしたり、遊んだり。時にはアイドルに変身して歌って踊り、大人と一緒に選挙の話をしたりして過ごしています。そして学校では、子どもたちが好きなことを自由に話す1分間スピーチの時にこんなことを話していました。
「集団的自衛権に反対です。戦争をしたくありません。今の時代は女も行くんです。男も女も関係ありません」
しっかりと母親の背中を見て育っているようです。いつも冗談を言って人を笑わせるのが好きな彩華ちゃんを見て富子さんは、あゆみさんの小さい頃によく似ていると言います。そう。実はあゆみさんの両親は、長年市民活動を続けていて、あゆみさんも子どもの頃、選挙ポスター貼りについて行ったり、お姉さんと一緒に「ウグイス嬢ごっこ」をして遊んでいたのでした。両親が応援していた元県議会議員、渡辺さと子さんもあゆみさんの立候補をよろこび、我が子のように一生懸命応援しています。両親の世代からおつきあいのある年配の人達と若い世代が混じりあい、大きな家族のようなつながりがあゆみさんをしっかりと支えています。
たくさんの笑顔が集う事務所。しかしそんな笑顔の裏には、たくさんの涙とそれを乗り越えるための力強い努力がありました。
その時、無関心だった自分に気づいた

あゆみのあゆみが書着込まれた事務所のホワイトボード。「ストップ、無関心」と「無関心、やめました」のイメージは随分違う
あゆみさんが市議会への挑戦を決めたのは、3.11とその後の「無関心」でした。
「1986年のチェルノブイリの原発事故の時、父に連れられて反対運動の現場に行ったんですが、その時父が「この子ども達の未来に何かあったらどうしてくれるんや!」と叫んでいたんです。そんな父があの地震の直後、最初に言ったのが「福島の原発が危ない」でした。私の中で1986年のあの風景が重なり、自分は知っていながら今までやってこなかったという憤りをものすごく感じました。まわりを見ても、自分の事しか関心がありませんって人が多くて、時間が過ぎるに連れて3.11のことなんて何も言わなくなってしまう。無関心でいる怖さ、知らないフリをする怖さを感じていたのですが、自分もそのひとりだったんだと気づきました」
そして市議会議員への挑戦を決意し、掲げたテーマが「ストップ無関心」。ですがこれに父の育治さんから鋭い指摘が飛んできました。
「父に「上から目線はけしからん。自分事でいいなさい」と言われて、ああ、ほんとだなあって(笑)。それで「無関心、やめました」に変えたんですよ」
立候補に反対してきた育治さんですが、やはり娘のことが気にかかったのでしょう。父のさりげないサポートであゆみさんの方向性が明確になっていきました。
初めての選挙。何をやっていいのか、誰に声をかけていいのか、最初はなかなかわかりません。いつも明るいあゆみさんも、ひとり事務所で泣いたこともあったといいます。そんな時にやってきたのが、3.11をきっかけに高松に引っ越してきた女性でした。社会への無関心と何もしない自分に対して違和感を感じていた彼女は、あゆみさんと意気投合。選挙のために仕事を辞め、富子さんと3人で手探りの政治活動を始めたのです。それから、インターネットや口コミで仲間がどんどん増え、いつのまにか事務所には笑顔があふれるようになっていました。
弱い人に心を寄せること

