日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

大澤惟貞

2010年05月24日 11時28分05秒 | 残日録
大澤惟貞(おおさわ これさだ):寛政年間 1789~1801に見聞きした(調査した)ことを編纂したものが、「吉備温故秘録」だが・・・・。

吉備藩士で、御後園(のち後楽園)奉行。神社仏閣から地名、事件にいたるまでの、風土記である。13年もの長きにわたっていることから、執念深いあるいは偏屈とも思われる。
この努力が、権力が、ことを成し遂げたものである。
日記さえ、数日で諦めるkunio_nikkiなど、遠く足元にさえ及ばない。

「姫路城の秘密Ⅱ」の35番目の項目に決めたのだが、池田輝政の嫡男「利隆」(最初の妻、賤ヶ岳で戦死した中川瀬兵衛の娘との子。輝政亡きあと姫路城主)と、二度目の妻(あの千姫)の子(5人の男子)忠継(岡山城主。幼少の為、利隆が後見)に姫路城を・・・「利隆暗殺計画」を記述しているのだが・・・。

事件(元和元年1615)から編纂年までには、175年以上の年月が経っているので・・・・。ご存知のとおり、岡山城は、利隆直系の光政が鳥取より岡山に転封となり、後世に名を残す善政を・・・吉備温故録は、その影響下にあった。)

推理できる顛末を「秘密」にまでできるかどうか、調べている。