楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

現在とられているインフレターゲット政策でデフレ脱却はできるのだろうか

2013-01-24 04:53:07 | Weblog
何が何でも現在のデフレ状態からの脱却ということからアベノミクスなる政策がとられている。その中身は国債を大幅に発行して市中に流す、そこから貨幣(お金)が人々に行き渡り、人々の消費意欲を喚起させ、ターゲットなる2パーセント以上の物価を押し上げ、デフレからの脱却を図ろうとするものといえる。

 そこにはなぜデフレ状態の現実があるのかという視点が欠けているように思われる。工業の発達、いうなれば現在という時はすざましいほど日々発展していく技術革新がある。半年もすれば新しい製品、またそれまでの製品より安価になった商品が市中に出回る、例をとればスマートホンでありタブレットPCがあっという間に新しい製品にとって変わられ2・3ヶ月前に買った製品が古くなってしまっている。

 本来人間の生活を豊かにするはずであった技術革新が今わ単なる競争としてのコスト削減が本命となってしまった。そのコスト削減がもっとも安易な方法としての人件費削減という形で世界を支配してしまった。

 巷に溢れているのは人件費の削減が政策の柱となってしまった感がある。その例として国家公務員の人件費削減から地方公務員の人件費削減へと波及し、学校教師の大幅な退職問題を2月を前にしてテレビ等で報道されている。

 これは違う面から考えてみればこれからの未来を支える人材となる小中学校の生徒たちに先生を通じて未来は決して良くなるものでは無いですよ、と教えているようなものだといえる。そこでは無駄な消費は命取りになりますよ、できるだけ質素な生活を心がけましょうと自分の置かれている現状からの発信になってしまう。

 また年金生活者の老人にとっても、手取りの年金の減少がもたらす明日への見通しは暗いものになり、そこにも財布の紐を締めてしまうことにもなる。

 このような状態から見ていくと何かアベノミクスは本当に経済を活性化できるのだろうかと考えてしまう、この政策が果たして最善の方法なのだろうか。最終的には国債の増刷によって日本国債の信用度が落ち国債金利が上がる、これは避けられない事態ではなかろうか。つまり最終的にはヘッジファンドに国債を増刷した分の貨幣(お金)を持って行かれてしまうと考えるのだが。

 本来お金というものは純粋(AEの関係)に交換に回っていれば新たに市中に投入する必要は無いといえるのだが。どこかが間違えているような気がする。

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