ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

気負わず、気取らず、ありのまま。
ゆるりと思ったことを書いていってます。
お気に召したらうれしい限り。

ASKA 「青い海になる」の歌詞を考える

2022年02月12日 16時14分29秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。

今日はASKAのアルバム「Breath of Bless」の12曲目の「青い海になる」に
ついて考察してみようと思います。

この曲はこのアルバムの中でも、特に好きな曲で、勝手に自分を投影して
しまっているところも多く、情報をまとめるのに苦労しました。
いや、まだまとめ切れていない状態ですが、たぶん明確な出口はないので、
何とか頑張って書いていきます。

■否定的な視点から切り取る景色から警告のようなものを感じる
ただ他人を食べつづけて いつか後悔する人
自分を差し出して 小声で苦しむ人


「弱肉強食」という言葉が真っ先に浮かびましたが、なんかしっくりこない。
もっと、違う表現があっている気がするのです。
言葉をそのまま受け取ると他人を食べているとなりますが、もちろんそんな
カニバリズム的なことではなく、僕は人を利用して自分の利益を得ている人
という捉え方をしました。

例えば、迷惑系YouTuber。
人に迷惑をかけることで炎上という形で再生数を増やす。YouTuberにとっては
再生数を増やすことが目的なので、その目的を果たす手段ではあるわけです。
ただ、あまりにモラルから逸脱してしまい逮捕されえる方もニュースで
目にすることがあります。

もうひとつ、「自分を差し出して」というのは、自分のプライベートを
さらけ出すことで利益を得ているような人もいるので、それを指しているとも
思えるのですが、もっと広義的に身を削りながら生きている存在すべてを
指しているような気もします。

そういった、誰かを食い物にして生きるのか、身を削り生きているのか、
大局的にはその二つしかないという意味が込められているのかと感じました。

印象的なのは、一方は後悔して、一方は苦しんでいるということ。
どちらもネガティブな状態にある。
ここに、なにか危機や危険を感じるのです。
このままでいいのかという、警告のようなもの。
メロディーからもそうですが、歌詞からも不安をとても感じるのです。

■ASKA節の真骨頂ともいえる歌詞に、ニヤけが止まらない
続く歌詞も、ASKAらしさが爆発して、好きすぎてたまりません。

針で釣られたような 雲が餌に見える
空で魚になった 飛行機が雲に向かう


よだれが垂れてしまいそうな比喩表現ですね。
合わせて感じられるのが、世界というものを非常に閉鎖的なものの見方に
できる言葉のチョイス。
まるで、自分たちの意思ではどうにもならないところで意識の外に住む
大きな何者かが、僕たちの世界にちょっかいを出しているような。
そんな、何とも言えない不安を感じる世界観にいざなわれてしまいます。
この言葉の魔力がASKAの歌詞の真骨頂ですよね。
だから歌詞を突き詰めたくなる。

■僕たちは、本当に幸せに包まれているのだろうか?
特等席のベンチで見てる
流行りの店 並ぶ行列を

いま幸せは 自由じゃないのか
幸せは 誰のものなのか


冒頭でYouTuberを一つの例えとして考察に用いましたが、
たぶんこの歌詞に導かれて感じた事なんだと思います。

流行りの店に並ぶ行列に混ざる人、それを見る人。
どちらが良いとか悪いとか、そういう話とは少し違うのですが、
見ようによっては行列に並ぶこで「流行りに乗っている」という目的を
果たしているのかもしれない。
有限な「ここからは消えていく時間」を遣い、不自由に身を投じている姿に、
何者からも解放される自由とは違うものが見えたのかもしれません。

誰かと同じ色に染まることで満たされるアイデンティティ。
満たされることが自由というのであれば、そこに生まれる不自由も
ひっくるめて自由なのでしょう。
そうすると、幸せとは何かが霧の向こうに隠れてしまうような気もします。

■どこまでも孤独を感じてしまう歌詞が続く
2番に入ってからも、モノ寂しい歌詞は続きます。

君の目には僕が 闇のように映ってる
僕の目には君が 真っ暗闇に映ってる


1番と同様に、似たものの対比。
前者は「いつか後悔する人」と「小声で苦しむ人」、今回は「闇のよう」と「真っ暗闇」。
どちらの目にもおよそ闇が広がっており、光さえも吸い込んで消してしまいそうな深さを感じます。
そんな濃い闇の中に置かれた中で、手探りで進むのか、ただじっと闇が貼れるのを待つのか?
ふと、迷宮のReplicantを思い出しました。

霧のさ中を かき分けながら
夜の高速 街の洞窟
寂しすぎる瞬間
「迷宮のReplicant


そう、ただひたすら寂しさを感じるのです。
君と相対しながらもわかり合えない孤独。
何処までもそれを突き付けられてしまう歌詞に感じるのです。

ここで立ち止まれば どんな価値を得るのか
寒い冬の次は 本当に春だろうか


「これまではそうだった」と言えるセオリーがなくなりつつある昨今。
次の保証がないまま、立ち止まることは価値を得るどころか、
取り返しのつかないことになりかねない。
闇の中だろうと、夜明け前だろうと、突き進まなくてはいけないのです。
しかし、そこに確証は何もなく、あるのは勇気ではなく、
不安ではないのかと思うのです。
それは続く歌詞からも感じられます。

心臓かすめちゃもう笑えない
握った櫂で 海をつついても


恐怖は、感じた瞬間に心臓が飛び跳ねるような動悸を連れてきます。
そこに心臓があったことを思い出すような体験を誰も出していると思います。
「心臓かすめちゃ」というのはそういった意味が込められた歌詞に感じます。
もう一つ、確信を疲れたときも、同じようにドキリとしますね。
ここはそのどちらもがあるのだと思います。
わかり合えないことがあること、いまが闇の中にあること。
その不安を感じてしまっているから。

もうひとつ。
「握った櫂で 海をつついても」という歌詞。
これが、ものすごく好きなんです。
まるで進んでいない感触。
海をかくのではなく、つついているようでしかない感覚。
これ以上ない表現方法に感じます。

なにも自分の居場所も、自分自身もわからなくなって、
暗い海原で一人佇んでいる様子。
これ以上ないほどの孤独です。


■「朝」に込められたものは何だったのか?
2番のサビに入っていきます。

いま朝になってここはどこだと
朝になって僕は誰だと


朝になり、夜の闇が晴れて、しかしまだ自分と自分の居場所を
しっかりと持てていません。
ある意味、ここが始まりなのでしょう。

僕は櫂を漕いだ
黒い海で櫂を漕いだ
やがていつか やがていつか
青い海になる 青い海になる
青い海になる 青い海になる


Cメロ部分の歌詞で、朝が来るまでの「僕」のがむしゃらな様子が、
何かを求め進もうとする姿が浮かんできます。
朝が訪れ、視界に色が戻ってくる中で、海の青さが還ってくることを強く、
何度も何度も、自分に言い聞かせるようにリフレインします。

