前々回に続き今週は珈琲道の3回目となるが、ここで本稿の最初の頃に話した隠者流の「観応、観想、観自在」を思い出して欲しい。
珈琲道1回目は離俗の話、2回目は観応観想の話で、最後の3回目はその隠者流観自在の珈琲を語ろう。
夢幻の珈琲を時節に応じて演出できれば一人前だ。
(離別 初版 若山牧水 古織部火貰いと沓茶碗 江戸時代)
花の乏しい冬のためにドライフラワーを沢山作っておいた。
「離別」(1910年)は牧水の名作「白鳥は哀しからずや空の青海のあおにも染まずただよふ」が載っている歌集だ。
この歌は初出の自費出版歌集「海の声」(1908年)で、白鳥(しらとり)を(はくちょう)と間違ってルビを振っていたのを「別離」で正式に改訂発表した物だ。
若き牧水の美しくも哀しき海辺を眼前に想い描きつつ、100年前の世界で喫茶に浸るのが観自在だ。
珈琲の味も茶筅で泡立てると一段とまろやかになる。
次の日は我が画窓から前山の時雨紅葉を眺めつつの珈琲だ。
(木彫猫神像 江戸時代 黄瀬戸カップ&ソーサー 浜田露人作)
窓前は大塔宮の陵の山で、宮内庁が管理しているはずなのに荒れ放題だ。
以前に何度か登場した猫神様と共に、そんな鎌倉の荒山野に想いを巡らせよう。
ーーー老画家の夢に枯色浄土あり 冷え枯れの茶のぬくもり殊にーーー
現実世界と夢幻世界の狭間に居て、そのどちらへも深い想いを抱けるのが観自在だ。
達人は現実をより美しく、夢幻をより鮮明に観想する。
詩人や画家なら尚更だ。
(源氏物語繪巻断簡 土佐派 桃山〜江戸初期 黒織部マグカップ 佐藤和次作)
カラー印刷など無かった時代の人々にとって、この美しき繪巻は計り知れない夢を与えたであろう。
現代の珈琲を味わいながらも、古人達の夢の深さを想うべきだろう。
古来の茶の湯は今や作法縛りの俗習に堕した感があるが、珈琲にはまだ無限の自由度がある。
諸賢も是非己れのコーヒータイムに離俗夢幻の世界を建立して頂きたい。
©️甲士三郎