今日は昼過ぎから韮山と修善寺に行ってきました。
どちらも歴史を感じる場所です。冬にしては凌ぎやすい暖かな一日でした。
まずは韮山の江川邸に行きました。江川家は元々源氏の流れをくみ源頼朝の平家に対する挙兵にも参戦しています。鎌倉・室町時代は伊豆の豪族としてこの地に君臨していました。徳川幕府の直轄地となってからは、代官としてこの地を統治していました。当主は太郎左衛門を世襲して名乗っていました。秀龍は幕末の文化人思想家技術者として名をはせました。

江川邸とその内部の土間。土間だけで50坪あります。

(左)米蔵。これだけでも十分住めそうな広さです。 (右)食料確保の観点からパンを焼く事を思いつき広めた。
次に源頼朝が流された蛭ヶ小島に行きました。ここは公園となっていて当時を偲ばせるものは残っていません。平治の乱で敗れ平清盛に処刑されるところを清盛の継母池禅尼の命乞いによりこの地に流罪となった。もし処刑されていたら日本の歴史も変わっていたかもしれませんね。

蛭ヶ小島から農道のような道を5分ほど走ったところに「韮山の反射炉」があります。国指定史跡に指定されていますが、世界遺産を目指しています。前出の江川秀龍が手掛け後に完成しました。実際に稼働した反射炉としては世界で唯一現存する反射炉です。アヘン戦争等により植民地化を恐れ西洋砲術の導入を迫られ、ペリーが来航し江戸湾防備が急務となり品川沖に台場を設置する事となり、この大砲を製造するのが反射炉でした。

この後は韮山から修善寺に向かいました。
まずは修善寺を少し通り越して旭滝を見に行きました。いつも仕事でこの辺を通ると「名勝 旭滝」と書いてある看板を見かけ気になっていました。国道から細い道に入るとすぐに神社の前で行き止まりになります。車から降りると水が落ちる音がしてきます。神社の横手に行くと高いところから落ちてくる滝が出現します。なんと高さは105mで6段に屈折して落ちてきます。あまりメジャーではないので初めて見て感動でした。伊豆では滝といえば「浄蓮の滝」「河津七滝」が有名ですがここにも素晴らしい滝がありました。

修善寺に戻り静岡県の文化財に指定されている「ハリストス正教会」の前を通り、温泉街に入って行きます。

まずは修禅寺を見ていきました。鎌倉二代将軍頼家がここに幽閉されました。その後この修善寺で殺害された悲しい歴史があります。参拝者が多く来ていました。

その修禅寺の前を流れる桂川に独鈷の湯があります。現在は足湯となっています。大同2年(807年)に、弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつかれた父の体を洗う 少年を見つけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷たかろう」と、手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたという言い伝えがあります。

桂川を渡って少し行ったところに竹林の小径がありますが、感じはいいのですが少し短いので「もう終わったのか」と思ってしまいます。

次に指月殿を見てきました。ここは修善寺温泉で暗殺された源頼家の冥福を祈って、母政子が指月殿、宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏などを修禅寺に寄進したものだそうです。そのすぐ横に「頼家の墓」その近くに頼家の死後再起を期して謀反を企て挙兵前に発覚して殺された家臣の墓「十三士の墓」があります。

(左)指月殿 (中)頼家の墓 (右)十三士の墓
最後に筥湯を見ました。日帰り温泉になっているようです。桂川沿いに連なる修善寺温泉は落ち着いたたたずまいですが過去の歴史を辿ると悲しい物語の舞台だったのですね。
筥湯と桂川沿いの修善寺温泉のたたずまい。
今日行った韮山・修善寺の史跡はいずれも初めての訪問でした。近すぎて行っていない所って多いものです。
どちらも歴史を感じる場所です。冬にしては凌ぎやすい暖かな一日でした。
まずは韮山の江川邸に行きました。江川家は元々源氏の流れをくみ源頼朝の平家に対する挙兵にも参戦しています。鎌倉・室町時代は伊豆の豪族としてこの地に君臨していました。徳川幕府の直轄地となってからは、代官としてこの地を統治していました。当主は太郎左衛門を世襲して名乗っていました。秀龍は幕末の文化人思想家技術者として名をはせました。


江川邸とその内部の土間。土間だけで50坪あります。


(左)米蔵。これだけでも十分住めそうな広さです。 (右)食料確保の観点からパンを焼く事を思いつき広めた。
次に源頼朝が流された蛭ヶ小島に行きました。ここは公園となっていて当時を偲ばせるものは残っていません。平治の乱で敗れ平清盛に処刑されるところを清盛の継母池禅尼の命乞いによりこの地に流罪となった。もし処刑されていたら日本の歴史も変わっていたかもしれませんね。

蛭ヶ小島から農道のような道を5分ほど走ったところに「韮山の反射炉」があります。国指定史跡に指定されていますが、世界遺産を目指しています。前出の江川秀龍が手掛け後に完成しました。実際に稼働した反射炉としては世界で唯一現存する反射炉です。アヘン戦争等により植民地化を恐れ西洋砲術の導入を迫られ、ペリーが来航し江戸湾防備が急務となり品川沖に台場を設置する事となり、この大砲を製造するのが反射炉でした。


この後は韮山から修善寺に向かいました。
まずは修善寺を少し通り越して旭滝を見に行きました。いつも仕事でこの辺を通ると「名勝 旭滝」と書いてある看板を見かけ気になっていました。国道から細い道に入るとすぐに神社の前で行き止まりになります。車から降りると水が落ちる音がしてきます。神社の横手に行くと高いところから落ちてくる滝が出現します。なんと高さは105mで6段に屈折して落ちてきます。あまりメジャーではないので初めて見て感動でした。伊豆では滝といえば「浄蓮の滝」「河津七滝」が有名ですがここにも素晴らしい滝がありました。

修善寺に戻り静岡県の文化財に指定されている「ハリストス正教会」の前を通り、温泉街に入って行きます。

まずは修禅寺を見ていきました。鎌倉二代将軍頼家がここに幽閉されました。その後この修善寺で殺害された悲しい歴史があります。参拝者が多く来ていました。


その修禅寺の前を流れる桂川に独鈷の湯があります。現在は足湯となっています。大同2年(807年)に、弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつかれた父の体を洗う 少年を見つけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷たかろう」と、手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたという言い伝えがあります。

桂川を渡って少し行ったところに竹林の小径がありますが、感じはいいのですが少し短いので「もう終わったのか」と思ってしまいます。

次に指月殿を見てきました。ここは修善寺温泉で暗殺された源頼家の冥福を祈って、母政子が指月殿、宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏などを修禅寺に寄進したものだそうです。そのすぐ横に「頼家の墓」その近くに頼家の死後再起を期して謀反を企て挙兵前に発覚して殺された家臣の墓「十三士の墓」があります。



(左)指月殿 (中)頼家の墓 (右)十三士の墓
最後に筥湯を見ました。日帰り温泉になっているようです。桂川沿いに連なる修善寺温泉は落ち着いたたたずまいですが過去の歴史を辿ると悲しい物語の舞台だったのですね。


今日行った韮山・修善寺の史跡はいずれも初めての訪問でした。近すぎて行っていない所って多いものです。