
大神神社


私は看護師です。消化器病センター所属ですが、放射線科メインで仕事をしています。
ラクな部署と侮ってはいけません。
放射線科は、造影アレルギーなど、患者の容態が急変することが多い部署でもあります。
救急外来からの飛び込み患者、心肺停止の患者、更には警察を伴っての厳戒態勢の中で人目につかないように放射線科に入る患者などなど。
ここには必ず看護師が必要な部署です。
昨日、病棟からCT造影検査の患者さんが降りてきましたが、造影用のルート(留置針)がちゃんと入っておらず取り直しですが、血管がボロボロでなかなか取れない。
私を含め数人のナースで格闘、留置針を入れ直して検査ができたのは1時間後でした。
1番辛いのは、もちろん痛い目をしている患者さんです。
83歳の高齢の女性のこの方、「すみませんね、私の血管が悪いんです」と謝るのです。
待ちのベッドで彼女に「痛い思いをさせてごめんなさいね、とても辛抱強いんですね」というと、
「もっと辛いことはいっぱいありましたから。私ね母を5歳の時に亡くして親戚たらい回しにされましてね、子供の頃から心臓病で体も弱くて沢山病気して骨折してプレート入れたり、それでもこうして生きてますの。戦争も経験しましたしね。」と笑みを浮かべながら話されたんです。
師長たちの言葉を思い出しました。
「80代の人は、高齢でもオペに耐えうる忍耐力というか、あれは凄い。戦争も経験し貧しく辛い経験をしてきたからかな」という言葉を。
そして亡くなった母を思い出しました。
私は彼女の腕をさすりながら、涙をポロポロと流してしまいました。
「ごめんなさいね、亡くなった母を思い出したんです。生きていれば患者さんのご主人と同じ歳でした」と。
彼女は「ごめんなさいね、辛いことを思い出させたのね」と優しい声で言いました。
私の母も強い人でした。私はほとんど怒られた記憶がなく、逆に、小学高学年から高校卒業まで反抗期が続き、厳しく大嫌いだった父へ対する激しい怒りを母にぶつけているような娘でした。
母はとても陽気で、誰にでも愛される人でした。
「私、亡くなった家族の分も生きていかないとね、患者さんのためにも頑張ってあと10年は働きます」と答えると、「頑張ってください、生きてると皆色々あるのよ、でも生きるしかないんです」と彼女は優しく言ってくれました。
2月の初めに、近所の友人と三輪山に登ります。私は2度目です。
昨年11月、彼女は手術をしました。私同様、大変な一年でした。
「三輪山はいい、私の山にするの、そして何度でも登りたい」と言っていたら、「私を連れて行って。願掛けしたい」と彼女は言い、2月の初めに行ってきます。
そして、この患者さんにお守りを貰ってきます。
優しいMさん、ありがとう御座います。どうぞ長生きしてください。
私たちはまだ50代半ば。この患者さんに比べたら、まだまだひよっこですね。
残りの人生、頑張ってしごとして、プライベートも充実させて、生きていることの尊さをかみしめたい。
ちゃこ花房〜本日も波瀾万丈〜
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