中さん

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日記(12.31)

2024-12-31 15:33:54 | 日常
2024  12月31日  (火曜日)     ②

コラム記事には桃の事が
 ▼桃には古くから邪気を祓(はら)う力があるとされてきた。
  それゆえ健やかな成長を願う節句に用いたり、
  桃をかたどった瓦を城の天守に取り付けたりした。
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メモ  
桃瓦のあるお城は、
宇和島城・犬山城・大阪城・和歌山城・岡山城・大多喜城
の6城です。
今年は犬山城に行けたので良かった!

★残念ながら宇和島城には行けてない。
 他の城は行っているが桃の瓦まで見ていない・・最もそこまで気が付かなかった!
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 ▼桃の弓を使うとされたのは大みそか「追儺(ついな)の儀」である。

  中国から伝わり、『続日本紀』に記述が残る。
  宮中では儀式の際などことあるごとに悪霊を祓ってきたが、
  一年の最後の夜にけがれを徹底的に追いやろうというわけで、
  「鬼やらい」とか「鬼追い」「鬼打ち」と呼ばれる


 ▼いきなり鬼を追い出しにかかるのではない。
  まず陰陽師(おんみょうじ)が退散するよう説得し、
  それから葦の矢を放ったとか。

  追儺の儀は蜻蛉(かげろう)日記や源氏物語など平安文学にも登場する。
  幼い子どもにとってはにぎやかで楽しい行事だったのだろう

 ▼節分の豆まきのルーツが追儺とされ、形を変えて今に伝わる。
  区切りの日に、気持ちがふさぐような出来事を遠くに追い払いたいと思うのは、
  いつの時代も同じなのかもしれない
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼皆さんにとって今年はどんな一年だったろう。
  能登半島は元日から大地震に見舞われ、
  秋の豪雨が被害に追い打ちを掛けた。
  県内は大きな災害こそなかったものの、
  胸の痛むような事故や事件は枚挙にいとまがなかったように思う

 ▼全てを天に任せるわけではないが、
  わが身の改めるべきところは改め、備えるべきものは備えたい。
  桃の弓を携えたつもりで悪鬼を追い払って気分を一新しよう。
  どうぞ良いお年を。
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平安神宮では、平安時代の宮中で行われていた
「追儺(ついな)」や「鬼やらい」といった祓いの儀式を再現しています。

大儺之儀(だいなのぎ)では、四つの金色の目が特徴の「方相氏」が登場し
矛と盾を打ち鳴らしながら「鬼やろう」と叫び、邪鬼を祓っていきます。

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年越しにお蕎麦をいただいて・・・
 良い年だったか思い起こしている。
ただただ暑かった長い夏が記憶に強い。
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日記(12.31)

2024-12-31 10:14:27 | 日常
2024   12月31日  (火曜日)      晴

ズーっと良い日が続く。
陽が伸びた。昨日の夕暮れを庭から。

穏やかに暮れていった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 昨日、生牡蠣をいただいた。
◉殻を剥がすのは毎年やっているので、上手になった。

大きさも丁度いい。20個ほどあった。
私達夫婦も息子も生の牡蠣は大好きなので良かった。
ポン酢でいただく。磯の香りが強い。

ペロと食べてしまった。
数年前までは行きつけの寿司屋で岩牡蠣をいただいていたので
その味が脳裏をよぎる。
食べてる年はめったに風邪は引かなかったなあ~!
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◉今朝の読売新聞 編集手帳

今年亡くなった有名人の事が・・・
皆さん弱点を強みにして人生を築いてきたんだなあ~。
ただ、並みの努力では無かったろうに・・
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◉アメリカ元大統領のジミー・カーター氏が亡くなった記事が・・

 米国で第39代大統領(1977~81年)を務めた
 ジミー・カーター氏(民主党)が29日、100歳で死去した。
 存命の米大統領経験者で最年長だった。
 非政府組織(NGO)カーター・センターが発表した。
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 1期4年で退任したが、その後の北朝鮮訪問など民間外交が高い評価を受けた。
 2002年には、国際紛争解決への尽力などでノーベル平和賞を受賞。
 「史上最高の元大統領」と呼ばれた。
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★私は革命後のイランで起きた米大使館での人質事件救出失敗の記憶が強い。
 1期で職を辞し、次がレーガン大統領になったなあ。日本は中曽根首相だった。
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★確か2000年頃だったと思うが、フィリピンの工場立ち上げ時、セブ島に足を延ばした時
 丁度、NGOで平和活動の一環だったか、カーター氏が当地の団体と浜辺でイベントをしていた。
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日記(12・30)

