ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

気負わず、気取らず、ありのまま。
ゆるりと思ったことを書いていってます。
お気に召したらうれしい限り。

敏感な時代

2019年07月27日 15時15分42秒 | Weblog
こんにちは、ジニーです。

台風がまさにいま直撃中です。
色んな予定がありましたがすべて流れて、思わずゆったりデーとなりました。

最近のニュースを見ていると、なんだか知覚過敏なみに
敏感な時代になってきたなと感じます。


ひとつは吉本興業のニュース。
これは、なぜ同社社員じゃない人が叩いていたりするんでしょうかね?
はっきり言って内輪もめのようなものが、なぜこんなにも世間の目に
触れてしまったのか。
エンターテイメントを事業としているからでしょうし、タレントさんが
絡んでいたからでしょうね。

いつも思いますが、タレントさんの不祥事は、なぜ本人が世間全体に
謝罪するのでしょうか?
少なくとも僕は迷惑を被っていません。

会社の体制の悪さもありそうですが、宮迫さんをはじめとする
関連した人たちの嘘も良くなかったですね。
そういう嘘が生まれてしまったこと、それも体制の一つでしょう。


芸人さんにはいつも笑わせてもらっていますので、
早くそういったことが気にせず笑えるようになってほしいなと思います。



それと、高校野球。
大船渡高校の佐々木君が令和最初の怪物として注目を集めていましたが、
地方大会で敗退となりました。
決勝戦では佐々木君は投げなかったようなのですが、これについて
高校側には「なぜ投げさせなかったのか」という苦情がたくさん入っているようです。

理解不能です。

監督がそう判断したのだからそうなんですよ。
その采配の背景は、コメントを聴く限りでは佐々木君の将来を見据えての判断。
立派じゃないですか。

勝たなきゃ意味がない世界ではありますが、それでも未来のある選手なので
大切に、長く活躍していってほしいです。
きっとプロ野球選手にもなるでしょうしね。



どちらも外野が敏感に反応しすぎているように感じます。

と言いつつ、それを取り上げる僕も、充分に敏感ですけどねw




なんかいろんな報道を見ていると、コメントは出せど
批判にはならないようにと、改めて感じます。
そして、形だけの謝罪を求めるようなことなく、その本質を見据えていけるような
視点を持っていきたいなと感じます。

敏感な時代ですからね。
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村山由佳 「BAD KIDS」 読了

2019年07月26日 23時22分57秒 | 読書
こんばんは、ジニーです。


今回の読了は、村山由佳さんの「BAD KIDS」です。

メッチャ久しぶりに読みました。
いつぶりかな?
10年ぶりくらいかもしれません。
いや、それ以上か?


それくらい久しぶりということです。


本作は1994年に発表された作品です。
主人公は、高校生の二人。
ひとりはラグビー部のエース、隆之。
もう一人は問題児の写真部部長、都。

それぞれに抱える恋と性の悩みをテーマにした作品です。
隆之が抱えるのは、同じラグビー部である同性の友人への恋心で、
都が抱えるのは、年上のカメラマンへの愛。
純真さがゆえに事故を認められず、戸惑い迷う10代の物語です。

このころの村山由佳さんは、10代の心情や焦燥感を切り取るのが
本当に巧みだなと感じます。
初めて手にしたのは22~3歳のころだったと思いますが、
微かに残っている10代の感覚が揺さぶれたのを覚えています。


何とも不器用な二人です。
不器用なりに壁にぶつかり、思い描く自分と現実の自分との隔たりに
いちいち傷つき悩む。
だからこそ互いの存在に安らぎや癒しを感じ、友人とも恋人とも
違うイノセントな関係を構築できたのでしょう。


いま、30代(というかアラフォー)になって読んでみると、
また違った観点で見ることができました。

当時読んでいた時は、主人公の二人に心象を重ねながら読んでいたように
感じますが、今回は違いました。
都の恋人である30代のカメラマン、北崎の視点が読み手としての
自分とリンクしたのです。

この視点から見ると、ホント主人公のふたりは危なっかしくて見てらんない
という感じになります。
しかし、北崎もまだまだ幼稚なところがあるもんで、「ああ、もう!」てなったり
なかなかに新鮮な視点をもって読み進めることができました。


いわゆる「優等生」とは程遠い隆之と都。
でも、二人のことを知れば知るほどそのまっすぐさに驚かされます。
ここまで純真なものが、なぜ「劣等生」となるのか、
「問題を起こさないいい子」からはじかれてしまうのか。
大衆の総意が正義となる世間の仕組みに馴染めない、マイノリティを
偏に「劣等生」と呼んでしまうことへの横暴を感じざるを得ない
純真さがゆえに馴染めないモラトリアムをとても感じる作品です。