ここまで不安のさなかになった場面が、ここにきて、何か希望のようなものを
持つように感じられます。
青い海になることを信じて、櫂を漕ぎ続ける。
信じる、信じる、自分を、信じる。
そんな強さを感じるのです。
だから、ここにとてつもない力と希望を感じる。

「朝」は曲の中の場面転換の一つの舞台装置として使用されている一方で、
何か「変化」の代名詞的に用いられているように感じます。
過去、IDという曲でもやはり「朝」は似たような意味合いで使用されているのです。

馴染めないまま川を渡る
僕の背中を不思議な顔で朝に帰した
「ID」


麻酔を打たれたように夢の深い場所から朝の訪れとともに帰ってくる情景を
上記の歌詞のようにあらわしていますが、匿名希望の人があふれる中で
「僕」の認識していく過程がここには綴られていると感じていて、
自己存在証明を得た一つの証明として「朝」の訪れを描いているように感じています。

■「青い海になる」というタイトルには変化を受け入れ希望を求める意思が込められている
ここまで読み進めてきて、不安や孤独の中から、いつか来る希望を求めて
進んでいく意志の強さを感じることができます。


自分らしさや、人とは違う幸せの形を持つことが難しくなった現代。
いつしか闇夜の海に放り出された僕らは、青い海を目指して
櫂を漕ぎ続けなければいけないのだと、そういっているように感じます。
漕ぎ続けた先に見える景色がある、青い海が広がる朝がある。


この曲に感じる意志の強さが、いつしか聞き手の心を奮い立たせてくれる。
だから僕はこの曲が好きなんですよね。




OGPイメージ

ASKA 「青い海になる」の歌詞を考える(アルバム Breath of Bless 12曲目)|くわくわ@ジニー|note

こんにちは、ジニーです。 随分と、時間が空いてしまいました。 いろいろと忙しく、曲を聴き込み、歌詞を読みこむ時間がうまく持てず時間がかかっ...

note(ノート)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASKA 「星は何でも知っている」の歌詞を考える

2022年01月31日 18時00分00秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。

先日更新した「We Love Music」から続き、ASKAのソロアルバム「Breath of Bless」の
13曲目の「星は何でも知っている」について書いていきます。

ファンからすると、もはや考察をするまでもないくらい、ASKAがこの曲に込めた
気持ちや考えは浸透しているように思います。
なぜなら、CHAGE and ASKAへの今の想いや考えが言葉の端々に込められているから。
少なくとも30年近くファンをやっていると、この曲は何の感情もなく聞くことは
できない曲ではありますが、改めて歌詞を考えてみたいと思います。

■曲の説明と、その後ろにある背景
「星は何でも知っている」は、2018年8月25日に配信シングル曲としてリリースされました。
2018年は3月から毎月連続となるシングル配信を行っており、そのトリを飾る楽曲です。

8月25日はCHAGE and ASKAのデビュー記念日でもあります。
そして2018年8月25日はデビュー39周年の日でもあったのです。

曲のリリースとあわせて、歌詞の全様と、39周年を迎えた今のCHAGE and ASKAに対する
ASKAの気持ちがそれぞれオフィシャルブログで更新されました。

翌年3月にアルバム「Breath of Bless」がリリースされ、本曲も収録されました。
同年の8月25日。
CHAGE and ASKAのデビュー40周年となった記念日に、ASKAは正式にCHAGE and ASKAからの
脱退を表明しました。

■曲にはASKAのCHAGE and ASKA再始動への考え方が読み取れる
歌詞については、せっかくなのでASKAのオフィシャルブログからご確認ください。

OGPイメージ

星は何でも知っている|BLOG|ASKA Official Web Site 「Fellows」

リリース情報やディスコグラフィ―、バイオグラフィーなど歌手「ASKA」の情報をお届けする公式サイト「Fellows」

ASKA Official Web Site 「Fellows」

 


「とは言うものの」という歌詞から始まります。
こういう歌詞の始まり方っていうのは、なかなかないですよね。
それまでの話があって、その話を受けて、語りだすというような形です。

似たような構成の歌詞は、「On Your Mark」もそうですね。

そして僕らは いつもの笑顔と姿で
埃にまみれた 服を払った
「On Your Mark」


この歌詞も、そこまでの物語があったことを聞き手にイメージさせる
効果がありますよね。
「星は何でも知っている」と「On Your Mark」とで違うのは、前者はある程度
そこにある物語が限定されていて、後者は聞き手にそのイメージをゆだねて
いるところでしょうか。


ここではCHAGE and ASKAの再結成についてのことが、前段としてあると
捉えるのが自然の流れですね。

この曲がリリースされた当時はまだASKAの脱退表明前ではありましたが、
ただ、再始動というのは非常に難しい状況でした。
ファンをはじめ、各方面からそういった話もされてきたと思いますし、
ASKAも復帰していこうチャゲアスの再始動には前向きだったように感じます。

しかし、この記事を書いている今日まで、二人が並ぶ姿は実現されていません。
双方の今の立ち位置があり、優先するものがあり、気持ちがある。
そこが噛み合う時期がなかった、一言で言えばそうなのでしょう。

では、CHAGEとASKAのそれぞれにチャゲアスへの愛がなくなってしまったのか?
これは、きっとそうではないと思います。
それぞれがチャゲアスを大切に愛しているからこそ、噛み合わないものが
あるのだと思います。
そういう観点から見ると、この曲からはASKAがチャゲアスをどういう風に
見ているかが伝わってくる内容となっています。

始まらないのは 終わろうとしないからさ
懐かしいことにして 新しい服を着よう 歩こう
行ってはいけないこの道を
もう行かずにいられない


曲では割と冒頭で、核心に触れたような歌詞と出会います。
「始まらないのは 終わろうとしないから」。
非常に意味深な言葉ですね。
チャゲアスの再始動という言葉をそのまま当てはめるとすれば、終わっていない
から再始動ができないということですね。

何を終わらせるのか、は僕たちには不明な部分が多いです。
同様にチャゲアスに関することを意識したと思われる曲、「憲兵も王様もいない城」の
歌詞も一緒に読み解いていくと、事務所であったり、二人を取り巻く環境などが
絡んでいるような想像はできます。

くしくも新たな環境に身を置き、いままでとは違う景色が見えているASKAは
お飾りの城など捨てようと言います。
しかし、CHAGEにしてみれば「そうか分かった」と言うわけにはいかない事情もある。

