日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

華原朋美さんへ

2009年01月19日 14時46分24秒 | 残日録
【歌手の華原朋美さん(34)が17日未明、東京都墨田区の「錦糸町駅北口交番」で体調不良を訴え、救急車で病院に運ばれていたことが19日、分かった。】

昨日のフィクション「小説」は、人格再生の物語にするつもりで書き始めた。屈折する人格は、成人式の「粋がり」や「虚勢」に見て取れるが・・・。一時の投げやりな態度や刹那的な生き方は、若者にとっての許される範囲だったりする。

しかし、34歳か。

朋ちゃん大好きな老人にとって、がんばらないでいいよ!と言ってやりたい。

自分の今までを、出来すぎと考えずに、本当はこんな筈ではなかったと、また殻を大きくしようとするヤドカリのように無理をしたのかな。
若者再生は、屈折した人格が、精神的に破れる寸前に、ちょっとした止まり木(男でもいい)に安らぎを得て、旅立とうとする(自分を取り戻す)姿こそ尊いのだ。ドラの音に送られたなんて、いいシーンだがなあ・・・。

小説 1

2009年01月18日 13時37分24秒 | 小説
    花の内の南風(はえ)
 
          約束

 秀太が目覚めたとき、小さな雨が降り出していた。木の葉にあたる微かな音に混じって、誰かが庭先に駆け込んでくる気配がした。
「もう起きているか」
 玄関の辺りで声がしたかと思う間もなく、寝室のドアが開けられた。
「少し遅くなったが約束のお迎えにきてやったぞ」
 きのう剛志と交わした約束は、頭の隅に欠片しか残っていなかった。
 二十二歳の誕生日に剛志が飲みに誘ってくれた小さなスナック「純」に美穂がいた。
 三人は、白城高校の同級生であったが、当時はあまり親しくなかった。というのも、美穂が男どもを引き連れて繁華街を歩く姿を、なんども見て、すごい感動というか、違う種別の人間という感じがしていたからである。
 当時、秀太はどちらかというと、机に向かうということは少なかったが、成績が良かったので周りからはガリ勉タイプと見られていた。
 美穂がなぜスナック「純」のウエイトレスをしているのか、剛志が美穂とどれくらい親しいのか考えているうちに、酒をあまり飲めない秀太は、酔っ払ってしまい後のことはすべて覚えていなかった。どうして今自分のベッドの上にいるのかさえ覚えていなかった。

 白城高校は、進学校で80パーセント程度の進学率であったが、サラリーマン家庭ほど進学率は高く、商店や工場の後継ぎの中には、入学当初よりそれは考えていない者もいた。   
 秀太は、将来の目標とか、職業に対する希望もなかった。高校をでると、地元の信用金庫に勤めた。
 両親と妹亜季の四人暮らしであったが、中央通り商店街で営む家業の「お茶の小売業」のあとを継ぐことは考えていなかった。亜季は、中学生のころより店の手伝いをしており、人と話すのが苦手な秀太にくらべて、天才的に人扱いがうまかった。
 その両親が、一年前に自家用車でめぐる山陰の温泉旅行の帰り道、大山近くの高速道路上で、居眠り運転と思われる大型車両に追突され、死亡した。店の営業は、亜季と三人の古くからの店員で順調に営業を続けていけた。
 しかし、秀太は、なにを思ったのか両親の葬儀が終わると、三年勤めた信用金庫を退職した。中心地より少し離れた自宅に、何をするでもなしにこもってしまった。
 亜季は,そんな兄を心配して、あまり友達がいないが、高校時代よりなぜか兄と気の合う剛志に、外へさそってほしいと頼んでいた。剛志は、呉服店の次男でデパート内の出店をまかされていたから、気楽な身分といえた。
 