2024-12-30 19:28:03 | 日常
2024  12月30日  (月曜日)    晴

明日の大晦日を過ぎれば2025年だ!
お正月が来るというが、私はピンと来てないなあ~!
少しでも正月を迎える気分を作っておこう。
 野菜を収穫しておく。ここ一年間は全く野菜は買ってない。
出来は良くないが家庭菜園のたまものだ。

年越し用にと昨日に続き、おそばを打つ。
幾分暖かい日でうまく打てた。

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毎日新聞 余録には
株式相場の格言…
今年
4万2000円を超えた日経平均株価を表示したモニター

4000円超も急落した日経平均株価の終値を示すモニター

相場の動き

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 ◉株式相場の格言「辰巳(たつみ)天井」は竜が天に昇るように
 辰年の株価は上がるという意味だ。

 今年半ばまではその通りだった。
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 ◉日経平均はバブル期の最高値を更新し、4万円も初めて突破した。
 ▲要因の一つは、株で得た利益への非課税枠を大幅に拡充した「新NISA(ニーサ)」が始まり、
  投資に乗り出す人が増えたことだ。
  気をよくした政府は
 「貯蓄から投資へ」
と旗を振った
かも
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▲だが8月には過去最大の4000円超も急落する場面があった。
 その後は持ち直し、きょう今年最後の取引を迎えるが、
 老後への不安から株を始めた人は気をもむ1年だっただろう。

「老後の備えは投資で稼ぎなさい、
  と政府が政策の失敗のツケを国民に押しつけているように見える」。

  こう語るのは、中小企業などの経営コンサルタントを務め、
  投資に関する著作も多い名古屋大客員教授の小宮一慶(かずよし)さん(67)だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2%超の物価上昇が続き、金利がほぼゼロの預金は目減りするばかりだ。
 アベノミクスの異次元緩和の弊害が残っている。
 「小さな会社で一生懸命働いて
  お金をコツコツためた人が損をする社会はおかしい。
  投資に関心があれば学んでほしいが、
  無理にリスクを取らずに済むよう
  インフレに見合う金利が必要だ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
巳年はヘビの脱皮にちなんだ「再生」の意味があり、
 格言でも株高のようだが、過去は米同時多発テロなど波乱が多かった。
 高関税を振りかざすトランプ米政権も発足する。
 相場頼みに陥らず、国民が安心して暮らせる社会を作るのが政府の役割だ。
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🔵メモ
  NISA;ニーサ?
少額投資非課税制度
  NISA(ニーサ)は、少額からの投資を行う方のために2014年1月にスタートした
 「少額投資非課税制度」です。

 イギリスのISA(Individual Savings Account=個人貯蓄口座)
  モデルにした日本版ISAとして、
  NISA(ニーサ・Nippon Individual Savings Account)という愛称がつけられました。
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★個人的に思うのは!日本人は貯蓄は上手だが投資は少額とは言え
 なじみが薄い。株価・相場の動きに大きく連動してくるので
 常に相場や政治の動向に注視がいる。疲れる!
 良い時もあるが悪い時はあっという間に来るので注意が必要。
★巳年に限らず景気は乱高下が突然起こるので更に要注意。
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蛇足
◉昔の格言に「株価は節分天井」というのもあったなあ・・
 今はコンピュータがやっていてわからない。
◉知り合いのO氏は好景気の時期に証券会社に勤務。
 当時ボーナス時にはお札が縦に建っていたとか!
 1000株で家が建ったと・・・言う。
 そんな良い時期もあったんだ。
こんな夢の様な・・・ことを聞いていた。
 
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日記(12・29)

2024-12-29 18:44:36 | 日常
2024   12月29日   (日曜日)   晴    ②

午前中にお蕎麦を打ち始めた。

一回目を打ったところで、少々腰に疲れが出てきたので
今日はこれで終わる。明日からまた打とう。
風は冷たい日。
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毎日新聞の 余録には

