ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

“清い人にはすべて・・・”

2023年01月08日 13時07分56秒 | owarai
「裏工作や陰の悪口・・・
そんなことをする人間は最低
だと思っていたのに、社会で
生きていくには、それが必要
なのに気がついた。

だけど、そんな風に汚れてい
く自分に耐えられない・・・」

“清い人にはすべてものが清い”

自分が最も嫌っている人間に
自分自身がなっていくことほ
ど、悲しくてつらいことは
ありません。

心の清らかな人ほど生きづら
いこの世の中、

自分の持っている純潔な部分
をあえて汚してずるいふりを
して生きている人は、本当に
痛々しいもの。

なぜなら、人として最も誇り
高く大事な部分を、隠しなが
ら失いながら生きていくので
すから・・・・。

生きづらいのなら、利用され
たくないのなら、自分の純粋
さを隠してもいい。

でもあなたの清らかな心を
失くしてしまってはいけま
せん。

隠していてもそれを持って
さえいれば、あなたに届け
られるすべてのもは、

あなたの清らかな心を通じ
て入っていきます。それは
あなたが生きるために必要
なフィルターなのです。


「説得する自分」に説得される

2023年01月08日 13時06分05秒 | owarai
人は、言葉や文章だけではなか
なか説得されません。

ところが、
自分自身があまり信じていない
ことでも、相手を説得している
間に自分自身が説得されてしま
う側面があります。

断酒の会では、新しい入会者が
あると、まだ完全に酒をやめる
ことができない人に、酒をやめ
るように説得させる。それを通
して、自分自身がやめることが
できるようになる。

多くの宗教が、まだ深い信仰
に達していない若い信者に、
他人を入会するように勧誘さ
せるのは、この人間心理の応用
です。

共産主義が、非常に実践を
重視するのも同じことです。

東大の社会心理学者・水原
泰介さんは、学生のロシア
人に対する好き嫌いを調べて
おいて、
「きみの文章が、高校生の
ロシア観をどれだけ変えられ
るか調べたい」と言って、

ロシア人が嫌いな学生には
ロシアを好きな学生たちに
ロシア人を悪く思い込ませ
る論文を、ロシア人が嫌い
な学生にロシア人に好感を
持たせる論文を書かせた。

その直後に、再びロシア人
に対する好き嫌いを調べた
ところ、六〇%の人が態度
を変えていた。
人を説得する場合の一つの
ヒントです。

「陽だまりの樹」に人は集まる

2023年01月08日 13時04分27秒 | owarai
成功する男の第一条件は、得
も言われない明るさを身体全
体から漂わせながら、絶えず
物事の明るい面を見て前向き
に対処することです。

「黒沢監督の『羅生門』の終
わりのほうに、『真実とは、所
詮、その人が真実と思いたい
ものにすぎないのではないか』
という文句があるが、

この考え方を応用すれば、人生
の暗黒面にばかり目がいく人は、
人生というものを暗く思いたい
からにすぎな、と言えないであ
ろうか」

何事にも二面性があり、光の当
て方によって見え方が違います。

いつも物事を暗く考る人は、はじ
めから明るい面に光を当てる気も
ないのだから暗い面しか見えませ
ん。これでは、前向きに物事を取
り組むことはできません。

ヒマワリが太陽に向かって花を
咲かせ、虫が灯の周りに集まって
くるように、人も運も明るい人の
周りに集まってきます。

成功するためには、まず90%の
満足を持って楽観的に前向きに生
き、10%の不満を刺激して、
向上していくように努力するこ
とではないしょうか。


わたしの名前が、彼の青空に浮かぶ、たったひとつの雲だった日々

2023年01月08日 12時32分45秒 | owarai
大人の関係っていう言葉
が一時流行ましたよね。

大人の関係というとかっこ
いい反面、男性サイドの
身勝手ないいかたでもある
と思う。

大人の関係などという言葉
を使えなくなったときは、
女としての冒涜(ぼうとく)の
季節が枯れていくときかも
しれない。

「大人の関係」、どこかに
ときめきもあるしスリリング
な響きもある。でも、その
かっこいい流行言葉の裏
にある、ずるい男の計算と
身勝手さを見抜ける理性も、
持ち合わせてほしい

「大人の関係」より「子供
の関係」でいいから、
「一生懸命不器用に愛して」
これこそ女の真実の叫び
じゃないかな。

山川草木     ーさんせんそうもくー

2023年01月08日 12時31分20秒 | owarai
俳優の笠智衆さんがいつも
色紙に書いていた言葉です。

時の流れに身をゆだね、
自然と共にただ、あるがまま
に生きる。

「私が、私が」と自己主張せず、
それでいて自由で、強い。

地味な言葉ですが、
「花鳥風月」のような華やか
さがないのが逆に私は好きです。

物事が自分の思い通りになら
ないで、イライラしそうになっ
たり、誰かに当たってしまい
そうになったときは

「心の鏡」。

2023年01月08日 12時28分00秒 | owarai
古代ローマのオーガスタ皇
帝は、皇后との夫婦仲がきわ
めてむつまじく、家庭において
はすべてが皇后のいうがままで、