 剛志の「おい、おい」と揺り起こす声に、身を捩ると、なぜか節々が痛んだ。
「新舞子へ美穂さんと潮干狩りに行く約束なんだぞ」
「雨が降っているんじゃないか」
「午後から天気はよくなるそうだから」
 身体を動かしたくない気分が全身を支配していたが、やっとのことで「どすん」と身体をベッドの下へ投げ出させたのは、約束は覚えていなかったが、美穂に興味があったからだろう。
 剛志の四輪駆動車に乗り込んだとき、雨はあがっていた。
 大手前公園の姫路城の見える一角に、美穂が手を上げているのが見えたとき,秀太は「やっ」と声をあげそうになった。四年の歳月は三人の立場を完全に変えているのか。
 高校時代には考えられない清楚な服装なので、なぜかがっかりするような感情がうかんできたのはどうしてだろうか。剛志は、相変わらず行動も身につけているものもまぶしいくらいの輝きがある。秀太は、よれよれの服装以上に、目的のない日々の行動が、美穂に少しは近づいているんではとの考えが吹っ飛んで、落ち着かなさをおぼえた。
「剛志君、潮干狩りも楽しみなんだけど、お弁当持ってきたから三人で食べようね」
「美穂が弁当作れるなんて考えてなかったなー、秀太」
「わたし、前から秀太君に興味があるのよ。だから、今日もはやく起きてお弁当をつくったのよ」
「そうしとこう。お母さんに半分は手伝ってもらったんだろう。高校時代の美穂からは考えられないからなー」と剛志
「二十歳前に独立心が芽生えるのは誰でもあることでしょう。その独立心が少し歪んで現れただけなのよ」
 秀太は、二人の会話を遠い日の出来事のように聞いていた。そして、眠ってしまった。
(続く、不定期掲載。花の内の南風=一月に吹く暖かな南よりの風)

気紛れ

2009年01月16日 20時17分26秒 | 気まま日記
ちょっとした用事だと思ったのになあ。

地区の用事を仰せつかるということは、簡単なことでなかった。
書類作成にしても、文面を考えてから、パソコンに打ち込む時に配置を考え、プリントアウトしてからも校正する必要がある。ああ、年齢(とし)は、取りたくないものだ。

お陰で、予定していた用事が先送りになっている。終末にも用事があるから大変だ。
姫路城を撮りに行くことさえ出来ていない。「壁紙カレンダー」なので、多くの空間や日付の配置部分も考慮する必要があり、ストックしている写真ではダメなのだ。早くしないと、ホームページには1月のカレンダーが残されてしまう。

免許証書き換えについても、時間がもったいないから、1日で交付される免許センター(本当に遠い)に行きたいと思っている。高速代や燃料代や食事代と物入りだが、1日でできる方がありがたい。車は、家内のナビ付きを借りる心算だ。道案内に、それほど不安がある距離なのだが・・・。

気紛れ(きまぐれ)とは、老人の独りよがりでなない。古人が「思い立ったが吉日」とは良くいったものだ。実行しないと、また気が変わる。「朝令暮改」も茶飯事だから・・・。

あのトヨタが・・・!

2009年01月14日 12時24分03秒 | 気まま日記
あのトヨタが、ついに・・・・。

【9日に開いた部長会の総会で決定した。トヨタには部長級に相当する基幹職1級と2級、理事が計約2200人いるが、それぞれが「強制ではなく、あくまで自主的」にトヨタ車を購入するという。車種や価格などの制限は設けない。】

この事態は、先年にサンヨー電器が4ヶ月に渡って行った「自社製品の購入お願い(実質は命令)」に似ているが、会社のお願いでなく、幹部社員の提案となっている。サンヨーは、大して効果がなかったのか、パナソニックの軍門に下った。

このような発想は、ず~と昔からあった。戦後になっても、街頭で会社が倒産あるいは倒産しそうだとして、万年筆や衣料品(当時は貴重品で高かったが、詐欺的商法)を、売っていた。
それは、会社というものが、あるいは公的会社だって、全社員一丸であって、「○○一家」という思いがあったのだ。
国鉄一家=日本国有鉄道(現JR各社)や電電一家=日本電信電話公社(現NTTなど)つぎつぎ、そういう名称がうまれた。愛社精神が満ち溢れていた。

それが今やどうだろう。あなた方(経営者)が押し進めた社員の差別化は、多様な社員を作り出して、その購買力さえ奪ったのだ。社員はいい。期間従業員や下請けや派遣労働者は低賃金で、自分の作ったものを買えない事態だ。幹部候補社員(新入)だって、運転免許を持たない社員を採用しているのだから、「なにおか言わんや」。

それを、幹部社員が具現しようとしても、日本の社会が購買力のない構造になったのだ。年末のテント村や公園などで生活する人の数は、戦後(昭和20年)の様相だ。


地デジ政策さえ、そのテレビの普及率は26~30%と言われている。11年に実施できる事態ではない。地デジとアナログの併用は、莫大な損失でもあるし・・・。

新成人の皆様へ!