すごく情緒も何もない言い方をしてしまうと、2人が同じ目線でいてくれれば、
とっくにチャゲアスは復活していたということなのでしょう。

でもそうじゃない。
ここが、とても大事なところなのだと思います。

いまは再始動できない、この事実を、この判断を尊重するしかない。
どちらが正しいとか、どちらが悪いとか、言い出したらきりがないです。
完全な中立なんて難しいのですから、天秤のように傾いている一方の意見を
正しいと感じてしまう以上、ファンが言葉を発すると収拾がつかなくなる
ようにしか感じません。

どうしてもこういうケースは、責任の所在を気にしてしまいがちですよね。
そういう気持ちはとてもよくわかりますが、それを明らかにしたところで
何にもならないというのが僕の正直な考え方でもあります。

そういったファンの心理も意識してか、ASKAは歌詞の中でこのように綴っています。

何があっても 僕は僕のままさ
君はとても良い人で きっと僕は悪い人 酷い人

右から僕を微笑む人 左から僕を睨む人
みんな一緒に迷い子に なってるみたい


受け取り方によっては皮肉のようにも読めてしまうのですが、
そういう受け取り方もひっくるめてこの歌詞を書いていると思います。
器の大きさとかそういうのではなく、「行ってはいけない道」を
行く以上、批判はついて回るからです。

素直に、よくこの曲をリリースする気になったなというのが
僕の感想なのですが、それも「行ってはいけない道」を行くために
必要なことだったのだと思います。

■なぜ、「星は何でも知っている」というタイトルだったのか?
ここまで書いてきたように、非常にナイーブな内容に触れているのが
この曲の歌詞の特徴と感じるのですが、「星は何でも知っている」という
タイトルにも何か想いが込められているのでしょうか?

ネットで検索をすると同盟のタイトルの曲があることがわかります。

平尾昌晃さんの、曲ですね。
気になったので、平尾さんの曲の歌詞も調べてみました。

https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35503

こちらは淡い恋の様子を描いた歌詞ですね。
読み進めると、抑えきれない恋心を持て余す男の心情が、好きな女性に
思わずキスしてしまった後ろめたさが綴られています。
曲を聴いていると、たぶん両想いの2人なんだろうなと、そんなイメージが
浮かんできます。
でも、相手の心情は見えないものですから、その様子を見ていた夜空の
星を通して、きっと想いは通っているはずと確かめています。

自分の知らないことでも、空の星は見て知っている。
こうあってほしいという願いを星に託しているところもあるのではないでしょうか。

ASKAの「星は何でも知っている」についても同じように、夜空の星は見て
知っているということなんだと思います。
自分が決めた信じる道を、自分に偽りなく歩く姿を星はきっと見ている。
そこにある想いと、その歩みが辿り着くことをきっと知っている。
そういった想いが込められているように感じます。

そしてもう一つ。
これは僕の勝手なこじつけですが、星という言葉に長く続く継続性の
ようなものを感じるのです。
星は、宇宙のはるか彼方から、過去の光を届けています。
今見ている星の光は、現時点では消滅した星の光である可能性もあるのです。
ありのまま、届く光。
遥か彼方、そこにあった過去と今とをつなぐ光。
過去は変えられません、過去の延長が現在であり、その繰り返しが未来に続きます。
いつか来る未来、そこにあった光が届いていますように、と思わずには
いられなない自分がいると、記事を書きながら気づきました。

そういうことを考えると、星であることがしっくりくるんですよね。
太陽ではなく、星。
誰も知らない痛みや悩みを抱えながら、前を向く姿というのは、
ひっそりとした夜のイメージが重なります。
そんな姿を見守るのも星であることに、どこか安らぎや優しさを感じます。

ASKAの曲の歌詞ですが、きっと同じようなものをCHAGEも持っている。
多分、人はみんなそういったものを持っている。
そういうものを、きっと星は全部知っている。

見上げた先にある夜空の星に見られていると思うと、嘘をつかず生きていかねばと
姿勢を正されるような気持ちになります。

■最後に
やっぱり僕はこの曲がとても好きです。
賛否両論ある歌詞でもあると思いますが、僕には相手へのいたわりも
尊敬も感じることができる。
何処か言葉にすることもはばかられる、ファンとして胸の内にある想いが
二人にとっては喜ばしい想いではないのかな、とそんなことも
考えたりすることもありました。
でも、そういったものもすべて星は知っているだなと思うと、ありのままで
ありたい、ありのままを受け止めたい、そんな風に素直になれる気がします。

僕はそう感じるのです。

それぞれの歌を聴いていると、どうしても浮かんでしまうもう一人の誰かさん。
さしずめファンの僕らは、「二人をいつも待ってた今夜の星たち」なのかもしれません。
どうぞ、ありがとう。




オリジナル記事はこちらです↓
OGPイメージ

ASKA 「星は何でも知っている」の歌詞を考える(アルバム Breath of Bless 13曲目)|くわくわ@ジニー|note

こんにちは、ジニーです。 ついにこの曲の歌詞を考えるところまで来ました。 アルバム「Breath of Bless」の13曲目です。 フ...

note(ノート)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASKA 「We Love Music」の歌詞を考える

2022年01月23日 18時00分58秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。

久しぶりに「歌詞を考える」の記事の更新となります。
このgooブログと並行してやっているnoteの方では昨年1年いくつか更新
していたので、そちらの内容を少しずつこっちにも転載していこうと思います。

ちなみに、昨年1年間はASKAの最新アルバム「Breath of Bless」に収録されている
歌詞ありの楽曲14曲すべてを対象に歌詞考察を行ってきました。

今日はその14曲目に収録されている『We Love Music』の考察を記載していきます。


■リリース前にライブで披露されるほど、ASKAの想いがシンプルに組み込まれた曲
この「We Love Music」ですが、製作しているときからライブ映えする曲になると
感じていたようで、製作中からライブで会場の全員で大合唱しているイメージが
浮かんでいたとブログでも書いていたように思います。

そのためかCDでリリースされる前からライブツアー『billboard classics ASKA premium
ensemble concert - higher ground -』の核を担う曲として披露されていました。

キャッチーで歌いやすい曲なので、ASKAがイメージした通りの大合唱が各会場では
巻き起こっていたいたことと思います。

■なんだか、ASKAの考える「音楽」の概念が垣間見える歌詞だ
歌詞に目を向けてみましょう。
出だしからなんだか素敵な雰囲気をまとう言葉が歌詞として並べられています。