すこしも逆らうことがなかった
そうだ。やさしくて、善良な夫
だったわけだが、

もとより、皇帝は恐妻家ではなく、
皇后はカカア天下式に夫を支配
したわけではない。

にもかかわらず、夫を「自由自在
にあやつる」というふうであった。

皇后には夫を支配する意図など、
カケラほどもなかったのだ。

反対に従順であることのみ努めて
いた。その徳へのリアクションと
して、夫のほうも、従順になった、
ということであった。

つまり、夫の姿は、彼女のそれの
“写し”であったわけである。

もしこの皇后が支配欲の強い女性
で、“女上位”式に皇帝を支配しよ
うとしたのであったら、

夫はこれの“写し”となって夫婦
仲にヒビが入り・・・ということ
になったはずである。

つまり、この皇后は、「やさしい夫
をもつ」という妻の幸福、女のしあ
わせを、自分で創りだしたわけで
ある。

こういう男と縁を結んだことが幸運
・・・というだけのことだけでは
なかったのだ。

やはり、モンテーニュがいったよ
うに、夫は妻にとって(その逆も
また)人生の材料にすぎず、

これに彫刻をしてゆくのは自分
自信である。

幸福を刻むのも自分、不幸を彫る
のもまた自分なのだ。

人生において「自分が効く領域」
は、常識で思うよりはるか以上
に大きいようだ。

「相手の心がパッと開く場合」

2023年01月08日 12時25分52秒 | owarai
“マイナスの言葉”で相手の
心がパッと開く場合がありま
す。

ある女性が、久しぶりに女友
だち数人と集まって、レスト
ランで食事を楽しんでいたと
きのことです。

ひとりの友人が、「最近、いい
恋愛をしてる?」と尋ねられて、

「いやー全然縁がないのよ。
もう恋愛運は使い果たした
かも」

と冗談めかして言ったところ、
みんな爆笑して「私もよ!」
と一気に話が盛り上がりました。

彼女の言葉が本当だったのか、
冗談だったのかわかりません
が、

「全然ダメよ」というマイナス
の言葉が、その場の雰囲気をな
ごやかにしたのは間違いありま
せん。

マイナスの言葉でも、ユーモア
にあふれていて、発した人の
気持が明るくボジティブであれ
ば、悪い未来を引き寄せること
はありません。

マイナスの言葉がマイナスの
想念として潜在意識にインプ
ットされることもありません。

何より、周りから共感を得る
ことができて、お互いの新密
度がグンと増します。

マイナスの言葉も、使い方
次第というわけです。

ネガティブな方向に話題を
変えられないのなら、むしろ
それに上手に乗っかってしま
いましょう。

・ ・・人の失敗談って、なん
だか聞きたくなりますよね。

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予定にないこと

2023年01月08日 12時24分10秒 | owarai
「家で死にたいんじゃありません。
家で暮らし続けたいんです」

     ※

「ペットの最後は自宅で死なせる
べきです。
ペットでなくても、飼ってる人間
だって同じことだと思います」

     ※

「子供ってのは――
親が死ぬってことが予定にない
んですね。
だから親に死なれると、自分も
死ぬんだという実感がドーンと
きますね」

     ※

「死んだら他人の世話になるん
だから、生きている間に他人の
世話をしとかなきゃね」

     ※

「死ぬ前になりますと、人間は
炭酸ガスが増えるんです。
この炭酸ガスに麻酔性がありま
すから、最後はそれほど苦しまず
に終わるようにできているんです」

     ※

「死ぬということには
ベテランや名人はいません。
死ぬのはみんな初心者です」

愛よりも優しく

2023年01月08日 12時21分50秒 | owarai
あれから、十二年という歳月が
流れた。

あの日、あの夜、闇の底を生き
物のように流れる河のほかには
何もない、

閉散とした駅のプラットホーム
に、おそらく永遠に取り戻すこ
とのできない何かを置き忘れた
まま、わたしはもうすぐ、三十
五歳になろうとしている。

こうして、スピードを上げながら
西へ西へ向かう新幹線の中でひと
り、遠ざかってゆく景色を眺めて
ると、記憶の虚空(こくう)から、

はらはらとこぼれ落ちてくるのは
あの年の記憶だけだ。あの年その
ものが、わたしにとって八番目の
曜日であり、十三番目の月だった
のかもしれない。

今はもう、痛みは感じない。そこ
にはひと粒の涙も、ひとかけらの
悲しみ宿っていない。あのひとの
記憶は愛よりも優しく、水よりも
透明な結晶となって、わたしの心
の海に沈んでいる。

この十二年のあいだに、わたしは
いくつかの恋をした。

出会いがあって、相手を求め、求
められ、愛しいと感じ、結ばれた。
二十七の時には、結婚もした。
不幸にも、夫に好きな人ができ
てしまったため、その結婚はた
った二年で壊れてしまったけれ
ど、それでも二年間、わたしは
とても幸せだった。

ただ、どんなに深い幸せを感じ、
それに酔い痴れている時でも、
わたしの躰の中に一ヶ所だけ、
ぴたりと扉の閉じられた、小
部屋のような領域があった。

扉を無理矢理こじあけると、
そこには光も酸素もなく、
植物も動物も死に絶えた、
凍てついた土地がだけが
広がっている。

だからうっかりドアをあけた
人たちは、酸素と息苦しさに
身を縮め、わたしから去って
いく。離婚の本当の原因は、
もしかしたらわたしの方に
あったのかもしれない。

こんな言い方が許されるな
らば、わたしは誰かに躰を
赦(ゆる)しても、心を救
したことはなかった。