故郷の風景を思い出す時、よぎるのは木々、花々、いきもの。

叔母のご主人と一緒に」主人と私と妹朝から散策しました。














隣の家のヒメオウギスイセン








ジェットフリーの船内から見る五島の海

花だと、れんげ畑に、レンギョウ、桑、彼岸花、桜、竹林、菜の花、グミの木、そしてヒメオウギスイセン
数年前故郷に帰った時、主人と妹(三女)と、福江市の六方に住んでいる叔母の家に泊まった。
家の周りにはヒメオウギスイセンが沢山咲いていていて(帰省したのは7月)ヒメオウギスイセンの株を新聞紙に包んで持って帰ってきて、奈良の庭に植えました。
3、4本だった株はどんどん増えていき、綺麗な花を咲かせている。
母や叔母を思い出しては、涙が出て溢れる。
室生犀星
小景異情―その二
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
室生犀星、芥川龍之介、中原中也、江戸川乱歩を好んで読んでいた高校生の頃の自分。
小さい頃から本の虫だった私は、中学生の頃よく昼休みにも本を読んでいて
中学3年の時、担任(技術木工の男の先生)に、「今の時期に純文学を沢山よんでおきなさい」と言われ
それから意識して純文学も読むようになった。
何気に読んでいたんだろうけど、今になってあの頃の読書は財産だと思っている。
ヘルマンヘッセの「車輪の下」、パールバックの「大地」は特に印象に残っている。
室生犀星のこの詩の意味を、両親や弟を亡くし、墓仕舞いを終わらせ、故郷に帰る家が無くなって
分かるようになった。
多感な思春期時代のあの頃の自分に、時々会ってみたいと思うことがある。
叔母のご主人の敷地のヒメオウギスイセン

叔母のご主人と一緒に」主人と私と妹朝から散策しました。
(8年前の画像)














奈良の家のヒメオウギスイセン




隣の家のヒメオウギスイセン



アガパンサスも綺麗に咲いています。
アガパンサス(愛の花)


六方の浜



ジェットフリーの船内から見る五島の海