2009年01月12日 15時32分13秒 | 残日録
今日、成人となられた皆様へ!

平成生まれの成人が誕生したとの報道です。
振り返ってみても、遥か昔に成人となったkuni_nikki(もうすぐ70歳)にとって、成人式も簡素なものでした。今は、派手なパホーマンスが報道される意外な式もあるようです。

そこで、16歳~22歳の時期にすべきことは、良き友人を得るべきとの思いです。
三高寮歌のようになったら・・・と考えていました。
「人を恋ふる歌」(詞:与謝野鉄幹)
 妻を娶らば 才長けて 見目麗しく 情けあり
 友を選ばば 書を読みて 陸分の侠気 肆分の熱 (以下略)

 【陸分は、りくぶ、六分のこと、肆分は、しぶ、四分】旧漢数字 臺 貮 参 肆 伍 陸 ・・・・・略
 (若者は、熱情よりも侠気が必要とは同感です)

また、皆さんも勉強している「吉田兼好」も「徒然草」で言っています。

良い友の条件
 1、物をくれる人
 2、医者
 3、知恵のある者
逆に悪い友の条件は、7つも挙げられている。
 1、高くやんごとなき人(そりゃそうでしょう。余りに身分違いです)
 2、若き人(思考の若さは、いやですよね。老人とも付き合って下さいネ)
 3、病なく身強き人(壊れそうにない人、アホに見えたのかな)
 4、酒を好む人
 5、猛く勇める兵(3と重なるが、獰猛なる兵(つわもの)は嫌いだったようだ)
 6、嘘をつく人(みんな日に10度はついているんですがね)
 7、欲深き人(これはいやですね)

上記の年代に友人関係が形成されました。だって、友人は選べるんですから。
社会生活は、会社は選べても(最高の会社と思っても)上司は選べませんから。
趣味のグループや、利害関係の全くない友人を選ぶべきです。対立が少ないですから・・・。

「とんど」を造った

2009年01月10日 12時51分15秒 | 気まま日記
「とんど」を造った。

昔、そう50年~60年も前は、集落で4つも作られていた。
今は、人口も家も倍以上に増えたのに(160戸が370戸になった)つくる「とんど」は、1つになった。それも、子供(中学生以下)が主体であったのに、子ども会に移り、数年前から老人会の方になった。

「竹」集めや「わら」や「ツル」、「シャカキ」、などの材料集めから、組み立てまで8時~12時までかかった。その過程を撮ろうと思ったが、手伝いが忙しくて完成してからになった。

写真は、高さが7mもあり、底辺の各辺は、2.8mある、かなり大きなものだ。

気持ちが定まらない

2009年01月09日 20時01分51秒 | 気まま日記
年末には、芸能人の結婚が騒がれて、年始には、離婚が報道される。

夫婦の問題について。
人間の気持ちなんて日々揺れている。庶民は、思っていることの半分、いや80%は、奥歯でかみ締めて堪えているのだ。生きている限り、日々数十回嘘をついていると先に申し上げましたが、実は、言葉に出来ないことの方が多いかも。
ところが、夫婦共に生活力のある結婚は、かの大原麗子が、森進一との離婚で語った「家庭に男が二人いた」に象徴されるように、二人が100%の発言をするから、離婚に至るのだ。
一面うらやましくもあり、バカに見えたりする。
数十年経っても「解り合えない」を理解しなければならない。「所詮夫婦は他人」が的確に言い表している。

