昨日の事です。
昨日同様妻と姉の同行で松阪を訪ねてきました。
姉の家の鈴鹿からは約1時間で到着します。コヤチンは松阪を巡るのは初めてです。
しかし今日も暑い!!
無料の市営駐車場に車を置いて出かけます。
まずは近くにあります松阪城跡のある松阪公園に行きます。
石垣は残っています。本丸までの道はかなり傾斜がキツい。今日も気温が高いので早くも汗が噴き出てきました。
本丸まで行きましたが、茂った木が展望を妨げていましたのが残念でした。
公園内に国学者本居宣長の旧宅(鈴屋)があります。
その近くに本居宣長記念館があって様々な資料が展示されています。
こんな日ですので外にいるより屋内の展示室のエアコンが気持ちいいです。
「古事記伝」の執筆に関する様々な展示物を見て回りましたが、医者の傍ら夜国学の研究をするというバイタリティを感じました。
城跡から御城番屋敷(重要文化財)が見えます。
江戸時代末に松坂城の警護の任にあたった40石取りの紀州藩士20人と、その家族が住んでいた屋敷です。
江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家 屋敷です。
下に降りて屋敷の通りを歩いてみました。
建物を取り囲む槙の生け垣が並ぶ所と道路の石畳に風情を感じます。
御城番屋敷から程近い場所に原田二郎宅があります。
この界隈は同心町といいます。同心という役の役人たちが住んだ場所でもあります。
実業家「原田二郎」は21歳から京都や東京で遊学の後、27歳で大蔵省に就職し、31歳の若さで第七十四国立銀行(横浜銀行の前身)の頭取に就任しました。
54歳の時、二郎は有名な政治家・井上馨に依頼され、大阪の鴻池銀行を再建しました。そして1920年、全財産1020万円(現在の約150億円)を投じて、財団法人原田積善会を設立、以来、現在にいたるまで全国の社会公益事業に対して様々な助成活動を行っています。
この後は少し町の方に戻っていきます。
本居宣長宅跡。先程の旧宅は移築されたのですが、元々はここにありました。
ここでお昼にしようかと思いましたが洋食屋「牛銀」さんは混んでいまして待ち時間が1時間ほどありましたので先に見学をしてきました。
三井家発祥の地(改修中)の横を通って旧小津清左衛門家を見てきました。
小津清左衛門家は、江戸時代には三井家・長谷川家・長井家等とともに、いち早く江戸に出店を構え、財をなした松阪屈指の豪商です。
小津家の商人の繁栄ぶりがうかがえました。
1653年に江戸伝馬町で小津紙店を創業、その後伊勢屋木綿店、大橋屋紙店を開業して規模を大きくしていきました。
前蔵・内蔵2つの蔵あります。
座敷から見る庭、ちょうど一つの絵の様になっています。
最後に旧長谷川治郎兵衛家(重要文化財)
長谷川家は、三井家・小津家・長井家などとともに松阪を代表する江戸時代から続く江戸店持ちの豪商のひとつです。平成25年、長谷川家から創業以来の土地・建物、そして87,000点にも及ぶ膨大な資料が松阪市に寄贈されました。
建物群が国重要文化財に指定を受けています。
蔵の中は資料が展示されています。千両箱持ち上げ体験ができました。重い!!
離れ、落ち着いた雰囲気です。
庭園には池もあって市街地ですが異質な雰囲気がありました。
最後に洋食屋「牛銀」でお昼を頂きました。
松阪牛ビーフカツ丼。松阪牛がリーズナブルな価格で堪能できます。
満足して松阪散策を終えました。
松阪は著名な商人の出身地であって、近江商人などと似ているのが堅実性がある点でしょうか。
昨日と今日かなり高温の中歩いてみました。外歩きと展示館のエアコンの中の温度差は体には良くないかもしれませんが、熱中症にならなくて良かったと思います。
昨日同様妻と姉の同行で松阪を訪ねてきました。
姉の家の鈴鹿からは約1時間で到着します。コヤチンは松阪を巡るのは初めてです。
しかし今日も暑い!!
無料の市営駐車場に車を置いて出かけます。
まずは近くにあります松阪城跡のある松阪公園に行きます。
石垣は残っています。本丸までの道はかなり傾斜がキツい。今日も気温が高いので早くも汗が噴き出てきました。
本丸まで行きましたが、茂った木が展望を妨げていましたのが残念でした。
公園内に国学者本居宣長の旧宅(鈴屋)があります。
その近くに本居宣長記念館があって様々な資料が展示されています。
こんな日ですので外にいるより屋内の展示室のエアコンが気持ちいいです。
「古事記伝」の執筆に関する様々な展示物を見て回りましたが、医者の傍ら夜国学の研究をするというバイタリティを感じました。
城跡から御城番屋敷(重要文化財)が見えます。
江戸時代末に松坂城の警護の任にあたった40石取りの紀州藩士20人と、その家族が住んでいた屋敷です。
江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家 屋敷です。
下に降りて屋敷の通りを歩いてみました。
建物を取り囲む槙の生け垣が並ぶ所と道路の石畳に風情を感じます。
御城番屋敷から程近い場所に原田二郎宅があります。
この界隈は同心町といいます。同心という役の役人たちが住んだ場所でもあります。
実業家「原田二郎」は21歳から京都や東京で遊学の後、27歳で大蔵省に就職し、31歳の若さで第七十四国立銀行(横浜銀行の前身)の頭取に就任しました。
54歳の時、二郎は有名な政治家・井上馨に依頼され、大阪の鴻池銀行を再建しました。そして1920年、全財産1020万円(現在の約150億円)を投じて、財団法人原田積善会を設立、以来、現在にいたるまで全国の社会公益事業に対して様々な助成活動を行っています。
この後は少し町の方に戻っていきます。
本居宣長宅跡。先程の旧宅は移築されたのですが、元々はここにありました。
ここでお昼にしようかと思いましたが洋食屋「牛銀」さんは混んでいまして待ち時間が1時間ほどありましたので先に見学をしてきました。
三井家発祥の地(改修中)の横を通って旧小津清左衛門家を見てきました。
小津清左衛門家は、江戸時代には三井家・長谷川家・長井家等とともに、いち早く江戸に出店を構え、財をなした松阪屈指の豪商です。
小津家の商人の繁栄ぶりがうかがえました。
1653年に江戸伝馬町で小津紙店を創業、その後伊勢屋木綿店、大橋屋紙店を開業して規模を大きくしていきました。
前蔵・内蔵2つの蔵あります。
座敷から見る庭、ちょうど一つの絵の様になっています。
最後に旧長谷川治郎兵衛家(重要文化財)
長谷川家は、三井家・小津家・長井家などとともに松阪を代表する江戸時代から続く江戸店持ちの豪商のひとつです。平成25年、長谷川家から創業以来の土地・建物、そして87,000点にも及ぶ膨大な資料が松阪市に寄贈されました。
建物群が国重要文化財に指定を受けています。
蔵の中は資料が展示されています。千両箱持ち上げ体験ができました。重い!!
離れ、落ち着いた雰囲気です。
庭園には池もあって市街地ですが異質な雰囲気がありました。
最後に洋食屋「牛銀」でお昼を頂きました。
松阪牛ビーフカツ丼。松阪牛がリーズナブルな価格で堪能できます。
満足して松阪散策を終えました。
松阪は著名な商人の出身地であって、近江商人などと似ているのが堅実性がある点でしょうか。
昨日と今日かなり高温の中歩いてみました。外歩きと展示館のエアコンの中の温度差は体には良くないかもしれませんが、熱中症にならなくて良かったと思います。
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