病院で思い出したこと
その1 わたしのお母さん
先日、家内が検査を受けることになり、病院へ付いて行きました。
この病院は30年ほど前、私の母親が9年間入院していた病院で、毎日、会社への行き帰りに立ち寄っていました。
それは、確か秋、10月頃だったと思います。ある日仕事で遅くなり、病院へ着いたのが夜10時前、看護婦さんに様子を聞き、洗い物などを受け取り、すぐに駐車場に向かいました。駐車場への出入り口へ続く板張りの廊下は薄暗く、その先にガラスの入った木製の自動扉があります。この扉は夜8時になると内から外には出られますが、外から入ることはできません。
その扉に近づいたとき、一瞬身が凍りつき足が釘付けになりました。扉の外側に白いパジャマ姿の長い髪の毛の小学校一、二年生くらいの女の子の姿が見えたのです。普段、「霊とかは気の持ちよう」などと思っていたのですが、このときは本当に頭の芯まで血の流れが止まったような気がしました。
しかしすぐに、入院していて間違って外に出て、中に入ることができなくなったのだと思いました。扉を開け、中に招き入れると、その女の子は「わたしのお母さん、この病院にいるの?」と聞いてきました。入院患者ではなく、病院へ入院したお母さんをたずねて夜道を歩いて来たのでした。寒かったのか女の子の白い顔がいっそう白く見えました。急いで警備員さんのところへ連れて行きました。その途中で聞くと家は隣町ですが、女の子の足では30分はかかったと思います。
翌朝、受付で聞くと女の子はお母さんに会うことができ、家に連絡し、迎えに来てもらったそうです。
女の子がいた扉のあった場所は今では建て替えられて、当時の様子は全くうかがい知ることはできません。
時間があったのでその場所に行ってみました。
そのときの女の子は今ではそのときのお母さんと同じくらいの年になっているのではないかなと思いました。きっとやさしいお母さんになっていることでしょう。
その2 ばあちゃん
日曜日の病棟のエレベータは多くの人が乗っていました。
エレベータの中は静かな、少し重苦しい病院独特の雰囲気です。
5階で小さな男の子が若い母親に抱かれて乗ってきました。エレベータの前には見送りに来た腰の少し曲がったおばあさんが手を振っています。ドアが閉まり、エレベータは4階で止まりました。4階では一人降りるだけで乗る人はいません。
そのとき、男の子が「あっ~! ばあちゃん きえた」とおどろきの声をあげました。
それまで、声を出すことも憚られるようなエレベータの中に微笑み、笑いがおこりました。エレベーターの中が明るくなりました。
その男の子がキューピットのように思えたのは、私だけではなかったと思います。
なお、検査を受けた家内には異常は見られなく、一日の検査入院だけで退院することができました。