12月27日 (水曜日) 晴れ
北の地方では大荒れの天気が

強風で灯台まで無くなってしまった映像が・・恐ろしい。
北海道のホワイトアウト状態の中を中継するレポーターの声もうわずる。


この関東も晴れてはいるが、今日は気温が上がらない。
しかも乾燥が激しい。
~~~~~~~~~~~~~
”みかん”の事がコラムにあった。!

「常世(とこよ)の国」は日本の古代人が海の向こうにあると
信じた不老不死の理想郷である。
古事記や日本書紀には
そこからもたらされた「非時(ときじく)の香果(かぐのみ)」の話がある。
いつもかぐわしい香りを放つ果実という意味である。

▲天皇の命で常世へ赴き、この果実を持ち帰ったのが
田道間守(たじまもり)という人物だった。
果実は「橘(たちばな)」と呼ばれたが、
今のタチバナともキシュウミカンともいわれる。
この田道間守がお菓子やみかんの祖神として祭られるようになったという。
▲冬にも黄金色の実と緑の葉をもつかんきつ類を
太陽と不老長寿のシンボルにみたてたご先祖だった。
正月飾りや鏡餅に添えられるのもその霊力を信じてのことだが、
そう思えば寒い夜のコタツの上のみかんも小さな太陽に見えてくる。
▲そのみかんの卸売市場の相場が供給不足により21年ぶりの高値という。

日本農業新聞によれば、供給減の原因の一つは秋の天候不順だが、
それにも増して生産者の高齢化や園地の老木化という。
生産基盤の弱体化が影響しているようだ。
▲いわれてみれば確かに傾斜地の多いみかん園での手作業に頼る生産は高齢者には厳しい。
樹齢50年以上の老木の更新も進まず、木の疲れも深刻らしい。
この先、安定した生産の確保は難しく、労働負担の軽減などの対策が必須という。
▲「みかん黄にふと人生はあたたかし 高田風人子」

だが、みかんの需要も最盛期の約4分の1に減っている。
常世からやってきた太陽と生命の果実の
老化と先細りがちょっと心配な日本社会の明日である。
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蛇足)
白山神社の記述にも・・
日本書紀によると、「垂仁天皇の御代、天皇は田道間守(たじまもり)に、
常世の国(中国南部からインド方面)の不老不死の理想郷に行き、
”ときじくのかぐのこのみ”(非時香具菓、今の橘の実)を求めに遣わせました。
艱難辛苦の9年間シナとインドとを経た末、
ようやく手に入れた木の実を持ち帰ったとこ ろ、
すでに垂仁天皇は崩御され、嘆き悲しんだ田道間守は垂仁天皇の御陵にもうでて
帰国の遅れたお詫びと約束を果たしたことを報告し、
持ち帰った橘の半分を 墓前に捧げその場を去らず、絶食数日、殉死した」と伝えられます。
また、『古事記』の本文では非時香果を「是今橘也」(これ今の橘なり)としており、
その後都が平安京に移った後、京都御所には右近橘、左近桜として橘が植えられています。
これを嘉(良き前例)として、
全国津々浦々の神社等にも左近の右近の橘、左近の桜が植えられています。


守り袋の中に橘の実が入っています。

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北の地方では大荒れの天気が


強風で灯台まで無くなってしまった映像が・・恐ろしい。

北海道のホワイトアウト状態の中を中継するレポーターの声もうわずる。



この関東も晴れてはいるが、今日は気温が上がらない。

しかも乾燥が激しい。

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”みかん”の事がコラムにあった。!


「常世(とこよ)の国」は日本の古代人が海の向こうにあると
信じた不老不死の理想郷である。
古事記や日本書紀には
そこからもたらされた「非時(ときじく)の香果(かぐのみ)」の話がある。
いつもかぐわしい香りを放つ果実という意味である。

▲天皇の命で常世へ赴き、この果実を持ち帰ったのが
田道間守(たじまもり)という人物だった。
果実は「橘(たちばな)」と呼ばれたが、
今のタチバナともキシュウミカンともいわれる。
この田道間守がお菓子やみかんの祖神として祭られるようになったという。
▲冬にも黄金色の実と緑の葉をもつかんきつ類を
太陽と不老長寿のシンボルにみたてたご先祖だった。
正月飾りや鏡餅に添えられるのもその霊力を信じてのことだが、
そう思えば寒い夜のコタツの上のみかんも小さな太陽に見えてくる。
▲そのみかんの卸売市場の相場が供給不足により21年ぶりの高値という。

日本農業新聞によれば、供給減の原因の一つは秋の天候不順だが、
それにも増して生産者の高齢化や園地の老木化という。
生産基盤の弱体化が影響しているようだ。
▲いわれてみれば確かに傾斜地の多いみかん園での手作業に頼る生産は高齢者には厳しい。
樹齢50年以上の老木の更新も進まず、木の疲れも深刻らしい。
この先、安定した生産の確保は難しく、労働負担の軽減などの対策が必須という。
▲「みかん黄にふと人生はあたたかし 高田風人子」

だが、みかんの需要も最盛期の約4分の1に減っている。
常世からやってきた太陽と生命の果実の
老化と先細りがちょっと心配な日本社会の明日である。
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蛇足)
白山神社の記述にも・・
日本書紀によると、「垂仁天皇の御代、天皇は田道間守(たじまもり)に、
常世の国(中国南部からインド方面)の不老不死の理想郷に行き、
”ときじくのかぐのこのみ”(非時香具菓、今の橘の実)を求めに遣わせました。
艱難辛苦の9年間シナとインドとを経た末、
ようやく手に入れた木の実を持ち帰ったとこ ろ、
すでに垂仁天皇は崩御され、嘆き悲しんだ田道間守は垂仁天皇の御陵にもうでて
帰国の遅れたお詫びと約束を果たしたことを報告し、
持ち帰った橘の半分を 墓前に捧げその場を去らず、絶食数日、殉死した」と伝えられます。
また、『古事記』の本文では非時香果を「是今橘也」(これ今の橘なり)としており、
その後都が平安京に移った後、京都御所には右近橘、左近桜として橘が植えられています。
これを嘉(良き前例)として、
全国津々浦々の神社等にも左近の右近の橘、左近の桜が植えられています。


守り袋の中に橘の実が入っています。

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