空から届く 贈り物だよ
みんなでそれを抱き合いたい


なんだかすんなり受け取ってしまう歌詞なんですけど、改めて目を向けると
面白いことに気づきます。

「空から届く」という言葉。
この曲というか、全般的に音楽って「降り注ぐ」イメージが僕にはあります。
ここに綴られているように、「空から届く」というのがピッタリなんですよね。
改めて考えると、これってなぜそういうイメージを持っているんでしょうか?
ふと、それを考えたのです。

昔、CHAGE and ASKAとSTARDUST REVIEWとが一緒に制作しリリースした
楽曲「デェラ・シエラ・ム」という楽曲にも、空を伝わる表現がありました。

まるで空にスイッチを入れてるみたいだな
どこかの星に電話を掛けてるみたいだな
僕は窓の手すりに顎を乗せながら
君の声が空を突き抜けるのを見てた
「デェラ・シエラ・ム


ただこれは電話の電波を例えている歌詞なので、厳密には「音楽」と
いうことではありません。
ただ空気を伝わる振動や波、そこを同じも類としてくくるのであれば、
そういったものが空を行き交うというイメージは共通事項として
捉えることができるようにも感じます。

たぶん、挙げ連ねていけば、音楽が空から降りそぞぐというイメージを
抱かせる歌詞は、他のアーティストの曲も含めて無数にあると思います
(これはいつか別のテーマとして調べてみたい)。

自分で疑問提起しておきながら、そのルーツまではうまく見つけられない
感じになってしまいましたが、一つ、回答のようなものはあります。

それはかつて、ASKAが「一つの音楽」という意味合いも込めて作った曲、
「UNI-VEARSE」。
UNIVEARSEという言葉単体は、宇宙を意味しています。
そして宇宙は「そら」として表現されることもあります。

そう、僕なりにたどり着いた回答とは、音楽が「UNI-VEARSE」であるなら、
宇宙が音楽であり、宇宙からこの星に音楽が降り注ぐということも、無意識的に、
そして感覚的に受け止めているのではないかということです。

■いやちょっと待てよ、2番はどうなんだ?
ここまで歌詞を考えてきて、音楽が宇宙から降り注ぐようなイメージを持ち
始めてきましたが、2番に入ってきて路線変更を余儀なくされました。

北と南を二つに分けた
赤道線に腰掛けて

浮かぶ星を掴んで 放り投げてみる
困った顔した「予言者」「科学者」ここにおいで
そこ(宇宙)に花をさして ハートになろう


明らかに大きな人がいますね。
地球に腰を掛けて、浮かぶ星に手をかけて放り投げてしまうくらい大きな人。
もちろん、こんな大きな人を僕は見たことがありません。
でもそういう「存在」があることは信じてもいいかななんて気も、どこかでしてる。
例えばこの大きな人を「神様」という風に捉えると、受け入れやすくなるし、
ロマンも感じられる。

そう考えると、ここに「予言者」や「科学者」を持ってくるのも面白い。
世の中の理を把握しているような人が、捉えている「常識」の範囲を飛び越えて
いる存在に戸惑う様子。
容易に想像できますね。
ASKAは以前にも、科学という言葉を固定概念の代名詞のような使い方をしています。

科学は正しいという迷信の風で育った
「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」


音楽は学問でもあり、そこには科学が息づいていることも確かです。
でも、音楽は頭だけではなく、体中で感覚のすべてで感じることが最初の
入り口ではないか、とも感じます。
理論が先に立つ「予言者」「科学者」には、これまでの常識を覆すような
衝撃を音楽は持ち合わせているのかもしれません。

そして、神様は、音楽は懐が広いです。
その他もとに彼らを呼び込みハートになろうと誘います。

ここで表現したかったのは、音楽はまず感じ合おうよということ。
一緒に楽しもうよということ。
ではないかと感じます。
そういう音楽をこれからも作っていくという気持ちの表現でもあったと思います。

■歌詞はシンプルに、でも一番言いたいことを伝えている
Oh! Oh! Oh! We Love Music. I know. You know. We know.
Oh! Oh! Oh! We Love Music. I love. You love. We love.


歌詞を考える、なんて言っているので小難しいことをあれやこれやと
並べ立てていましたが、この歌詞の前に説明は不要ですね。
僕たちは音楽を愛している。周知の事実です。
そうでなければ、人類の長い歴史の何処かで音楽は潰えていたでしょう。

そして、当たり前のことだけど、とても大事なことなんだと思います。
音楽がFELLOWSとつながりを作ったという意味を考えてみても。

今回の「We Love Music」の制作過程で、ASKAが会場全体で一緒に歌っている
イメージを浮かべたのは、そういう感じ合うことの大切さが、
この曲の核としてあったからなのかもしれません。

「僕はMUSIC」
「歌になりたい」

歌・音楽と同化してきたASKA。
これは、遠回しに「僕を愛して」ということなのかな(笑)
いつぞやのコンサートのMCでも「愛して」なんて言ってたな。

安心してください。
今でも僕らは「僕たちの音楽を愛するあなた達」ですよ。

元記事はこちら↓
OGPイメージ

ASKA 「We Love Music」の歌詞を考える(アルバム Breath of Bless 14曲目)|くわくわ@ジニー|note

こんにちは、ジニーです。 前回の更新からずいぶんと時間が空いてしまいました。 しかし、ようやくここまで来ました、アルバム「Breath o...

note(ノート)

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASKA アルバム「Breath of Bless」の歌詞を考えるまとめ(歌詞付き曲14曲分)

2021年12月11日 16時07分35秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。


今年の2月から、別のブログで定期的に書いてきたASKAのアルバム「Breath of Bless」の
14曲についての歌詞考察。
先日、ようやくすべての歌詞について記事を書くことができました。
それをひとまとめにしましたので、本ブログでも記事を更新させていただきます。

なかなかなボリュームですが、ちょっとずつ読んでもらえると嬉しいです。

OGPイメージ

ASKAのアルバムBreath of Blessの歌詞考察|くわくわ@ジニー|note

ASKAの歌詞に感銘を受けた一人の男が、1年かけてアルバム1曲分の歌詞考察をしてみました。
色んな解釈がある中の一つとして読んでもらえたら嬉...

note(ノート)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASKA 「星は何でも知っている」の歌詞を考える

2021年10月04日 21時49分34秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。

ついにこの曲の歌詞を考えるところまで来ました。
アルバム「Breath of Bless」の13曲目です。

ファンからすると、もはや考察をするまでもないくらい、ASKAがこの曲に込めた気持ちや考えは浸透しているように思います。

なぜなら、CHAGE and ASKAへの今の想いや考えが言葉の端々に込められているから。
少なくとも30年近くファンをやっていると、この曲は何の感情もなく聞くことはできない曲ではありますが、改めて歌詞を考えてみたいと思います。

