ーーー歌ひとつ詠めばいつしか魂の 還る辺に花ひとつ咲くらむーーー
12月6日は先師有馬朗人の1周忌だ。
想いはきりなくあり、師との縁となる物を飾るだけでも過去は甦る。
その法要と同時に我が俳句の師系である高浜虚子、山口青邨の事も偲びたい。
まずは地元鎌倉の大先人でもある高浜虚子から。
「遠山に日の当りたる枯野かな」虚子
この句幅を入手するのは隠者長年の念願であった。
虚子は書も達人で、その書の出来の良い軸装がネットオークションのお陰で隠者でも買えたのが喜ばしい。
句の鑑賞面で一言加えると、古の詩文で「遠山深山」と言えば神域霊域の事と知れば句の深みが見えて来る。
今はその神々の座に虚子も混じっているだろう。
思えば虚子の「俳句の作りやう」が私の読んだ最初の入門書だった。
次は東大俳句会の先師、山口青邨だ。
上の句集は「露團團」初版に、元〜明時代の金銅観音像。
これに私が若い頃憧れた「銀杏散る真っ只中に法科あり」が載っている。
直接お目に掛かるご縁は無かったが、諸先輩方から良く話は聞いた。
今は句集「雪国」初版がなかなか入手出来なくて苦労している。
そして有馬朗人先生。
写真は句集「知命」と「天為」の一周忌追悼号。
手前に明時代の金銅阿弥陀如来像を安置して、師や句友達との楽しかった思い出に浸ろう。
まだ若き頃に文芸や美術を語り合った東大銀杏会は、我が人生で最も高雅な場だった。
実は朗人師の選による天為巻頭の最多記録はこの隠者が持っていて、師が亡くなられるまで遂に破られなかった。
そのくせ俳句を教わった覚えはあまり無く、只ひたすら楽しい句座を共にするだけだった気がする。
今や私も句画を人に教える立場となってしまったが、せめて偉大な師達のやっていた風雅の楽しさだけでも語り伝えて行きたいと思う。
©️甲士三郎