ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

気負わず、気取らず、ありのまま。
ゆるりと思ったことを書いていってます。
お気に召したらうれしい限り。

ROUGH

2006年08月02日 23時42分25秒 | Weblog
こんばんは。
今日のテーマは「ROUGH」です。


原作あだち充。少年サンデーにて昭和62年から平成元年まで連載された漫画です。
この数年間であだち充作品がドラマ化したり映画化したりするのが多くなっている気がします。
この「ROUGH」も速水もこみち、長澤まさみによる映画かも話題となっています。
この「ROUGH」は競泳自由形の選手大和圭介と飛び込みの選手二ノ宮亜美が織り成す高校生活三年間を描いた青春漫画です。

このあだち充さんの作品はきら。さん宅でいつも読ませてもらっているのですが、今回「ROUGH」が映画化するということを知り、もう読みたくて読みたくて仕方がなくなり気がついたらごっそり買っていました(^ ^;
まぁ、あっと言う間に読破してしまったわけなのですが、以前きら。さんのブログで言っていたあだち充作品の最大の魅力「結末を読者の創造にゆだねる」が今回もまた例外なく生きていました。


しかし、あだち充さんの漫画家としての力には驚きます。
あだち充さんの漫画はどこまでもポップでありキャッチーなのです。
例えば物語が何かシリアスなシーンに差し掛かったとします。
たいていの漫画はそのシリアスな流れに乗り登場人物の表情やセリフがどんどん重く硬くなっていくものです。
しかし、この「ROUGH」を含め、あだち充さんの作品ではそんな場面でも漫画自体に重さや硬さを感じないのです。
これは僕の想像でしかないのですが、作者はあえてそうしてるのだと思います。
つまり、物語の中のどんなシリアスな問題も物語の中で完結していて、読者の投影を許していないのです。
ここに娯楽漫画として徹する作者のゆるぎないスタンスを感じることができます。
漫画にも色々な種類があり、それぞれによって作者のこだわりが違います。
では、あだち充さんが漫画にみれるこだわりとは何なのか?
それは、読んだ後に残る甘酸っぱさを忘れないようにしていることではないかと思います。

近年、大きくかつ重いテーマを取り扱う漫画が増えてきました。
読む側としても、知らず知らず自分を投影しているので読み終わったあとドッと疲れが押し寄せてくることもしばしばです。
そんなこともあり、ポップでキャッチーなあだち充さんの作品がいま注目を集めているのかもしれませんね。


きら。さん>そう円を描く一生です。
「心に花の咲く方へ」向かって強く生きて行きたいですよね。
そういえばきら。さんの子供のころの写真とか見たことないなぁ。

arlecchinoさん>そうですね、どんなにつらいこともどんなに楽しいこともすべて意味があるのだと思います。光の明るさや暖かさ、闇の暗さや冷たさそのどちらもを理解できるそんな人になりたいなと僕は思います。もし、何かつらいことがあったときは「次輝くのは自分だ」と思うのもいいことかもしれませんね。
コメント (1)
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存在証明

2006年08月02日 00時07分34秒 | Weblog
お久しぶりです。
また間隔が空いてしまいましたね(> <)
頑張って書いていかないと!!

えっと今日のテーマは「存在証明」です。


「存在証明」・・・まぁ平たく言ってしまえばIDということになるでしょう。
これはこの情報化社会において切っても切れない重要な鍵です。
でも、今日はそういったものではなくもっと人間的な「存在証明」の話をしてみようと思います。


突然ですが、人は何のために生きていると思いますか?
お金を稼ぐため、おいしいものを食べるため、好きな人を守るため、罪を償うため、前世の約束を果たすため・・・。
考え出したらどんなことだって言えそうですよね。
ただ、どんなことを生きる理由に掲げても人はいつしか死んでいきます。
これは極論でしかないけれど、人は死ぬために生きているのです。
いきなりなんてネガティブなこと言ってるんだと思う方もいるかもしれませんが、これは事実だから仕方ない。


僕の尊敬する人が人生を円にたとえていました。
人の一生は円を書く作業であり、死を迎えるときその円は閉じられるということです。
そこに僕なりの解釈を織り込んみながら話を続けていこうと思います。

人の一生は円を書く作業です。ただその円はその人にしかかけない世界に二つとない円だと思うのです。
なぜならきっとどんな人であってもきれいな円を書くことはできないから・・・。

ノートに鉛筆できれいに円を書こうとしたとき、どうすればきれいに書けるかとあれこれ考えるより思い切ってスっと書いてしまう方がきれいに書けたりしますよね?
どこかで迷いが生じると円は歪になってしまいます。
でも、この世の中に迷わない人なんてきっといないから、人の一生はきれいな円にならないと思うのです。
だけど、それは悪いことではないはずです。
どんなに歪な円だってそれはその人が一生懸命生きてきた軌跡なのだから。


では、人は何故迷うのでしょう?
その要因の一つが「存在証明」にあるのだと思うのです。
人は意識的にも無意識的にも自分の生きている意味を求めています。
いわば人生とは自分という存在の証明を探していく旅なのです。

人は一生の中で様々な人と関わって生きていき、その中でやはり様々な形の「存在証明」を見つけていきます。
(例えば友達。どんなにつらいときでも友達と一緒にいれば自分がそこにいるということを認識することができます。)
そして、人は時々その存在証明を見失ってしまうことがあります。
そのとき自分が何をするべきかを決めきれず、迷ってしまうのです。
ただ、先にも述べたとおり迷うのは悪いことではないと思うのです。
むしろいっぱい悩んで、いっぱい考えていくことは大切なことではないでしょうか。
きっと迷って悩んだ分だけ円は歪になっているのだけど、どんなに整ったきれいな円よりもそれは美しいはずです。


人は死を向かえるその瞬間まで自分の存在の証明を探し続けます。
そして、最後の最後に自分は何のために生きていたかを悟ることができると思うのです。
円の完結は、存在証明の完結なのです。
大切なのは悩むこと迷うことから逃げないこと。
どんなときだって自分の力になってくれる人は必ずいるのだから。
今日、今この瞬間も「存在証明」を求める旅は続いています。
いつか自分だけの円を完成させるそのときに向けて。




きら。さん>劇団に入ろうとしていた過去があるなんてはじめて知りました。
どちらにしても自分を表現するもの。実はかなりの目立ちたがり屋ですか?

コメント (3)
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