高萩市の経緯は、昭和12年10月1日松原町が高萩町に改称、昭和29年11月23日に高萩町・松岡町・高岡村の二町一村、黒前村・櫛形村の一部の合併により誕生、現在に至っています。
高萩市は、茨城県の北東部に位置し、 東は太平洋に面し、西は多賀山地が連なり、その間を花貫川と関根川が流れて渓谷を作っています。北部は福島県東白川郡塙町と茨城県北茨城市に接し、南部は日立市、西部は常陸太田市に接しています。
東京からは約150キロメートルの距離にあり、市の総面積は193.55平方キロメートル(令和4年1月 国土地理院)。市域の約85パーセントが山林原野等で、耕地面積は1,040ヘクタールとなっています。
人口は、令和4年6月1日現在で2.6万人強、世帯数は1.1万強となっています。
市章は、高萩市の「高」を簡明に図案化したもので、上部の両翼は飛躍を意味し、中央の尖剣は向上を表し、市の円満協力性と発展性を強く表現しています。(昭和30年2月19日制定)
市の花は「ハギ」、市の木は「マツ」、市の鳥は「キジ」です。(以上は、高萩市HPより)
高萩市は、市単独の公共下水道を持たず日立・高萩広域下水道組合が運営しています。
経緯は、昭和 57 年4 月日立市北部、高萩市、十王町を対象とする広域下水道事業を行うため、日立・高萩・十王広域下水道組合を設立します。
平成元年4月、伊師浄化センターの運転開始と同時に日立及び高萩地区の一部を供用開始、平成 3 年 4 月には旧十王町を供用開始し、平成28年度末の区域人口に対し普及率は約93.4%となっています。
なお、平成 16 年 11 月、日立市と十王町が合併したことにより、組合の名称が日立・高萩広域下水道組合に変更となりました。
市の概要はここまでにし、マンホール蓋の整理に移ります。
高萩市は、令和3年4月25日に第14弾としてマンホールカードの配布を始めました。
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
高萩市出身で江戸時代の地理学者、長久保赤水(1717ー1801)が手掛けた日本地図「改正日本輿地路程全図(かいせいにほんよちよていぜんず)」を描いたマンホール蓋です。 この日本図は赤水が当時の地誌や伝聞などをもとに江戸時代後期の安永8(1779)年に完成させたもので、刊行日本図としては初めて経緯線が記入されています。 赤水の関連資料が令和2年9月に国の重要文化財に指定されたことを受けてマンホール蓋を製作しました。「赤水図」の風合いを忠実に再現することを心がけてデザインしましたので、地図を描いていた当時に思いをはせていただければと思います。
高萩駅前には、長久保赤水像、日本地図「改正日本輿地路程全図」等の記念碑が建てられています。
こちらは、マンホールカードの座標に設置されている蓋です。
茨城県指定文化財「穂積家住宅」前の歩道に設置されています。
蓋の上部には、「日立・高萩広域下水道組合」、下部には「たかはぎ」、「おすい」と表記されています。
なお、広域下水道組合の一般的なデザインの蓋は日立市や高萩市の中で整理するのではなく、別途「日立・高萩広域下水道組合」の項で整理する事にします。
こちらは、昭和57年3月に分譲開始した住宅団地内で撮ったマンホール蓋です。
昭和57年4月に日立・高萩・十王広域下水道組合が設立なので、こちらの蓋は下水道組合が設立される前に設置された蓋と推測できます。
恐らく、団地のデベロッパーが団地内の下水処理設備を整備し、設置したマンホール蓋ではないかと思われます。
中央に市章、その周囲を二重にたくさんの市章が取り囲むデザインですが、本来のデザインの意図は判りません。
こちらは雨水蓋です。
こちらは汚水(下水道)蓋です。
今回は時間制限で行けませんでしたが、他の住宅造成地区でも下水道組合が管轄する蓋以外の蓋が設置されている可能性があるようにも思います。
こちらは、高萩駅西口近くで見つけたJIS規格模様の蓋です。
中央の市章のデザインが少し違って見えますが、こちらも下水道組合の設立前に特定地区で設置された蓋なのかも知れません。
以降では、上水道関係他の蓋を整理します。
最初は、消火栓の蓋です。
こちらは、中央に市の鳥「キジ」のつがい、背景に市の木「マツ」と市の花「ハギ」がデザインされています。
こちらは規格模様の蓋です。
次は、防火貯水槽の蓋です。
こちらの蓋は、防火貯水槽の蓋と識別できる文字など有りませんが、防火貯水槽の蓋として設置されていました。
こちらは、上水道関係の仕切弁の蓋です。
こちらの蓋には、上部に「トミス」と表記されています。
こちらは、制水弁の蓋です。
こちらは、排泥弁の蓋です。
以上で、茨城県高萩市のマンホール蓋の整理は終了です。