きっと多くの人が、隆之と都の中にある正義のようなまばゆさを感じつつ
与することのできない理解不能さを感じ、その陰影の濃さに胸が詰まることでしょう。

こういう感じはほかの作家さんでは表現できない気がする。
村山由佳さんだから切り取れる「BAD KIDS」の純粋さ。

違和感ばかりの不協和音の中で、ほんの一瞬流れたたった一つの和音に
何処までも透明な安らぎを感じられるのは、この二人だからであって
今となれば、もう戻れない侘しさのようなものと、そういうものが自分にも
きっとあったはずと信じ込みたいエゴを感じられた作品です。

また、10年後に読んでみたいと思える作品でした。




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コメントありがとうございます

2019年07月22日 23時32分02秒 | Weblog
こんばんは、ジニーです。


僕が想像していた以上にいろんな方に読んでいただきました。
ビックリです。

コメントもいただきました、ありがとうございます。


>マミーさん
逮捕直後のChageの気持ち、とても難しい気持ちの中でのファンミだったと、想像に難くありません。
「復活を待ちながら亡くなったファンもいます」
とても重い言葉ですね、時間が消えるというのはこういう点にもつながるのでしょう。

ソロとしての二人も好きですが、傍らに必ずもう一人の姿をイメージしている気がします。
それくらい深く根付いているものですよね、僕らにとってチャゲアスは。

生きている間に二人の姿を見たいという気持ち、わかります。
ふたりが、ふたりとして立つには、ふたりで解決しないといけないことがあるのだと思います。
そうれを考えると、僕らは無力にも感じますが、
僕らが待っていることが、少なからず二人でやる意味になるのであれば
これ以上の仕事もないと思います。

一時期に比べれば凍てつく南無さの冬は過ぎたように思いますが、
あたたかな雪解けの春が待ち遠しいですね。

ありがとうございます。



>ともーんさん
ブログ読んでくださり、ありがとうございます。
そして、同じ思いを持っていただく部分もあったようで、嬉しいです。

「最後の文の事件に関しては、私は切り離してはいません」
この一文にともーんさん今の気持ち、当時の気持ち、すべて込められているように感じました。
とても大切な意見だと思います。
どうしても伝えたい思いを伝えていただきありがとうございます。
その想いを全く否定するつもりもありませんし、そんな風に思わせてしまうほどの
事件だったと思います。

以前交友のあったファンの方も事件のショックでまったく曲が聴けなくなりました。
そのまま交友は途絶えてしまいました。

人によってはそれほどの出来事だったと感じています。

とてもナイーブなことなので、誤解なく想いが伝わればいいなと思うのですが、
僕はそのうえで、切り離すべきことだと感じています。
もっと考えていることに近い言葉で言うと、名誉も地位もしがらみも人間関係も
すべての荷物をいったんおろして、何もないフラットな状態で二人の問題に
取り組んでもらいたいというのが正しいかもしれません。


僕のような考えの人もいれば、ともーんさんのような考えの人もいる、
きっとまた別の考えの人もいると思います。
そういった様々な考えがある中で、ひとつ「チャゲアスの復活を願う」という
気持ちがリンクしていれば、肩を組み同じ景色をみて歩いて行ける気がしています。

甘いのかもしれませんが、僕はそんな考えを持っています。

貴重な考えをコメントしていただき、ありがとうございました。






ほかにもTwitterのほうにいただているコメントもあります。
そちらも返答していきます。


こんな考えを持ついちファンではありますが、二人の歩み寄りと、その先にある
チャゲアスの復活を待っているし、きっとそうなると信じています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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女性自身のChageの記事を読んで

2019年07月21日 06時11分47秒 | Weblog
しばらく、触れずにいましたが、少しずつ自分の気持ちが見えてきたので記事にします。

まず、ASKAのブログで、CHAGE and ASKAの復活は当面ないことが判明しました。
しかも、状況はなかなかに深刻。
ASKAとChageの両者にある溝は相当に深く感じました。

チャゲアスを解散したいASKAと、チャゲアスを継続したいChage。


個人的には先だってのASKAのブログは、ASKAのありのままの言葉でつづられていましたが、
読み方によっては誤解を招くような内容だと感じました。

もちろん真意はASKAにしかわからないところもありますが、
僕が読んで感じたのは、チャゲアスを継続させるための解散。
矛盾するような内容ですが、僕の中ではとてもすんなりと受け止められる言葉です。