■曲の説明と、その後ろにある背景
「星は何でも知っている」は、2018年8月25日に配信シングル曲としてリリースされました。
2018年は3月から毎月連続となるシングル配信を行っており、そのトリを飾る形でリリースされました。

8月25日はCHAGE and ASKAのデビュー記念日でもあります。
そして2018年8月25日はデビュー39周年の日でもあったのです。

曲のリリースとあわせて、歌詞の全様と、39周年を迎えた今のCHAGE and ASKAに対するASKAの気持ちがそれぞれオフィシャルブログで更新されました。

翌年3月にアルバム「Breath of Bless」がリリースされ、本曲も収録されました。
同年の8月25日。
CHAGE and ASKAのデビュー40周年となった記念日に、ASKAは正式にCHAGE and ASKAからの脱退を表明しました。

■曲にはASKAのCHAGE and ASKA再始動への考え方が読み取れる
歌詞については、せっかくなのでASKAのオフィシャルブログからご確認ください。
OGPイメージ

星は何でも知っている|BLOG|ASKA Official Web Site 「Fellows」

リリース情報やディスコグラフィ―、バイオグラフィーなど歌手「ASKA」の情報をお届けする公式サイト「Fellows」

ASKA Official Web Site 「Fellows」

 


「とは言うものの」という歌詞から始まります。
こういう歌詞の始まり方っていうのは、なかなかないですよね。
それまでの話があって、その話を受けて、語りだすというような形です。

似たような構成の歌詞は、「On Your Mark」もそうですね。

そして僕らは いつもの笑顔と姿で
埃にまみれた 服を払った
「On Your Mark」


この歌詞も、そこまでの物語があったことを聞き手にイメージさせる効果がありますよね。
「星は何でも知っている」と「On Your Mark」とで違うのは、前者はある程度そこにある物語が限定されていて、後者は聞き手にそのイメージをゆだねているところでしょうか。



ここではCHAGE and ASKAの再結成についてのことが、前段としてあると捉えるのが自然の流れですね。

この曲がリリースされた当時はまだASKAの脱退表明前ではありましたが、ただ、再始動というのは非常に難しい状況でした。
ファンをはじめ、各方面からそういった話もされてきたと思いますし、ASKAも復帰していこうチャゲアスの再始動には前向きだったように感じます。

しかし、この記事を書いている今日まで、二人が並ぶ姿は実現されていません。
双方の今の立ち位置があり、優先するものがあり、気持ちがある。
そこが噛み合う時期がなかった、一言で言えばそうなのでしょう。

では、CHAGEとASKAのそれぞれにチャゲアスへの愛がなくなってしまったのか?
これは、きっとそうではないと思います。
それぞれがチャゲアスを大切に愛しているからこそ、噛み合わないものがあるのだと思います。
そういう観点から見ると、この曲からはASKAがチャゲアスをどういう風に見ているかが伝わってくる内容となっています。

始まらないのは 終わろうとしないからさ
懐かしいことにして 新しい服を着よう 歩こう
行ってはいけないこの道を
もう行かずにいられない


曲では割と冒頭で、核心に触れたような歌詞と出会います。
「始まらないのは 終わろうとしないから」。
非常に意味深な言葉ですね。
チャゲアスの再始動という言葉をそのまま当てはめるとすれば、終わっていないから再始動ができないということですね。

何を終わらせるのか、は僕たちには不明な部分が多いです。
同様にチャゲアスに関することを意識したと思われる曲、「憲兵も王様もいない城」の歌詞も一緒に読み解いていくと、事務所であったり、二人を取り巻く環境などが絡んでいるような想像はできます。

くしくも新たな環境に身を置き、いままでとは違う景色が見えているASKAはお飾りの城など捨てようと言います。
しかし、CHAGEにしてみれば「そうか分かった」と言うわけにはいかない事情もある。

すごく情緒も何もない言い方をしてしまうと、2人が同じ目線でいてくれれば、とっくにチャゲアスは復活していたということなのでしょう。

でもそうじゃない。
ここが、とても大事なところなのだと思います。

いまは再始動できない、この事実を、この判断を尊重するしかない。
どちらが正しいとか、どちらが悪いとか、言い出したらきりがないです。
完全な中立なんて難しいのですから、天秤のように傾いている一方の意見を正しいと感じてしまう以上、ファンが言葉を発すると収拾がつかなくなるようにしか感じません。

どうしてもこういうケースは、責任の所在を気にしてしまいがちですよね。そういう気持ちはとてもよくわかりますが、それを明らかにしたところで何にもならないというのが僕の正直な考え方でもあります。

そういったファンの心理も意識してか、ASKAは歌詞の中でこのように綴っています。

何があっても 僕は僕のままさ
君はとても良い人で きっと僕は悪い人 酷い人

右から僕を微笑む人 左から僕を睨む人
みんな一緒に迷い子に なってるみたい


受け取り方によっては皮肉のようにも読めてしまうのですが、そういう受け取り方もひっくるめてこの歌詞を書いていると思います。
器の大きさとかそういうのではなく、「行ってはいけない道」を行く以上、批判はついて回るからです。

素直に、よくこの曲をリリースする気になったなというのが僕の感想なのですが、それも「行ってはいけない道」を行くために必要なことだったのだと思います。

■なぜ、「星は何でも知っている」というタイトルだったのか?
ここまで書いてきたように、非常にナイーブな内容に触れているのがこの曲の歌詞の特徴と感じるのですが、「星は何でも知っている」というタイトルにも何か想いが込められているのでしょうか?

ネットで検索をすると同盟のタイトルの曲があることがわかります。

平尾昌晃さんの、曲ですね。
気になったので、平尾さんの曲の歌詞も調べてみました。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35503

こちらは淡い恋の様子を描いた歌詞ですね。
読み進めると、抑えきれない恋心を持て余す男の心情が、好きな女性に思わずキスしてしまった後ろめたさが綴られています。
曲を聴いていると、たぶん両想いの2人なんだろうなと、そんなイメージが浮かんできます。
でも、相手の心情は見えないものですから、その様子を見ていた夜空の星を通して、きっと想いは通っているはずと確かめています。

自分の知らないことでも、空の星は見て知っている。
こうあってほしいという願いを星に託しているところもあるのではないでしょうか。

ASKAの「星は何でも知っている」についても同じように、夜空の星は見て知っているということなんだと思います。
自分が決めた信じる道を、自分に偽りなく歩く姿を星はきっと見ている。
そこにある想いと、その歩みが辿り着くことをきっと知っている。
そういった想いが込められているように感じます。