姫路城に行った。2月の「壁紙カレンダー」の画像を探しに。しかし、晴れたり曇ったりの天気で、輝くような白壁は写せなかった。ショートカットアイコンのために、左上に一様なスペースが必要だし、下方にカレンダー用に同一色のスペースも必要だから、毎月全部新作でいく必要がある。今日も無駄になった。
明日は、老人クラブ(老人会がなぜか老人クラブと名称変更した)が、「とんど」(各地で20以上も形や呼び名が違う。当地は「とんど」。)を朝8時から作りに(手伝い)行く。


松井秀喜選手の動向

2009年01月06日 09時11分51秒 | 松井秀喜
正月から松井秀喜選手の動向が気になる。

まず、ヤンキース公式ホームページは、6番DHで記事を書いている。うれしい。

一方、地元紙(ニューヨーク・タイムス、ニューヨーク・ポスト)は、4年契約の最終年(12億円)になったので、トレードの一番の対象になるだろうとの記事を書いている。喧しいことだ。

松井選手は、新年になって、手術後の動きに明るさが見えたことから、報道されるようになった。もう「復活」という言葉さえ使われる存在になったことに、無念な思いはある。
今までも劇的にその復活を繰り返してきたので、それを信じているが、世間(ニューヨーク地元紙)の評判を裏切ってくれ!

新球場第1試合で「まつい~!」の賞賛コールを浴びてくれ~!

正月から愚痴か・・。

2009年01月05日 20時54分29秒 | 残日録
「日向ぼっこ残日録」を掲げながら・・・。

正月から行事が続いた・・・。
地域で暮らすということは、少なからず地域の世話になっているということであって、少しの恩返しをする必要があるという頭はある。そこで、若干の役が割り振られるという事だ。

この齢ともなると、ぼ~として、縁側で日向ぼっこをして暮らしたいと思っていたのになあ!人と交わるということは、若干の話の行き違いもある。高齢になるとお互い頑固が顔をのぞかせるからなあ。
しかし、勤務を持っている人に、地域の雑用をあれこれして頂くのは、大いに無理がある。老骨に鞭打つ必要がある訳か。

かくして、ばたばたした正月で終わってしまった。そして、まだ続く・・・・。

早く楽になりたいものだ。

直江兼続

2009年01月04日 20時56分34秒 | 残日録
NHK大河ドラマ(今日から始まる)は、直江兼続を取り上げる。
兜に「愛」を掲げて戦った武将だが・・・。

「愛」とは、なんなんでしょうか。

尊敬する「上杉謙信」が「毘」を掲げていたのに習ったと思われます。
「毘」は、毘沙門天ですが、謙信は、自身が毘沙門天の生まれ変わりと信じていた、又は、毘沙門天に成りきると信じていた。
兼続は、謙信と同じように一文字を掲げることにした。
そこで、愛染明王を信仰していたから、「愛」としたと考えるのが妥当ではないでしょうか。深い意味はない。

愛染明王は「煩悩を替えて正しい方向へ導く」仏神と言われています。
現代の「愛」とは異なるものですが、愛欲などの煩悩を抑えても、抑えきれるものではないことから、悟りへと導く力に変えること。
【愛染明王は一面三目六臂で、最大の特徴は身体が真紅に染まっていること。頭上にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子冠をかぶり、宝瓶に活けられた蓮華座に結跏趺坐する。光背も身体と同じく赤色の日輪。左右の第一の手には五鈷杵と五鈷鈴を持ち、左右第二の手には弓と矢、右第三手には未敷蓮華(蓮のつぼみ)を握り、左第三手は金剛券を結ぶ。】

兼続は、智謀の人と言われているが、激しい気性も持ち合わせていたようだ。
戦国ゆえに仕方がないが、家来が下僕を殺したときに、下僕の身内から真相は「死を持って償うほどの罪ではない」との訴えがあった。調べ直してみるとそのようだった。そこで、家来が賠償にあたいする金を支払うことで決着しようとしたのだが・・・・。
現代にもあるが・・・「殺された人を返せ」と言って引き下がらない。じゃ~「迎えに行って来い」と3人もの首を刎ねて、閻魔に対して「3人が迎えに行くので返して欲しい」との標札を立てたと言われている。

さて、現代っ子の一番好きな言葉「愛」が兜印であったことから、「愛」のペンダントやTシャツやら「愛」製品が溢れるでしょう。それもいじゃ~ありませんか。兼続殿!