サンフラワーで大分の別府へ、そこから陸路で長崎、さらに小型船で軍艦島へ。
管理者である長崎市の規則か、船会社の規則か分らんけど、事前に以下の注意があって署名して提出。
船内でも再確認のアナウンスがある。
1.ハイヒールなどカカトの高い靴はダメ。
2.傘はダメ。
カッパを用意しておくほうがいい。
3.飲酒ダメ。
それから、気象条件などで、上陸できない場合もある。
上陸できるのは、年間100日前後らしい。
で、乗船券を渡してマルベージャ号に乗船。
13時40分長崎港を出港。
軍艦島まで約50分。
マルベージャ号は女神大橋をくぐって、軍艦島へ。
途中船内で、色分けされたカードを配ってくれる。
カードの色で1班、2班というように班分けして、上陸後、班ごとに行動する。
なので、友人同士など同じグループで行動するんだったら、同じ色のカードをもらうように、と案内がある。
色が違ったら、上陸後、別行動になる。
船内で「いまからカードを配ります」って案内があったら、席を離れていてももとの席に戻って、同じグループ同士まとまっておく。
やがて、軍艦島が見えてくる。
写真を撮るんだったら、2階の進行方向に向かって右がおすすめ、行きも帰りも。
でも、2階はめっちゃ風が強い。
チケットを渡して、ドルフィン桟橋から上陸。
後ろに見えるのが、3号棟、幹部職員用社宅かな、たぶん。
第1見学広場で、カードの色によって班分けして、ボランティアガイドさんの説明を聞く。
あれだけ事前に注意があっても、日傘を広げてる人がいてた。
注意書き読んでないのかなあ。
説明聞いてないのかなあ。
白い灯台の横、岩山の上にあるのが貯水槽。
海水と真水に分けて、貯めてたようなこといってた。
真水は貴重なので、風呂のように海水が使えるところは、できるだけ海水を使う。
この白い灯台は、閉山後の昭和50年に設置されたもの。
手前の階段が、第2竪抗の跡。
写真を使って説明してくれる。
軍艦島にボタ山が無いのは、写真のように海に捨てたり、廃坑に捨てたりしてた、とのこと。
写真は、アパートの真中をベルトコンベアーが通ってる、音がやかましいやろうな。
後ろのレンガは、総合事務所跡。
一部を除いて共同風呂。
水不足なので、風呂は、海水を沸かしてた、上がり湯だけ真水を使ってたとのこと。
ただ、風呂は石炭の粉で真っ黒になるとのこと。
大正5年、1916年に建てられた30号棟。
日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートらしい。
すごいなあ、当時の超ハイテク建築やったんやろうな。
プールの跡。
真水は貴重なので、プールには海水を入れてたとのこと。
また、広場が少ないので、水を抜いて、野球だったかソフトボールだったかも、ここでプレイしたとのこと。
ただ、ホームランを打とうものなら、ボールはプールの外、海の方に飛んでいって、当分口を利いてもらえなかったらしい。
端島小中学校とベルトコンベアの支柱跡。
これを見ながら、ドルフィン桟橋へもどる。
15時30分頃、ドルフィン桟橋から船にもどって、出航。
この全景が「軍艦土佐」に似てるから、「軍艦島」というようになったらしい。
島の西の方を回ってから長崎港へ。
左の方から①端島小中学校、②端島病院、③白っぽい建物の隔離病棟、なんかが見える。
軍艦島を後にして長崎港にもどる。
港の売店で、九州名物のアイスキャンデー「白クマ」を買って、ほっとひと息。
パイン、黄桃、あずきが入ってる。
MorinagaじゃなくMarunaga。
博多から、19時30分の「のぞみ」で大阪へ。
博多どんたく弁当、外観はこんな感じ。
あ~腹が減った。
博多どんたく弁当、中身はこんな感じ。
弁当を食べて、ビールを飲んで、しばらくすると、21時58分新大阪に到着。
お疲れさん。