そしてもう一つ。
これは僕の勝手なこじつけですが、星という言葉に長く続く継続性のようなものを感じるのです。
星は、宇宙のはるか彼方から、過去の光を届けています。
今見ている星の光は、現時点では消滅した星の光である可能性もあるのです。
ありのまま、届く光。
遥か彼方、そこにあった過去と今とをつなぐ光。
過去は変えられません、過去の延長が現在であり、その繰り返しが未来に続きます。
いつか来る未来、そこにあった光が届いていますように、と思わずにはいられなない自分がいると、記事を書きながら気づきました。

そういうことを考えると、星であることがしっくりくるんですよね。
太陽ではなく、星。
誰も知らない痛みや悩みを抱えながら、前を向く姿というのは、ひっそりとした夜のイメージが重なります。
そんな姿を見守るのも星であることに、どこか安らぎや優しさを感じます。

ASKAの曲の歌詞ですが、きっと同じようなものをCHAGEも持っている。
多分、人はみんなそういったものを持っている。
そういうものを、きっと星は全部知っている。

見上げた先にある夜空の星に見られていると思うと、嘘をつかず生きていかねばと姿勢を正されるような気持ちになります。

■最後に
やっぱり僕はこの曲がとても好きです。
賛否両論ある歌詞でもあると思いますが、僕には相手へのいたわりも尊敬も感じることができる。
何処か言葉にすることもはばかられる、ファンとして胸の内にある想いが、二人にとっては喜ばしい想いではないのかな、とそんなことも考えたりすることもありました。
でも、そういったものもすべて星は知っているだなと思うと、ありのままでありたい、ありのままを受け止めたい、そんな風に素直になれる気がします。

僕はそう感じるのです。

それぞれの歌を聴いていると、どうしても浮かんでしまうもう一人の誰かさん。
さしずめファンの僕らは、「二人をいつも待ってた今夜の星たち」なのかもしれません。
どうぞ、ありがとう。



参考までに、「憲兵も王様も居ない城」の歌詞の記事も載せておきます。
OGPイメージ

歌詞を考える 『憲兵も王様も居ない城』 ASKA(note Ver.)|くわくわ@ジニー|note

こんばんは、ジニーです。 まだnoteの使い方は勉強中なのですが、書くことで慣れていく事もあるかなという考えに基づいて、とりあえず投稿して...

note(ノート)

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌詞を考える ASKA「百花繚乱」(アルバム Breath of Bless)

2021年05月30日 16時58分24秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。

noteの方で公開している歌詞の考察をご紹介します。
めちゃくちゃ時間のかかった、難しい歌詞でした。

でもすごくかっこいい曲なんですよねぇ。

この曲もそうなのかもしれないですが、世の中には考えるのではなく
感じるほうが胸に染み込んでくる歌詞もあります。
曲の世界をいかにイメージにつなげていくか、考えるよりも感じる。
受け取り方にもいろいろありますね。


OGPイメージ

歌詞を考える ASKA「百花繚乱」(アルバム Breath of Bless)|くわくわ@ジニー|note

こんばんは、ジニーです。 しばらくぶりの更新となってしまいました。 仕事やらなんやら忙しい時期というのもありましたが、時間があれば歌詞とに...

note(ノート)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌詞を考える ASKA「忘れ物はあったかい」(アルバム Breath of Bless)

2021年04月27日 12時38分24秒 | 歌詞を考える
こんにちは、ジニーです。

今回の「歌詞を考える」は、ASKAのアルバム「Breath of Bless」の5曲目。
「忘れ物はあったかい」です。

結成30周年記念コンサートの話が出ていた光GENJIに対して
7曲新曲を書きおろしていたらしいのですが、そのうちの1曲です。
歌詞はASKAが自分で歌うように変えているそうですが、
ところどころで光GENJIが浮かんでくるようなところも。

淡いブルーの、ガラスのパラダイス~♪
※歌詞カードには記載がないので、考察では触れていません。

歌詞を考える ASKA「忘れ物はあったかい」(アルバム Breath of Bless)|くわくわ@ジニー|note

おはようございます。 ASKAの最新アルバム「Breath of Bless」の歌詞をひとつずつ考察しておりますが、今回で5曲目。 今日は...

note(ノート)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌詞を考える 『未来の人よ』 ASAK(アルバム「Breath of Bless」)

2021年04月09日 16時28分48秒 | 歌詞を考える
ASKAの「未来の人よ」の歌詞について考察しました。

「未来の人よ」、僕らからすればこれから起こるであろう時間軸の
中に生きている人を思い描くことになりますが、
過去の人からすれば、僕らがすでに「未来の人」です。

過去と現在と未来とはつながっている。
なんか深いですね。
まさしく、砂時計のくびれた場所。

この歌ではその3つの時間軸が大きな愛の中でつながっている
印象を感じます。
ベテランだからこそ説得力を持って歌える歌なのかもしれないですね。


歌詞を考える 『未来の人よ』 ASAK(アルバム「Breath of Bless」)|くわくわ@ジニー|note

こんばんは、ジニーです。 ASKAのアルバム「Breath of Bless」の収録曲を一つ一つテーマに挙げて、その歌詞を自分なりに考察...

note(ノート)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌詞を考える Kinki Kids 「陽炎 〜Kagiroi」

2021年04月04日 06時20分48秒 | 歌詞を考える

おはようございます、ジニーです。

先日マサさんからリクエストいただきましたkinki Kidsの
「陽炎 〜Kagiroi」の歌詞について、今回は考えてみました。

この曲は、2016年に発売された彼らのアルバム「N album」に収録されている曲で。
作詞を堂本剛さん、作曲を堂本剛さんと堂島孝平さんの共作で制作されています。

歌詞はこちらからご確認ください。
「陽炎 ~Kagiroi/KinKi Kids」の歌詞


まず歌詞を読み始めて思ったのが、タイトルの読み方。
この字は「かげろう」と読んでいましたが、「かぎろい」とも読むんですね。
知らなかった。
意味を調べると、『局所的に密度の異なる大気が混ざり合うことで光が屈折し、起こる現象』
とあります。
夏場とかに見られる遠くでゆらゆらするアレですね。

歌詞を読み進めて、ライブの音源も聴きながら、感じました。
なんと難解な歌詞だろうと。

剛君の独特な世界観に溢れていますね。
こうやって歌詞を考えると書き始めましたが、まだ考えながら書いてるところがあります。
自分なりにある程度納得感が感じられる考えがまとまったので、書きながら
うまくまとめていけたらなと思います。

歌詞を読んで感じたことを、仮説を交えて描いていきますので、
少し偏った見方になっているかもしれませんが、例によって、ある一人の人間の
感じ方ということで読んでいただけると幸いです。



1)SNS、ネット社会をテーマにした曲ではないかな?

