ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

無常

2023年01月26日 12時07分04秒 | owarai
私たちはつい、今のあるがまま
のすべてが、ずっと未来まで続
くような錯覚を持ってしまいま
す。

でも一寸先はわからないのです。

二百年も眠りつづけていた島原
の普賢岳が、ある日、突然火を
噴くように、七十年も続いた
ソビエトの共産主義が、突如と
して崩壊したように、

明日何が起こるかわからない
のです。一寸先は闇です。

常に、世の中のすべては移り
変わっています。私たちが
生まれた瞬間から、老いと
死に向って毎日変わっていく
ように。

それを仏教では「無常」という
言葉であらわしています。

この世に起こるすべてのことは
移り変わる、一時も同じ状態
はないということです。

心もまた無常です。

人と人との関わり、交わり、愛
もまた無常です。



『宝にかわること』

2023年01月26日 12時05分32秒 | owarai
価値がないと
思われるものでも、
宝にかわることは
数多く存在する。

たとえば、雨が降れば傘の
価値はあがり、晴れが続けば
価値がさがるように、

この現実世界では「価値」という
ものは宿命的に相対的であること
から免れない。

人生における価値も同様だ。
誰が定めたのかも明らかでない
世間の価値基準に一喜一憂した
ところで、あなたが得るものは
少ない。

むしろ、昨今では世間が低く
なってしまった愚直さとか
善意とかをあなた
が大切に保存しているとすれば、

やがて人類の宝として高い評価を
得ることになるだろう。



「ふと 胸が熱くなる」

2023年01月26日 12時04分03秒 | owarai
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい

立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいて
いるほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず

ゆったり ゆたかに
ひかりを浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに

ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか

黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

愛よりも優しく

2023年01月26日 12時02分24秒 | owarai
あれから、十二年という歳月が
流れた。

あの日、あの夜、闇の底を生き
物のように流れる河のほかには
何もない、

閉散とした駅のプラットホーム
に、おそらく永遠に取り戻すこ
とのできない何かを置き忘れた
まま、わたしはもうすぐ、三十
五歳になろうとしている。

こうして、スピードを上げながら
西へ西へ向かう新幹線の中でひと
り、遠ざかってゆく景色を眺めて
ると、記憶の虚空(こくう)から、

はらはらとこぼれ落ちてくるのは
あの年の記憶だけだ。あの年その
ものが、わたしにとって八番目の
曜日であり、十三番目の月だった
のかもしれない。

今はもう、痛みは感じない。そこ
にはひと粒の涙も、ひとかけらの
悲しみ宿っていない。あのひとの
記憶は愛よりも優しく、水よりも
透明な結晶となって、わたしの心
の海に沈んでいる。

この十二年のあいだに、わたしは
いくつかの恋をした。

出会いがあって、相手を求め、求
められ、愛しいと感じ、結ばれた。
二十七の時には、結婚もした。
不幸にも、夫に好きな人ができ
てしまったため、その結婚はた
った二年で壊れてしまったけれ
ど、それでも二年間、わたしは
とても幸せだった。

ただ、どんなに深い幸せを感じ、
それに酔い痴れている時でも、
わたしの躰の中に一ヶ所だけ、
ぴたりと扉の閉じられた、小
部屋のような領域があった。

扉を無理矢理こじあけると、
そこには光も酸素もなく、
植物も動物も死に絶えた、
凍てついた土地がだけが
広がっている。

だからうっかりドアをあけた
人たちは、酸素と息苦しさに
身を縮め、わたしから去って
いく。離婚の本当の原因は、
もしかしたらわたしの方に
あったのかもしれない。

こんな言い方が許されるな
らば、わたしは誰かに躰を
赦(ゆる)しても、心を救
したことはなかった。

やがて死が堰(せ)き隔てむに亡失の刻(とき)あり人は生きて別るる

2023年01月26日 11時59分34秒 | owarai
どんなに愛しあっていても、
二人には必ず別れのときが
くる。
それは「死」という別れ。

ならばせめて、そのときまで、
愛を大切にできないだろうか。

だが、現実には、どちらかの
死によって終わりを迎える
恋愛というのは、そう多くない。

心変わりや倦怠や行き違いから、
人はみずから別れの場面を
作りだしてしまう。そしていつか、
お互いの存在は忘却のかなたに・・・。

もし、これから何十年かたって、
その人の訃報に接したとしても、
それはもう、別れとは呼べない
だろう。つまり、みずから別か
れてしまったら、そして忘れて
しまったら、それは「死」と
同じことなのだ。

では、もし、何十年後ではなく、
あしたその人が死んでしまった
ら、どうだろう、と私は自分に
問いかけてみた。たぶんすごく
泣くだろうし、たくさん後悔も
するだろう。そんな人間の愚か
しさをも、含んで暗示している
のが「人は生きて別れる」とい
言葉だ。

あわてなくたって、死という決定的
な別れが、いつかはやってくる。
なのに人はなぜか、別れを急ぐ
ように、せっかくの出会いを終わら
せてしまう、そういうものなのだ、
と。

ある意味で人生といのは、そして
特に恋愛というのは、「生きて別れ
るる」の繰り返しなのかもしれない。