今朝は妻の友達のキムに誘われて、ヘイスティングという港町であった先住民のアボリジニーの応援集会とウオークに行ってきました。
朝の10時ごろ妻の車で出発。家から車で20分程のところにあるヘイスティングという町はシェルの石油精製所がある重化学工業の町で、世界で最南端のマングローブの生息する場所としても知られています。
まず、集合場所に着いたら、広場には既に150人程が集まっていました。まだ時間があったので、桟橋に行ってヨットハーバーを見に行きました。(見出し写真参照)
実は、10年くらい前にここヨットクラブのレースのクルーをしたことが10回ほどあります。ヨットクラブのメンバーにはなりませんでしたが、お手伝いでヨットに乗せて貰って、ヨットを操舵することを学びました。
その頃はヨットに興味があって、Cal14というキャビンのある14フィートの小さなヨットを買いました。ヨットは普通のモーターボートと違って、基本は風力で航行できるので、エコと冒険の両方を楽しめるレジャーとして始めました。
当時はまだ小さかった子供達2人を乗せて、家族でヨットに乗ったこともあるのですが、、、謝って、海に落ちて中々船に這い上がれなかったり、海の上で、エンジンがスタートしなかったりと、怖い経験をしたので、1年程で売ってしまいました。
この町に来ると、10年程前に毎週末、この港町に来てヨットに夢中になっていたことが思い出されます。
さて、ヨットハーバーでヨットを見て、昔を懐かしんでいたら、キムに会う時間です。無事に公園でキムに会い、3人で先住民族のアボリジニーのサポート集会とウオークに参加したのですが、、、。アボリジニーというのは、イギリス人のキャプテン・クック船長が1770年にオーストラリア大陸を発見する前から、この地に4万年前から住んでいた人達のことで、1971年に行われたオーストラリアの国勢調査で、始めて人口に加えられた人達です。
日本を除く世界の殆どの国では戸籍が存在せず、、、国は戸籍がないので、アボリジナルの人はこの国に住んではいましたが、、、生きていることを証明する証書なども存在しなかったようです。
昔はイギリスから流刑地としてオーストラリアに来て、その後はイギリスでは貧しい人達の食い扶持を減らすために、この国に連れて来られた人、自由移民として移民してきた人などがいたのですが、言葉が通じないのでアボリジニーの人達とはあまり交流せず、彼等は人としても認識されていなかったせいで、入植した頃は危険だからと、ウサギを狩るように鉄砲で撃ち殺されていたようです。また、移民によってもたらされた伝染病により、これまで免疫のなかった彼等は病気に感染し、アボリジニーの人口がかなり少なくなったようです。
また、国の政策で、アボリジーの子供達を教育する為に、アボリジ二ーの子供達を親から奪い取って、学校教育を受けさせたという非人道的行為が1970年代まで続いていました。
現在、オーストラリアの人口に占めるアボリジニーの割合は約3パーセントだそうで、大半は内陸の砂漠地帯の自治区のような所に住んでいて、オーストラリア人も入れないところもあるようです。
オーストラリアでは、今年、国民投票で、アボリジニーに特別な政治的な議席や権力を持たせるかが問われます。彼等は折角与えられた住宅に火を点けて燃やしてしまったり、彼らの食文化になかったお酒でアル中になって働かなかったりと、オーストラリア政府にとって頭痛の種であることは間違いありません。この前、日本から帰って来た時に驚いたのですが、空港で飛行機の発着を知らせる掲示板が英語の他に、アボリジニーの言葉のローマ字表記で書かれているのが交互に出てきて、驚きました。初めは出発地と到着地が聞いたこともない場所ばかりだったので、パニックしたぐらいです。新幹線の乗り場の電光掲示板もローマ字と日本語で交互に表示されますが、アボリジニーの言葉はアルファベット表記など、昔からありませんでしたので、かなり異様で、彼らに忖度する政府の姿勢が分かります。
こんなことまで空港の掲示板までアボリジニーの言葉を使わねばならないのか、疑問です。というのは、アボリジニーはひとつの国で一つの言語を使っていたわけではなく、狩猟と採集の社会だったため、社会の単位は部族止まり。つまり、徒歩で歩ける距離が彼らの世界だったわけで、言語その他の文化も何十、何百に分かれていたのですから、共通の言語や価値観が無く、また国から援助の税金を貰う為に、特別な政治的な権力を持つのはどうかと思うのです。
彼等は益々国からの援助で生活するようになり、オーストラリア人の不満がつのり、裂け目がさらに広がるのではと心配しています。先住民であろうが、後から来た移民であろうが、だれも特別ではなく、一人が一票の権利を持つ平等な社会になった方が良いのではと思った今日の集会でした。
お弁当を持っていきましたが、会場では無料の食べ物(パンに挟んだソーセージや、リンゴ、コーヒー)が振る舞われていましたが、このお金もいずれは税金でアボリジニーをサポートする政治団体が回収するのかと思いながら、リンゴやソーセージを頂きました。
それでは、明日も、このブログでお会いしましょう。
(写真はアボリジニーのスモーキング・セレモニー 煙の儀式が行われているところ。)
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