1月31日 (火曜日) 晴れ風あり
午後から”大里あすねっと”でハートフルセミナーの2回目。
北風の強い日だ!ここは遮るものもなく冷たい風に押される。
アトラクションで熊谷消防音楽隊の演奏が行われる。
その後、人権問題のセミナーだったが難しい問題だ!
~~~~~~~~~~~~~~~~~
話変わって
地方紙のデイリー東北のコラムに・・天鐘(1月31日)
今、お母さん達は外出すると赤ちゃんへの授乳場所探しに一苦労するという。
だが江戸時代なら恥ずかしいことではなく、
人目をはばからず堂々と赤ちゃんに乳を吸わせていた。
江戸後期の絵師、喜多川歌麿の浮世絵『乳呑ませ』は、
胸にすがって無心に乳を吸う子を愛おしげに見詰める女性を描いた傑作。
この作品を表紙絵にした沢山美果子さんの著書『江戸の乳と子ども』が面白い.
江戸期、生まれた子が育つ確率は半々で、命を繋ぐのは唯一女の乳だった。
粉ミルクが開発される大正期までは人前での授乳は当たり前。
むしろ神々しい光景に衆目が優しく注がれ、多くの絵師が浮世絵に残した。
~~~~~~~~~~~~~~
出産は命懸けで、母を亡くした子は貰い乳で生き延びるか
捨て子にされるしかなかった。
母乳へのこだわりはなく人乳が売買の対象になり、
乳を売る「乳持ち奉公」や乳母が母のない子の命脈を繋いだという。
著書には八戸藩『遠山家日記』に残る上級武士の例もある。
当主の妻が産後に急死、久慈の領民から「乳持ち」を呼び赤子に授乳させた。
往復130キロも歩かされ、10日も屋敷で奉公する産婦の負担は大きかった。
脆い命を繋ぐには重層的な供給網が不可欠だった。
今は母乳で育てる親が増えているが当時は母乳の概念すらなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
貰い乳、子持ち奉公、乳母、そして捨て子。
飲めるか飲めないか―乳を巡る厳し過ぎる歴史があったという。
午後から”大里あすねっと”でハートフルセミナーの2回目。
北風の強い日だ!ここは遮るものもなく冷たい風に押される。
アトラクションで熊谷消防音楽隊の演奏が行われる。
その後、人権問題のセミナーだったが難しい問題だ!
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話変わって
地方紙のデイリー東北のコラムに・・天鐘(1月31日)
今、お母さん達は外出すると赤ちゃんへの授乳場所探しに一苦労するという。
だが江戸時代なら恥ずかしいことではなく、
人目をはばからず堂々と赤ちゃんに乳を吸わせていた。
江戸後期の絵師、喜多川歌麿の浮世絵『乳呑ませ』は、
胸にすがって無心に乳を吸う子を愛おしげに見詰める女性を描いた傑作。
この作品を表紙絵にした沢山美果子さんの著書『江戸の乳と子ども』が面白い.
江戸期、生まれた子が育つ確率は半々で、命を繋ぐのは唯一女の乳だった。
粉ミルクが開発される大正期までは人前での授乳は当たり前。
むしろ神々しい光景に衆目が優しく注がれ、多くの絵師が浮世絵に残した。
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出産は命懸けで、母を亡くした子は貰い乳で生き延びるか
捨て子にされるしかなかった。
母乳へのこだわりはなく人乳が売買の対象になり、
乳を売る「乳持ち奉公」や乳母が母のない子の命脈を繋いだという。
著書には八戸藩『遠山家日記』に残る上級武士の例もある。
当主の妻が産後に急死、久慈の領民から「乳持ち」を呼び赤子に授乳させた。
往復130キロも歩かされ、10日も屋敷で奉公する産婦の負担は大きかった。
脆い命を繋ぐには重層的な供給網が不可欠だった。
今は母乳で育てる親が増えているが当時は母乳の概念すらなかった。
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貰い乳、子持ち奉公、乳母、そして捨て子。
飲めるか飲めないか―乳を巡る厳し過ぎる歴史があったという。