すでに自分たちの意思では動けないほどにがんじがらめになってしまった
チャゲアスという組織。

あるべき場所に戻そうとしているのだと思います。
ChageとASKAという、最小の、最適の人数。
この二人だけがいればチャゲアスになる、そこに戻りたいのだと思います。


社会現象とまでなるブレイクを果たし、もはや自分たちの意思だけでは
動けなくなったチャゲアス。
ファンのため、支える周囲のスタッフのため、関わる企業のため
彼らいつしか、アーティストいうよりも一つのプロジェクトになっていたのだと思います。

「時間は消えていく」
L&Rの歌詞にある通り、ASKAは先をそのような視点で見据えています。
もう自分が歌える時間には限りがあり消えていくばかりだと。

だからこそ、原点に還り
残された時間を、シンプルに濃密なものにしていきたいという想いが
今回のASKAの要望につながっている気がしてなりません。



しかし、逆説的に言えば、チャゲアスをここまで大きくしたのは
そういったしがらみも持ち合わせたファンであり、スタッフであり、企業です。
そこへの恩義や、想いに応えていきたいのがChageなのだと思っています。

女性自身の記事でChageは、2013年に開催されるはずだったライブ「On Your Mark」を
叶えたいという想いを持っていることが分かりました。
待たせてしまっているファンへ、まずその想いを返したいと。

Chageは本当にファンを大切にしています。
ASKAが大切にしていないという意味ではなく、ファンへの想いに応えたいという想いが
ものすごく大きいのです。
全国のファンのもとへ行けるよう開催しているファンミーティングも1回や2回くらいの
レベルではなく、何度も開催しています。
ASKAの事件の後、このファンミーテングにかける思いはより一層強くなったように感じています。

「時間はまだある」
女性自身の記事の中に、こういった表現もありました。
まだまだ歌える、むしろ以前よりも巧くなっていっている。
アーティストとしての生命線である声も、曲を生み出す力も枯れてはいないことを
しっかりと自分自身の感覚として認識しているからこそ、焦らずじっくりと
考えているところもあるのではないかと感じます。


「時間は消えていく」
「時間はまだある」
対照的な二つの言葉、捉え方。
ここに、決定的な混ざり合わない考え方を見て、愕然とする人も多いかもしれません。
でも、僕はそれほど二人の視点はズレていないように感じるのです。
だって、二人とも未来を見ている。


あくまで捉え方の違い。
スタンスの違いです。
もともと、全く別の音楽観、価値観の二人が融合することがチャゲアスの最大の
魅力であり、強さだったはず。
そういった部分を二人が変わらず持っていることに、僕は可能性を感じるばかりです。




ふたりともチャゲアスをやりたい気持ちは変わらない。
あとはどうやってそこにたどり着くかです。


僕からすれば、ASKAのやり方がドラスティックすぎるのではないかと懸念しています。
Chageが自分たちよりもファンを思いすぎているのではないかと懸念しています。

ASKAは憲兵も王様も居なくなった飾りのような城からは速く出てこいと言いますが、
もぬけの方となった城にも、ともに過ごしてきた歴史がありそこには礼を尽くすべきだと
思うのです。
それを大切にしたいChage。

どこかで劇的に事態が進展するかもしれませんし、平行線のまま形にならず行くかもしれません。
結局ファンは見守るしかないのだと思います。
ただ見守る。


どちらかに寄りすぎると、相手側の真意(のようなもの)が見えなくなる。
相手の行動に不満を感じるようになる。
そういった言葉や声は、雑音でしかないですよ、二人にとって。


根本となる部分はシンプルです「どうやってチャゲアスをやるか」です。
まずはファンやスタッフ、企業のためではなく、自分たちのためにチャゲアスをやってほしい。
そのために二人で話す時間を作りたがっているASKAの考え方には賛成です。
雑音はいったん取り除いて、原点である二人で話す時間を増やしてほしい。
きっともっとやり方はあるはず、ASKAはそこをあきらめてはいけない。
Chageはもっと自分の想いにわがままになってほしい。
ちゃんと着いていくので、僕らのことばかり考えなくてもいい。



結局、信じることがすべてなんだと思っています。
求めるのも、期待するのも僕らの勝手。
そういった想いは僕の中にだってめちゃくちゃあります。
それが満たされないからと言って、本人たちに向けて不満を漏らしてはいけないと思います。
ましてやファン同士で罵り合うとか愚の骨頂。
信じると決めた事を、信じ抜けばいい。
チャゲアスのファンは相当に我慢強い人間の集まりのはずです。
これだけ待っても、なお待てるんですからw



