今日は、二十四節気の春分、太陽が真東から昇り真西に沈む日、
昼と夜の長さがほぼ等しくなるお彼岸の中日ですね!
朝から晴天に恵まれ、お墓参りに行かれる方も多いと思います。
春分と、秋分の頃は「お彼岸(ひがん)」といわれますが、「彼岸」
とは、そもそもどんな意味?
「彼岸(ひがん)」とは、「此岸(しがん)」に対する言葉で、ともに
語源は 仏教からです。
彼岸とは向こう岸、すなわちあの世、極楽浄土の事で、春分
の日・秋分の日は、真西へ沈む夕日に 極楽浄土を念じて、
「彼岸の日」と呼ぶようになったようです。
「此岸」(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では
「娑婆(しゃば)世界」とも いわれます。
「娑婆」とは、昔のインドの言葉で、「堪忍土(かんにんど)」と
訳されます。
つまり、私たちの住むこの此岸「娑婆世界」は、「耐え忍ぶ世界」
ということなんですね。。
たしかに、人生には耐え忍ばねばならぬことが 多くありますね!
たとえ、生活上の苦しみが さほど 激しくは なくても、いつの時代、
どこの国に住む人にも 避けて通れないのが、人間関係の苦しみ
では ないでしょうか?。
二人以上の人間が集まれば、互いに「ああしたい」「こうしたい」の
欲望がぶつかり合って、その調整に苦しみ、時に、争いも生じます。。
また、肉体も「老い」や「病」との格闘が常に強いられる人生ですから、
私たちの住むこの「此岸」は、まさに「堪忍土」と言えるのでは。。
2600年の昔、「人生は苦なり」と喝破されたブッダの言葉にも、
なるほどと、うなずかずにおれません。。
ところで、私たちも何時か、三途の川を渡って、此岸(この世)から、
彼岸(あの世)に逝くわけですが・・・
その際、あの世には持っていけないお金や財産、肉体や生に対す
る執着や未練が強すぎると・・・
その重さに引かれて、三途の川をうまく渡ることが出来ずに、途中
で川底(地獄)に沈んでしまうという話を聞いたことがあります。。
すんなりと、彼岸(あの世、極楽浄土)へ渡って行くためには・・・
出来るだけ、それらに対する執着や未練を手放し、身軽になる
必要がありますが・・・
誰でも簡単にそれが出来たら苦労はないのですが・・・
なかなか難しい話ですね~ (^_^;)。。。
暖かな春の陽ざしに誘われて蝶も舞い始めた、
ムラサキハナナに来たキチョウ。
菜の花とヒラタアブ。
春分、今朝の有明の月。