家主(おおや)さんが話します。
「ご覧よ、ここに一升びんが三本あらあ。それに、この重箱の中には、蒲鉾(かまぼこ)と玉子焼きが入ってる。お前たちは、体だけ向こうへ持ってってくれりゃいい。どうだい、行くか?」
「ご覧よ、ここに一升びんが三本あらあ。それに、この重箱の中には、蒲鉾(かまぼこ)と玉子焼きが入ってる。お前たちは、体だけ向こうへ持ってってくれりゃいい。どうだい、行くか?」
「行きます、行きますよ。みんな家主さんの奢(おご)りとなりゃ、上野の山はおろか、地の果てまでも…… 」
「そうと決まれば、これから繰り出そうじゃあないか…… 今月の月番と来月の月番は幹事だから、万事、骨を折ってくれなくちゃあいけねえ」
「はい、かしこまりました。おい、みんな、家主さんに散財(さんざい・金銭を使うこと)を掛けたんだから、お礼を申そうじゃねえか」
「どうもごちそうさまです」
「どうも、ありがとうござんす」
「へい、ごちになります」
「おいおいおい、そうみんなにぺこぺこ頭を下げられると、どうも俺もきまりが悪い…… まあ、向こうへ行ってから、こんなことじゃあ来るんじゃなかったなんて、愚痴(ぐち)が出てもいけないから、先に種明かしをしとこう」
「種明かし?」
「ああ…… 実はな、この酒は酒ったって中味は本物じゃねえんだ」
「えっ?」
「これは、番茶…… 番茶の煮出したやつを水で薄めたんだ。ちょっと酒のような色つやをしているだろう」
「いいですよ。番茶なんぞは、向こうのへ行けば茶店も幾らもありますから」
「これを酒と思って飲むんだ。あまりガブガブ飲んじゃあいけないよ」
「何だ、悦(よろこ)ぶのは早いよ。おい、様子が変わってきたよ、こりゃ。お酒じゃなくて、おチャケですか。驚いたね。お酒盛りじゃなくて、おチャケ盛りだ」
「まあ、そういったところだ」
「俺も変だと思ったよ…… この貧乏家主が、酒三升も買って、俺たちを花見に連れて行くわけねえと思った…… でも、家主さん蒲鉾と玉子焼きのほうは本物ですか?」
「それを本物にするくらいなら、五合でも酒のほうに回すよ」
「すると、こっちは何なんで?」
「それもなんだ、重箱の蓋(ふた)を取って見りゃ分かるが、大根に沢庵(たくあん)が入ってる。大根のこうこ(漬物のこと)は月型に切ってあるから蒲鉾、沢庵は黄色いから玉子焼きてえ趣向だ」
「こりゃ、驚いた。ガブガブのポリポリだとさ」
「まあ、いいじゃあねえか。これで向こうへ行って、『一つ差し上げましょう、おッとっと』というぐわいに、やったりとったりしてりゃあ、傍(はた)で見てりゃ、花見のように見えらあね」
「そりゃそうでしょうけど…… どうする? しょうがねえなあ、こうなったら自棄(やけ)で行こうじゃないか。まあ、向こうへ行きゃあ、人も大勢出てるし…… 」
「ガマ口の一つや二つ…… 」
「そうそう、落っこてねえとも限らねえ。そいつを目当てに…… 」
「そんな花見があるもんか」
「じゃ、みんな出掛けようじゃあねえか。おいおい、今月の月番と来月の月番、お前たち二人は幹事だから、早速、動いてもらうよ」
「こりゃ、とんだときに幹事になっちまったなあ…… へい、家主さん、何でしょうか?」
「その後ろの毛氈(もうせん・動物の毛で出来た敷物の一種)を持ってきておくれ」
「毛氈? どこにあるんです?」
「その隅にあるだろう」
「家主さん、これはむしろ(わらで編んだ敷物)だ」
「いいんだよ。それが毛氈だ。早く毛氈、持ってこい」
「へいッ、むしろの毛氈」