最後に、本件についてASKAの事件は切り離して考えるべきだと思います。
確かにチャゲアスを続けられなくなった大きなきっかけの一つだったとは思いますし、
社会の規律に違反したので、法律的に償うことは償わなければいけません。
でも、それとこれとはもはや別件だと思っています。
事件がなくても、遅かれ早かれこういう事態は訪れていたと思います。



こういった考えかたには賛否両論あるでしょう。
でも、それもその人たちがそれぞれにチャゲアスを愛しているからなんだと思います。

でも、気持ちが荒んだときは思い出してほしい。
様々なきっかけはあるにせよ、
好きだと決めたのは自分だと。
応援すると決めたのは自分だと。
その自分を信じることだけです。


僕は僕の信じていることを、信じ抜いていこうと思ってこのきじを書きました。
この覚悟は、もう数年間変わっていません。
まだ当分変わりそうにもありません。


僕はね、チャゲアスはもちろん、ASKAもChageも大好きなんですよ。
その音楽に魅了された「僕たちの音楽を愛するあなた達」も大好きです。
最後に言いたかったのは、ただそれだけ。



どうぞ、ありがとう。
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京都アニメーションの火災事件について

2019年07月21日 05時43分45秒 | Weblog
おはよございます、ジニーです。

アニメ好きの立場からしたら、本当に許せない、歯がゆい事件が起きました。

京都アニメーションの火災事件。



容疑者は逮捕となりました。
まだ、真相が明るみになったわけではありませんが、一方的な恨みが
あったようです。

全くもって理解不能。


一方的な恨み。
簡単な日本語で表されていますが、これそういうことですか?


そんなもので、こんなにも多くの命が奪われていいのでしょうか?
絶対よくない。
あってはならない。



人間である以上、恨みや怒り、そういった負の感情は生まれます。
どうしようもありません。

しかし、それらはうまく自分の中で消化すべきものです。
それらの感情に身を委ねてはいけない。


理性。
多くの生き物の中で、とりわけ人間が伸ばすことのできた能力。
胸の中にうごめく負の感情と折り合いをつけ、プラスに変えていくのが
人間にできることであり、人間としてのやり方ではないでしょうか。


暴力的に憂さを晴らすのは、短絡的です。
僕はこういうやり方は認めたくありません。



願わくば、犯人には徹底的に自分の犯した罪の重さと
自分自身の弱さと向き合うようにしてほしい。
人の命を奪った罪の重さを、深く深く後悔してほしい。



事件でお亡くなりになられた未来あるスタッフの方々。
お冥福をお祈りいたします。
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おはようございます

2019年07月18日 07時58分00秒 | Weblog
おはようございます、ジニーです。
 
 
なにやら明日で学校は最終日。
夏休みに入るようです。
 
娘の小学校では、わんさか宿題が出ています。
 
話に聞くとアメリカでは夏休みに宿題はでないそう。
バカンスという捉え方で、家族みんなが休みをとって
家族の時間を満喫するということなのでしょう。
 
 
どちらがいいということはないですが、
今日日の小学生はなかなかハードだなと感じました。
 
 
ちなみに、僕は去年娘と一緒に同じ本で読書感想文を書きました。
あ、もちろん提出などしていない只の自己満足です。
今年も書こうと思います。
これに関しては、割と楽しんでますw
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ムシムシムンムン

2019年07月15日 16時19分00秒 | Weblog
あーつーいーーー!
 
 
汗ダラダラのジニーです。
 
今日は海の日でお休みですが、休日出勤でした。
行き帰り、名古屋駅からは歩いているのですが、
今日はホント大変です。
汗が止まりません!
 
これも夏ということですね。
 
こんな日は、Sons and Daughters〜それより僕が伝えたいのは〜
を聴いて涼やかな気持ちになりたいです。
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プロ野球オールスター戦でのサイクル安打

2019年07月14日 20時06分50秒 | スポーツ
こんばんは、ジニーです。
 
 
昨日まで2試合開催されたプロ野球のオールスター戦。
2戦目は甲子園で試合がありました。
 
さすが、ホームで躍動したのは阪神タイガースの選手。
前日の9回に代打ホームランを決めた原口。
正捕手としてのポジションを獲得した梅野。
この二人が連発でホームランを放ったたりしてビックリしたのですが、
何よりもルーキーの近本。
 
 
この日は先頭打者として、いきなりホームランを放つなど鮮烈な輝きを放って
いましたが、その極めつけはサイクル安打の達成ですね。
若干、3塁種の松田の忖度のようなものも感じましたが、いいでしょう。
これは球宴です。
お祭りで硬いことは無しです。
むしろ、盛り上げる要素になったのではないでしょうか?
 