とても抽象的な表現の多い歌詞。
読みながらも、なかなか情景を浮かべるというのが上手にできませんでした。
一つ一つの言葉に、立ち止まって、どういう意味だろう?
なんてかんじの繰り返し、メロディーやアレンジから伝わる曲の雰囲気と
相まって、何か切なさを感じる歌詞でした。
なんだろう、見えないものに怯えている印象。

今回、仮説として考察を進めるのは、そのほうが理由付けと情景を
自分の感覚で持ちやすいなと思ったからです。

ではなぜSNS、ネット社会をテーマとしていると感じたか?
1番のAメロ部分の歌詞がそう感じさせました。

「時代があげるスピードに カラダを捨てた 日づけを綴る」

カラダを捨てたという意味をどうとるかというのが、一番最初のステップでした。
その後の歌詞も読み進める中で、「自分が自分でなくなる」「実体がない」という
ことを「カラダを捨てた」という表現にしているのかなと考え、
現代、その感覚に一番近いのが、SNSやネットかな、と感じたのです。

例えると、ツイッターやラインなどのアカウントとかですね。
実体のある自分が、ある意味自分から隔離されるようなものじゃないですか。
正規アカウントもあれば、裏アカウントもある。
まるで人間の心をそのまま映し出したかのよう。
どこかに、自分から隔離されている意識もあるから、発言や対応もどこか大胆に
なったり攻撃的になったりする場面もあります。

その仮定で歌詞を捉えてみると、今まで抽象的だった言葉の羅列に
ある程度具体的な情景を浮かべることができそうな感じがしたのです。

「未来へと伸びている道標(ライン)のうえ」
⇒タイムラインやこれまでのやり取りが時系列で履歴としてのこる。履歴が残る
ことで伸びているイメージもリンクする。
「犇めき合った言葉と想い」
⇒SNSそのものの比喩的表現として捉えられる。

みたいな感じで。
こう捉えて読むと、「新しい 愛しているを 見上げて 探す 哀」という
ところもどことなく情景が浮かぶような気がしていて。
Aメロでは画面(ぼくは携帯のイメージ)をみて「犇めきあった言葉と想い」を
見ています。他人から見たら、うつむいて見えるのでないでしょうか?
しかしそこには求める愛はない。
だから携帯から目線を空に移して、もの悲しい感情を吐露しているのではないか。
たった一行ですが、主人公の視線や気持ち、表情などの動きがつぶさに
伝わってくる印象です。
この辺りは、剛君の行間を読ませる巧さかなと感じます。


(2)歌詞の主人公は何かに不安を感じているでのはないか

Bメロの歌詞がまた難解でした。

「もらい鳴きするよな 眩暈 起こしたよな
異例な息吹の風と廻る地球から」

ここはこの曲の主人公の心情を描いていると考えて読みました。
正直言って、何かをたとえているにしても、その何かを具体的にイメージでき
なかったんですよね。
だから、アプローチを変えて、この歌詞の心境に立ってみたほうが伝えたいことに
近づけるのかなと思いました。
もらい鳴き、眩暈、とにかく主人公には何かしらの負荷がかかるような
感覚を持っているようです。ストレスのようなものかもしれません。
「異例」と感じる、非日常的な感触。
廻る地球を感じるということは、実態は地球上にあるが、何かズレのようなものが
主人公の感覚の中には生まれていて、それが負荷になっているのでしょう。
僕はこれを、「未知への不安」と捉えました。

2番のBメロ部分にも「未知」という言葉がありますね。

「狭いはずの路地を飛来する1秒に 
 未体験な未知の入り口 築いてく」

「狭いはずの路地」というのを、自分自身の情報処理能力やキャパシティと受け取ると、
1秒で様々に入り込んでくる情報「犇めき合った言葉と想い」が目まぐるしく
新しい未来の入り口に繋がっているイメージ。

あまりにも情報のスピードが速く、気づけば通過してしまうものも多いでしょう。
一つ例を挙げるとラインのグループ。
最近耳にするのが、グループライン内で、返事が遅れた人や、何かの感情で特定的に
無視や暴言をぶつけるということもあるということ。
ちょっとした好きに通り過ぎてしまった言葉が発端で、仲の良かった人から
無視される、いじめられるという、これまでとは全く異なる未知の入り口が開かれて
しまうようなイメージを持つと、どことなくリンクしないでしょうか?

最近では、本来携帯の電源を切っておくような場所でも、携帯を見たり使用したりする
人が増えているそうですが、その理由の一つにこういった状況を防ぐため
タイムリーな情報収集をしなくてはいけないこともあるそうです。
たった一瞬、注意がそれることで、何もかもを失うリスクがあると感じているのかも
しれません。
「加害者にされるキミ・ボクがいるから 街は今日も眠らない気でいる」
という歌詞にも情景やイメージが繋がりますよね。

時代や流行に取り残される不安。
そして、その時代の流れに対して、これまで感じていたものとは違う「異例」な
ものを察知していることを表現したかったのが、Bメロの部分なのかなと思いました。


(3)サビで用いられるKagiroiの役割は?

「ぼくら色彩をもつ 命を持つKagiroi
 煌めき舞う闇の下揺れるKagiroi
 崩れだす胸の耳を塞ぐ手のひらに流れた熱の赤い脈の美を知ってるのに
 忘れてKagiroi」

これまでのAメロとBメロの仮説から考察をベースとすると、
主人公は非常に自分自身の実体を曖昧なものにしてしまっています。
そんな自分自身を陽炎(Kagiroi)と置き換えて表現していると考えるのが
スムーズではないかと考えました。

心の叫び(ひょっとすると呟きかもしれない)のようなもので、
SNSやネットの中にある仮想の自分が本物ではなく、ここにある自分自身が
本物なのだという気持ちがあふれています。
それなのに、そういった実体のないものに吸い込まれ、不安を感じつつも
抜け出せずにいる。
どこまでも自分自身が心もとない存在に見えている。
色彩(個性)、命を持ちながらも、ユラユラぼやけてしまっている本当の
自分自身がまるで陽炎(Kagiroi)のようだと。

崩れだしてしまう胸、そんな物悲しさを遮断したく耳を塞ぐ手、
そのどれもに熱があり、赤い脈動がある。
生きているんです、この廻る地球に。
なのに、SNSやネットの中で縛られてしまっている自分。
生きていることも忘れてしまいそうな、今にも消えそうな陽炎(Kagiroi)。

そんな、自己存在の不確かさがサビからは伝わってきます。


また、サビではデュオとう特性を生かし、剛君と光一君が別々のメロディーを
歌っています。
上記のサビと一緒に歌われている歌詞が
「いつか 愛は なくなるかな いずれ ぼくら 消えるのかな」
「いつか 愛は なくなるから いずれ ぼくら 泣いてるから」
ここも、不安を吐露するかのような歌詞がつづられています。
曲としての表現という観点からすると、全く別のメロディーで
それぞれの言葉で同じテーマを歌にすることで、より自分自身の内なる声、
葛藤のようなものを表現しているのかなと感じました。
歌詞という観点だけではできない、曲としての表現方法ですね。


(4)Cメロがひょっとすると一番言いたいことだったのかな?

