※本日より、木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載します。
木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)
明治維新と神道国教化政策
19世紀の半ば、日本は欧米の国々の圧力によってそれまで長く続けていた鎖国を解き、国を開くにいたります。この大きな変化の中、徳川幕府は薩摩藩、長州藩を中心とする人々によって倒され、明治維新がなしとげられます。
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新しい国家に求められたのは中央政府に国を治める権力を集中させ、欧米の国々にも対抗できる強い国をつくることでした【注1】。しかも、それを短い時間のうちにやりとげなければなりませんでした。表向きは近代国家の装いをととのえはしたものの、明治新国家は内にも外にもさまざまな問題をはらみ、混乱や矛盾をかかえこんでいました。
そうした緊張にたえるためには、国の全体を支え、国民をたばねる強い権威が必要でした。明治政府はその権威を天皇に求めます。天皇は古い時代から、国のための祀(まつ)りごとを行う祭司でした。明治政府はそうした宗教的な性格にも目をつけたうえで、天皇の権威を国家の頂点にすえたのです。
政府は和魂洋才【注2】をかかげ、天皇中心の中央集権国家を確立するために、はじめは神道(しんとう)【注3】を日本の国の宗教とする政策をすすめようとします。宗教を政治に利用するたくらみです。
宗教が政治に利用されるということは、しばしば起こってきた事実です。政治をつかさどる者、権力をもつ者にとっては宗教的な権威を着ることは魅力的です。なぜなら神の名は神聖であり、絶対だからです。これは神の名によって行うことだと言えば、自分の統治のありかたを絶対のものとし、いくらでも正当化することができるのです。聖書の中にもこうした例は見られます。旧約聖書のダニエル書には、バビロンを治めていたネブカドネツァル王が自分を神にまつり上げて民に礼拝を強いたことが記されています。新約聖書のヨハネの黙示録13章に出て来る「海の中から上ってきた獣」とはローマ帝国の皇帝をさす、つまり皇帝礼拝のことが言われているとの解釈もあります。
しかし、この政策は評判がよくありませんでした。第一に、文明開化の世にあって神道を国の柱にするなどというのはいかにも時代おくれの、そぐわないことでした。第二に、この政策は欧米の国々に歓迎されませんでした。われわれの信じるキリスト教を禁じ、神道を強いるとは何ごとかと強く抗議されたのです。当時政府は欧米諸国と対等にお付き合いすることを願い【注4】、そのための交渉もなされたのですが、このことが大きなさまたげとなりました。第三に、新しい国づくりのために留学していた日本人たちも、欧米の信教自由の考えかたに触れて日本もこの方向に進むべきだと訴えるようになります。
そうしたわけで、神道を国教にする政策は成功しませんでした。ただ、この後の時代にはかたちを変えた神道国教化のくわだてがあらわれ、その後日本の国の進み行きにも大きな影響を与えることになります(その点については後で述べます)。
【注1】そのため、富国強兵(資本主義体制を整備し、軍備を増強する)政策がおしすすめられました。
【注2】西洋の学問や文化をとり入れるにあたり、日本古来の精神をもってすること。
【注3】日本古来の民族宗教。自然界のもろもろを神としてあがめる。その柱は先祖をあがめること。
【注4】開国のとき、幕府は不平等条約(外国人の犯罪を日本の法律で裁くことができない、日本に輸入する商品の税を自由に決めることができない
等)を強いられており、これを改正することが明治政府の念願でした。