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猫久 (二)

2009-10-10 22:35:26 | 落語
 この話を傍(かたわ)らで聞いていたのが、恰幅(かっぷく)のいい赤ら顔の五十前後のお侍。
 「あいや町人ッ」


 「へえい…… 俺? 嫌だよ、親方ァ、お客さんじゃねえか。
それもいいけどお侍さんじゃあねえか。 ……どうもすみませんです。
旦那がそこへおいでんなるてえのァちっとも知らんかったもんですからねえ。
そいから大きな声で怒鳴っちまいまして…… 勘弁してくさいまし」


 「いやいや大声を咎めておるのではない。
最前からこれにて承れば、猫又の変化が現れ、人心を悩まし、人畜を傷つけるとか、穏やかならんこと、身ども年齢を取っても腕に年齢は取らせん。その猫を退治してくれよう、案内いたせ」


 「いえ…… 旦那ちょいとねえ、まあ気の早い御仁(ごじん)だ。いえ、あの、今ここで猫々ッて話しましたけどもね。本当の猫じゃねえんでござんす」


 「うん? 何? しからば豚か?」


 「いえいえ、じつはわっちの長屋の真向けえに久六という八百屋がおりまして。
こいつがおとなしくって、猫みたいな野郎だってんで、猫の久さんだ、猫久だってんで、あっしらだの、仲間だのはもう久の字ィ取っぱらっちゃて猫々ってんで、ええ、本当の猫じゃねえんですから…… 。
 何しろ、足だって二本しかねえんですから、かみさんもちゃんとあるから大丈夫です。
 その猫が、どこで間違いを起こしたのか、真っ青な顔して外から飛んで帰ってきて、相手を殺しちまうんだから脇差(わきざし)を出せ、と怒鳴ると、かみさんがまた変わり者で、止めもしねえで、脇差を引出しから出し、神棚の前へ座って何だか口の中で世迷言を唱えて、それからその脇差をぴょこぴょこと三度ばかり頂いて渡してやりやがってんで。
 気ちがいに刃物を渡すなんて呆れ返ったもんだと言って、さんざっぱら笑っちまったんで。
まあ、旦那、話てえのはまあこういうおかしな話なんで…… 」


 「ううむ、さようであるか。それは身どもとしたことが粗忽千万(そこつせんばん)であった。
しからば何か、その久六と申す者は、その方の朋友(ほうゆう)であるか?」


 「へえ、あのう…… ありがとうござんす」


 「いや、ありがたくない。久六と申す者はその方の朋友であるか?」


 「 ……いい塩梅(あんばい)のお天気でござんす」


 「いや、天気を聞いておらん。久六なる者はその方の朋友であるか?」


 「いえ、あの、何です。あいつの商売は八百屋でござんす」


 「いや、商売を聞いてはおらん。その方の朋友であるか?」


 「いえいえ、まるっきり違うんですから。あっしは大工でござんす」


 「分からん奴だな。久六なる者は、その方の朋友であるのかッ?!」


 「いえ、あの旦那、まああのお腹も立ちましょうが…… 」


 「何も申しておる。久六はその方の友だちであるのか?」


 「うふッ、 ……さようですか。
どうも…… 旦那がほうゆうか、ほうゆうか、と仰るもんですから…… 友だちであるか、ですか」


 「はっきりせん奴だな。では何か、その久六なる者の妻が、神前に三べん頂いて剣をつかわしたるを見て、その方は可笑しいと申して笑うたのか」


 「ええええええ、そうなんです。
ええ、世の中にはずいぶん変わったかかあがあるもんだてんでね。さんざっぱら笑っちゃったんで」


 「しかとさようか」


 「へ? へえ、あのう、鹿だか馬だか知りませんけども、可笑しいから笑ったんで」


 「それに相違ないな」


 「え、ええ…… あのう相違ありません」


 「可笑しいと申して笑う貴様がおかしいぞ」


 「はあ…… さようですかな」


 「その趣意(しゅい)を解せぬとあらば聞かせてとらす。もそっとこれへ…… これへ出い…… これへ出い」


 「ちょいと、親方ァ…… あの、何とか言ってくれねえかな、おい。
えれえことンなっちまって…… どうも旦那すみません。
いえあの、旦那がね、猫のご親戚だってことをちっとも知らなかったもんですから…… へえ、いえ、わざわざ笑ったわけじゃねえですから。ほんのちょいとなんで、旦那勘弁(かんべん)してくんねえな」


 「汝、人間の性あらば魂を臍下(さいか)に落ち着いて、よおっく承れ。
 日頃、猫と渾名(あだな)さるるほど人の好い男が、血相を変えて我が家に立ち帰り、剣を出せいとは男子の本分よくよく逃れざる場合、朋友の信義として、かたわら推察(すいさつ)いたしてつかわさんければならんに、笑うというたわけがあるか。
 また、日頃、妻なる者は、夫の心中をよくはかり、否とは言わず渡すのみならず、これを神前に三べん頂いてつかわしたるは、先方に怪我(けが)のあらざるよう、夫に怪我のなきよう神に祈り、夫を思う心底、天晴れ(あっぱれ)女丈夫(おんなじょうぶ)ともいううべき賢夫人(けんぶじん)である。
 身どもにも二十五になる倅(せがれ)があるが、ゆくゆくはさような女を娶(め)らしてやりたいものであるな。
 後世おそるべし。世のことわざに、外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)なぞ申すが、その女こそにあらず、貞女なり孝女なり賢女なり。
天晴れ天晴れ、じつに感服(かんぷく)つかまつった」


 「うふッ…… えへへへ…… 按腹(あんばい)でござんすかねえ。
何だかちんぷんかんぷんだが、さにあらずだよ、べらぼうめ」


 「何を言っておる」


 「つまり、ま、旦那の仰ることは、よく分かりませんけれども。
こう頂くかかあと、頂かねえかかあとどっちが本物だってえと、頂く方が本物だてえんで、へえ、ご尤もでござんす。
 ええ、そう言われますと、うちのかかあなんてものァもう、場違えでござんすから、ええ、とても頂けっこありません。
 ……おいおい親方、聞いてみなくちゃ分からなえなあ、笑う貴様が、さにあらずだぜえ」


 「おい…… 何だ、何だい、おい…… どうするんだい熊さん、帰っちまうのかい?
頭ァどうするんだい?」


 「いいよ、また出直すよ。いいこと聞いた、さっそくかかあに教えてやろう」




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