「余計なことを言うんじゃねえ。いいか、その毛氈を巻いて、心ばり棒を通して担ぐんだ」
「へえー、むしろの包みを担いでね…… こいつぁ花見へ行く格好じゃあねえや。どう見たって猫の死骸を捨てに行くようだ」
「変なことを言うんじゃねえよ…… さあ、一升びんはめいめいに持って…… 湯飲み茶碗の忘れるなよ。重箱は風呂敷に包んで、心ばり棒の縄に掛けちまえ。さあ、支度はいいかい。今月の月番が先棒で、来月の月番が後棒だ。では、出掛けよう」
「じゃあ、担ごうじゃねえか。じゃあ、家主さん、出掛けますよ。宜しいですね。ご親戚のかた揃いましたか?」
「おいおい、葬(とむら)いが出るんじゃねえや…… さあ、陽気に出掛けよう。それ、花見だ、花見だ」
「夜逃げだ、夜逃げだ」
「誰だい、夜逃げだなんて言ってるのは?」
「なあ、どうもこう担いだ格好はあんまりいいもんじゃねえなあ」
「そうよなあ。しかし、俺とおめえは、どうしてこんなに担ぐのに縁があるのかなあ?」
「そう言えばそうだなあ。昨年の秋、屑屋(くずや)婆さんが死んだ時よ」
「そうそう、冷てえ雨がしょぼしょぼ降ってたっけ…… 陰気だったなあ」
「だけど、あれっきり骨揚げには行かねえなあ」
「ああいう骨はどうなっちまうんだろう?」
「おいおい、花見へ行くってえのに、そんな暗い話なんかしてるんじゃねえよ。もっと明るいことを言って歩け」
「へえ…… 明るいって言えば、昨日の晩よ」
「うん、うん」
「寝ていると、天井のほうがいやに明るいと思って見たら、いいお月さまよ」
「へーえ、寝たまま月が見えるのかい?」
「燃やすものがねえんで、雨戸をみんな燃しちまったからな。この間、お飯(まんま)を炊くのに困って天井板剥(は)がして燃しちまった。だから、寝ながらにして月見ができるってわけよ」
「そいつは風流だ」
「おいおい、そんな乱暴なことをしちゃあいけねえ。家が壊れてしまうじゃねえか。店賃の払わねえで…… 」
「へえ、すみません…… 家主さん。大変なもんですね。随分(ずいぶん)、人が出てますねえ」
「大変な賑(にぎ)わいだ」
「みんないい扮装(なり)してますね」
「みんな趣向を凝(こ)らしてな。元禄時分には、花見踊りなどといって紬(つむぎ)で正月小袖(こそで)をこしらえて、それを羽織(はお)って出掛けた。それを木の枝に掛けて幕の代わりにしたり、雨が降ると傘をささないで、それを被(かぶ)って帰ったりしたもんだそうだ」
「へえ、こっちは着ているから着物だけれども、脱げばボロ…… 雑巾(ぞうきん)にもならねえな」
「馬鹿なことを言うんじゃねえ。扮装でもって花見をするんじゃねえ。『大名も乞食もおなじ花見かな』ってえ言うじゃねえか」
「おい、後棒。向こうからくる年増(としま)、いい扮装だな。凝った、いい扮装しているなあ。頭の天辺(てっぺん)から足の先まで、あれでどのくらい掛かってるんだろうな?」
「小千両は掛かってんだろうなあ。たいしたもんだ」
「おめえと俺を合わせて、二人の扮装はいくらぐらいだ?」
「二人が素っ裸になったところで、まず二両ぐれえのもんだろう」
「それは安すぎだな。向こうが千両で、こっちが二人、合わせて二両、どうだ、家主さん褌(ふんどし)を二本つけるが、五両で買わねえか?」
「よせよ、ばかばかしい。通る人が笑ってるじゃねえか。 ……それ、上野だ。あんまり深入りしねえほうがいいぞ。どうだ、この擂鉢山(すりばちやま)の上なんざ。見晴らしがいいぞ」
「見晴らしなんてどうでもいいよ。なるべく下のほうへ行きましょうよ」
「下では埃(ほこり)っぽい」