 
オールスターでのサイクル安打は元ヤクルトの古田選手以来2人目。
歴史的な出来事です。
 
 
前半戦終盤。
阪神は負けが込んでしまいましたが、後半戦はこのオールスター戦のごとく
ノリノリでいってほしいものです。
 
応援してますんでね。
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コメントありがとうございます

2019年07月14日 16時24分00秒 | Weblog
こんにちは、ジニーです。
 
みきさん、いつもコメントありがとうございます。
 
今回の作品まだ読んでいなかったということですが、
是非読んでいただきたいなと思います。
 
多分、みきさんにも気に入ってもらえる作品だと思います。
 
いま、読んでいるのは昨年からずっと気になっていた作品なのですが、
思っていた雰囲気とは違って、でも面白くて、読書の面白さを
改めて感じているところです。
 
読み終わったら、また感想を書きますね。
その前に、一個感想書いてないやつがあるのでそれも書かないと。
 
 
また、お越しください。
 
いつもありがとうございます。
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瀬尾まいこ 「僕らのごはんは明日で待ってる」 読了

2019年07月07日 06時30分03秒 | 読書
おはようございます、ジニーです。
 
 
今回の読了は、大好きな瀬尾さんの作品を再び。
「僕らのごはんは明日で待ってる」を読みました。
 
今回も元気がもらえる瀬尾さん節。
 
高校生の二人の7年の恋模様を描いた作品。
ひとりは、兄を亡くして以来、ふさぎ込み、いつも「たそがれ」ている男子、葉山。
もう一人は、両親がおらず祖父母に育てられた、ズカズカ踏み込んでくる女子、上村。
 
全体は4つの章から構成されており、少しずつ時間を経過しながら
ふたりの関係性が変わっていきます。
 
周囲に関心を示さず、根暗を極める葉山と上村が、体育祭の競技をきっかけに
距離がグッと縮まっていくのですが、ここで以後の二人の関係性が完全に出来上がっている
のがとても面白いです。
 
基本的には葉山の目線で話が進みます。
上村の思いがけない告白から、人と関わりを持つことを再開する葉山。
進路の決断も、海外への一人旅行も、別れも、結婚も、
唐突でそれでもこの二人らしい決め方です。
 
 
読み進めていくと、二人の生い立ちも含めて、意外にハッピーの要素は少ないのですが、
とても楽しく読めてしまうのですよね。
これぞ瀬尾さん節といえる所以。
ふたりの成長に、読んでいるこちらもいつの間にか励まされている瞬間があります。
 
しかし、面白いもので、
人の決断というものは、非常に頑なでありながら、とても柔軟です。
ひとりでいたときに、変わりようもないと思えた世界が、
人との出会いによってがらりと変わっていく。
誰かと関わり合うということは、変化そのものなのかもしれません。
結局、ひとりで悶々と考え込んで出す答えなんて、ひとりの狭い視野の中で見えている
答えのようなものを拾い上げているようなもので、他人の価値観や人生観といった
別の視野が組み込まれることで、その狭さを知らずに受け入れ、変容していくのでしょう。
 
瀬尾さんの作品には、そういった他社とのかかわりの中での
実は意外に大きな変化や変革を迎えるというものが多いです。
もちろん何かのテーマをもって書かれる「小説」、「書き物」にそういった変化や変革は
つきものですが、瀬尾さんの作品はそういったものがなぜか妙に身近なものに
感じてしまう。
全く違うものでも、近しいものにスッと置き換えられて、ふとした気付きになる。
なんだかそんな瞬間が多い気がします。
 
 
もう一つ、食べ物。
瀬尾さんの作品には必ず食べ物が、おいしそうに、ていねいに描写されています。
本作ではケンタッキーや羊羹。
これまでの作品にも、おいしい白米や中華料理、なぜか葛切りのはいったカレーもありました。
 
これは僕の勝手な持論ですが、食べるということは最も「生きる」ことを
象徴している行為だと感じるのです。
瀬尾さんの作品は様々なアプローチこそあれど、「生きる」ことや「生きる意味」を
常に織り込んで書いています。
登場する人物が迷いつつ、戸惑いつつ、徐々に答えを見出し、再びあたたかな日向に戻ってくる
経過を、食事を通してよりリアルに「生きて」見せているように感じます。
 
僕自身、食事が何よりも幸せを感じる瞬間ですので、この辺りも瀬尾さんの作品が
自分との相性の良さを感じるポイントなのかもしれません。
これからも瀬尾さんの作品にはお世話になりそうです。
 
 
2017年には、Hey! Say! JUMPの中島 裕翔くん主演で映画化もされているようです。
こちらも時間を見つけて観てみたいですね。
 
 
 
 
 
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