両親が営む古本屋「讃州堂書店」では母の富子さんが店番をし、娘の彩華ちゃんもよく遊びに行っている
富子さんはハンディキャップを乗り越えて子育てをし、古本屋を営みながらこの選挙を手伝っています。富子さんは18歳の時に関節リュウマチを発病し、26歳で結婚。2人の娘を産み育ててきましたが、あゆみさんを出産したすぐ後に症状が悪化したといいます。
「私は母にだっこしてもらったことがないんです」
そう話すあゆみさんの目には、心の奥でうごめく何かが映し出されていました。幼い子どもの心には、いろんな想いがあったことでしょう。
「父はいろんな人を助けていたので、朝起きたら知らない人が家にいることがよくありました。母は障害者問題について学んでいる時に自分が病気になり、その後も教科書問題、障害者や外国人労働者の支援に取り組んでいました。うちの親は変なことやっとるなあと思っていたんですが、大学で京都に出てからはあまりそういう世界には関心を持たなくなっていました」
そして結婚、出産。しかし、飲食店で働き夜の遅いパートナーとは次第にすれ違いや価値観の違いが大きくなり、あゆみさんは1歳の彩華ちゃんを連れて家を出ざるをえない状況になっていきます。
「コンビニでいくつか段ボールを送り、最低限の荷物を持って高松に帰ってきました。残りの荷物の引き上げと相手との話し合いはお父さんがやってくれて、離婚が成立しました」
そんなさまざまな経験を経て、彼女が見る世界も変化していきました。
「私は自分が経験したことを他の人に経験させたくないんです。まわりを見てみると、孤立していたり、孤独な人が多いと思います。昔からうちにはいろんな人が来ていたので、社会的弱者と呼ばれる人達がいることがわかったし、大人はそんな人達を差別するんだなと子どもながらに思っていました。子どもは敏感に受け取るんですよね。だからまずは自分が身近なところに関心を持って、一生懸命やっている姿を子どもに見せていきたいと思います」
こうして自身の経験から生まれた強い想いが、彼女の政策をつくっていったのです。
子どもの頃から培われた市民派の信念

街頭では後輩がつくってくれたテーマソング「みんなで未来へあゆみ隊」を歌いながら演説をする
あゆみさんの政策は大きく「子ども」「女性」「平和・人権」「脱原発」「議会改革」の5つに分かれています。
「子ども」「女性」「平和・人権」は、今までの経験から社会的弱者を守る必要性を感じて打ち立てたものでした。この中であゆみさんは、貧困状態にある子ども達や孤立しがちな子育て中のお母さんのサポート、DV被害者の保護シェルターの必要性を訴えています。DVは被害者の保護だけでなく、自立支援や加害者の更正プログラムも必要と、トータルな問題解決を提案中。
また、子ども達への平和教育の充実と、自治体レベルでの平和外交を進めようとしています。特に高松市と友好都市提携をしている中国の南昌市との交流を軸に、国政の動向に振り回されない友好関係づくり、平和づくりを目指しています。
「脱原発」はお隣、愛媛県の伊方原発から186kmにある高松市に起こる危険性を指摘し、自然エネルギーによるまちづくりを提案。また「議会改革」では、議員活動費用として使われる税金の流れを明確にして、ムダな費用の削減を求めたいとしています。
特に彼女が疑問に感じているのが、2014年に素案が提出された「議会基本条例」の、「委員会は、請願及び陳情の審査に当たって必要があると認めるときは、その提出者の意見を聴く機会を設けるものとする」(第14条3項)という記載。「市民から請願・陳情として寄せられるすべての意見を聞きましょう」ではなく、各委員会が必要とするものだけを取り上げるのでは、市民にひらかれた市政にはならないと思ったそうです。また、議会や委員会を傍聴する機会が得にくくなっていることから、もっと市民にひらかれた議会の必要性を感じています。
こういったあゆみさんの活動の一貫性には、長年市民活動を続けてきた両親とその仲間達の影響が大きいのではないでしょうか。子どもの頃から感じ、自分で考えて動いてきたことだからこそ、最後まで貫き通す強い信念が彼女の中に育っているようです。
弱者にやさしく市民にひらかれた議会への挑戦。家族や仲間に支えられながら、あゆみさんは一歩ずつ確実にあゆみを進めています。
HP 太田あゆみオフィシャルサイト http://www.ayumirai.com/
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● 山本太郎と、三宅洋平のインタビューページを1万人の立候補プロジェクトで公開中。読んでみてね! インタビューページを読む