日本の学校給食は…

◉学校給食発祥の地は山形県鶴岡市。
 日本の学校給食は、山形県鶴岡市が発祥の地とされる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
◉1889(明治22)年、寺に作られた小学校に
 弁当を持参できない貧しい家庭の子どもたちのため、
 住職が寄付を募り食事を提供した。
 僧侶たちが托鉢(たくはつ)で資金集めに協力したこともあったという
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲発足時から「無償」と深い関係があった学校給食を巡る動きだ。
 立憲民主党など野党3党は全国の公立小中学校の給食を
 来春から国費負担で無償化する法案を国会に提出した。
 実現には5000億円近い財源が必要とみられている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲子育て支援の拡充や子どもの貧困対策が課題となる中、
 給食無償化は自治体が主導して広がってきた。
 国によると、
 昨年9月時点で全体の約3割にあたる547自治体がすでに小中校で完全無償化を実施している。
 子どもの多い世帯を対象にするなど条件つきの実施を含めれば、さらに増える

▲政府も是非を検討しているが、アレルギーなどで給食を利用できない子どもとの不公平や、
 費用を抑えようと質が低下することを懸念する見方もある。
 少数与党政権に野党はさまざまな施策を要求しているだけに、優先順位が問われよう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲学校給食を巡っては戦後の食糧難時代、
 日本を支援する国際NGOからの「ララ物資」が再開を後押ししたといういきさつがある。
◉海外に移住した日系人らが支援の中心だった。
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「ララ物資」メモ
ララ物資の内容は何ですか?
積荷の内容はミルク、米の粉、バター、ジャム、缶詰、などの食料や衣類だった
(食料7割、衣類2割、他医薬品等の割合である)。 これによって戦後の学校給食が開始されたのである。 この莫大なる援助の陰には一人の在米日本人が大きく関わっている。


★第 2 次世界大戦後、戦災国である日本に
 アメリ カの民間団体 Licensed Agencies for Relief in Asia(通称 LARA、以下「LARA」という。) が 1946 年 11 月から 1952 年 6 月まで送った救援物資のことである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
共助に支えられた経験も持つ給食への公助をどう考えるか。
  憲法は「義務教育は、これを無償とする」と定めている。
 その意味を改めて考える時であろう。
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日記(12.29)

2024-12-29 09:56:57 | 日常
2024  12月29日  (日曜日)  晴

昨日のラグビーの余韻が残った。ワイルドナイツは2連勝
厳しい戦いが、続くと思っていたが勝ち進んでいる。東芝戦が楽しみだ!
●他の試合もショートで見ている
~~~~~~~~~~~~~~~~~。
◉サントリーとトヨタが破れたのにはびっくりだ。
 両チームとも2連敗となった。
 今年のリーグワンは勢力図に変化がありそうだ。
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群馬 上毛新聞のコラムに
利根川を挟んであきらかに群馬側にある地に埼玉の部分がある。

 ▼今から70年前の冬、合併の在り方を巡って小さな村が揺れた住民投票があった。村全体で群馬県に残るか、分割して一部は埼玉県に入るか。村を二分した議論は紛糾し、苦心の末に実施した投票の行方が注目された

 ▼小さな村とは利根川を挟んで南北に分かれる佐波郡島村である。
  投票の結果、当時の境町に合併することが決まった。
  村全体では6割超が群馬県への残留を望んだが、
  埼玉県側の南部地区に限れば421票対353票で、わずか68票差という結果だった


 ▼群馬側のこちらに残ったとはいえ
  「坂東一の川」で分断された南部の立地は明らかに埼玉県である。

 蚕種業で財をなし、豊かな文化を誇った島村のその後の歩みは、
  地理的な不自由さもあって必ずしも平たんではなかった。

 ▼しかし住民投票から60年後、にわかに脚光を浴びることになる。
  「田島弥平旧宅」が世界文化遺産となったためだ。
  決定の報を受け、地元では祝賀セレモニーが開かれ、住民ら300人が万歳三唱した

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 ▼あの熱狂からさらに10年がたった。
  一躍「養蚕の聖地」と称賛された島村も、
  来訪者の減少にあらがえずにいる。
  高齢化が進む中、弥平旧宅に引けを取らない
  養蚕農家群をいかに後世に伝えていくかも重い課題だ


 ▼島村の土手から望む赤城山は、
  本県側と変わらぬ姿でそこにある。眼前に横たわる利根の流れを眺めながら、
  この地に生きる群馬県民の70年を思った。
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★高校時代にはこの地区の浅瀬での魚釣りに出かけたが
 向こう側に埼玉県部分があって、選挙でそのままになったとか聞いていた。
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