2番のサビのあと、Cメロが存在します。
「separate 外したぼくらは 何時へ 行こうとしてるんだろう
 このparede 続けるぼくらは なにに 生まれ変わりたいんだろう」

これまでの曲の流れのとおり、主人公は現実とネットの中との境界線が
あやふやになってきています。
生きていく中で便利だから利用しているネット(SNS)なのに、
生きた行くためにネット(SNS)のなかでうまくやろうとしている。
というイメージでしょうか。
当初切り分けていたものが曖昧になり、どこか同化・逆転しています。
separate外したというのは、そういうことかなと。

そうすると
必然的に、行き先が気になりますね。
ここで凄いのは、行き先が場所ではなく時間なんです。
この時点で、場所の感覚がなくなってしまっている(ネット依存)・・・という
解釈を最初持ちましたが、ここでは少し考えを改めました。
重要なのは、過去・現在・未来のどこに幸せがあるのかを言いたかったのかな、と。
自分自身がどこに幸せを感じてるのか(もしくはいたのか)、本来は未来で
あるべきなのでしょうが。
果たして、主人公が危惧する不安が蔓延する世の中の未来に、それを感じられる
ことはできるのだろうか?
という問題提起にも聞こえてきます。

そして、そんな風に生きている自分たちをparadeというメタファーで表現し
命の果てを問いかけてきています。
ひょっとすると、そんなにSNSやネットの中での自分ではない自分に
生まれ変わることに、どのような意味があるのか?
という問いかけなのかもしれません。

この問いかけをしたくて、Cメロを準備したのかなとも感じました。
それくらい、僕は曲全体の中で、ここがズシンと来たのです。


(5)救いのない曲なのか?決してそんなことはない

長々と書いてきましたが、最後にこの歌詞の考察の結びとして
剛君が何を伝えたかったのかを、僕なりの感想として書いていきます。

今回の歌詞の考察は仮説を立てながら、自分なりに一番情景が浮かび、
納得感のあるイメージが持てることを前提に進めました。
その中で、感じたのは、剛君の愛に生きるというスタンスでした。

ここまでの歌詞の考察だけを見ると、現在に悲観している、
愛を見失って絶望している、という形にもとれるのですが、
僕は逆に、愛に生きる剛君のスタンスが、もっと身近にある愛(自分や家族)に
目を向けてみようよというメッセージとしてこの曲の歌詞に染み込んでいる気がします。

だって、「愛」と「哀」をちゃんと使い分けていますから。


この曲が収録された「N album」には「 naked & natural 」というテーマが設けられて
いたそうです。(wikipediaで調べました)
ありのまま自然体という意味ですが、そういう意味では剛君のありのまま自然体が
この曲にも色濃く出ていると思います。

こういった情報化社会における、自分を見失ってしまうようなことがあるよ、と。
この流れがいつまでも変わらずに行くと、僕らは果たして自分自身として
ありのまま生きていけるのかという、内なる不安を、伝えたかったのかもしれません。

「いつか 愛は なくなるかな いずれ ぼくら 消えるのかな」
という歌詞にある通り、
剛君にとって、愛と存在は連動しているものなのでしょう。
それはとっても人間的で、どのような時代を迎えようとも変えることのできない
一つの答えのように剛君は考えているのではないでしょうか?

だからもの悲しい想いを持ちつつも、「愛」を綴り、歌うのだと思います。

そして、この曲を歌う意味としては、
「僕にも、こういった不安はあるけど、ファンのみんながいる限り愛を歌うことで愛を与えていくよ」
という決意表明にもしているのかもしれません。

生きている以上、不安という感情もつきものですが、
ひとりでは乗り越えられないものも、誰かとなら乗り越えられる。
そこに愛があるんだと思います。

剛君にとって、そしてともにこの曲を歌う光一君にとって。
ファンという存在が、そして彼らを取り巻くかけがえのない人たちが、
同じように大切なんだよということを、「 naked & natural 」というテーマのもと
歌っているようにも、感じられました。

悲しみを共有することで、愛を確かめ合う。
最後に、僕はそういったポジティブな感想を持ちました。

同じものを共有したときの繋がりは固い結び目として強くなる。
きっとファンの方々にもこの曲が好きという方は多いと思うのですが、
意識的にも無意識にもそういった彼らの愛を感じ取っているからなのかもしれませんね。
そして、この曲が苦手という人にとっても、そういう気持ちが持てたときに、
彼らはずっと手を差し伸べてくれていたんだ、と感じられる曲になっているように思います。

陽炎は見る角度を変えると、見えたり消えたりするもののようです。
もし、いまなにか見失っているとしたら、その視線の角度を変えてみるのもいいのかもしれません。
そういうことも、教えてくれている曲にも感じられます。


ここまで読んでください、ありがとうございます。
あくまでも僕が感じた感想です。
もっと深く、別の意味が込められているのかもしれません。
この曲に対する、こういう捉え方もあるんだな、なんていう一つとして
読んでいただけると嬉しいです。

※よろしければ、他のKinki Kidsの歌詞の考察も書いているので、読んでみてください。

OGPイメージ

歌詞を考える Kinki Kids 『Topaz Love』 - ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

こんにちは、ジニーです。みきさんに随分まえにお勧めされていた「TopazLove」。ようやくちゃんと聴きまして、歌詞についても考えてみました...

歌詞を考える Kinki Kids 『Topaz Love』 - ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

 



OGPイメージ

【追記】歌詞を考える  KinKi Kids 『恋涙』 - ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

すすこんばんは、ジニーです。  今日は、1月1日。堂本光一くんの誕生日と言うこともありますので、KinkiKidsの「恋涙」、考えてみました...

【追記】歌詞を考える  KinKi Kids 『恋涙』 - ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

 



OGPイメージ

歌詞を考える KinKi Kids 『銀色 暗号』 - ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

おはようございます、ジニーです。ずいぶん久しぶりになってしまいましたが、またこれやろうと思います。今回はKinKiKidsの『銀色暗号』。2...

歌詞を考える KinKi Kids 『銀色 暗号』 - ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌詞を考える ASKA 「どうしたの?」

2021年03月22日 20時35分00秒 | 歌詞を考える
考えるというよりは、感じたり思い描いたりするタイプの歌詞だと感じてます。

考えれば考えるほど解釈が増えていく。
言葉って凄いなぁ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする