日日の幻燈

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【note】内藤新宿を往く(2) 天龍寺といえば「追い出しの鐘」

2015-05-21 | 旧甲州街道を往く

新宿駅南口を出て、四ツ谷方面へかつての内藤新宿を歩いてみました。
まずは天龍寺です。
新宿駅南口から歩いて数分。
付近には高島屋や伊勢丹などがありますが、大通り(甲州街道)から道一本奥に入っているため(明治通り沿い)、若干静か。私が訪れたのは日曜の朝10時前だったので、ほとんど人通りもなく、ひっそりとしていました。

【山門】

天龍寺は曹洞宗の寺院です。最初は江戸の裏鬼門を守る寺として牛込に建てられましたが、1683年に火事で焼失、現在の地へ移転したそうです。
この山門、前から気になっていました。新宿にもこんな立派なお寺があるなんて。道を歩いていると、突然目の前にどーんと出現する、そんな感じです。
ただ、この山門の前には柵が設けられているので、境内に入るには山門の横からお邪魔します。

【本堂】

ビルの合間にある天龍寺ですが、境内は思ったより広いです。しかも都心のお寺にふさわしく(?)、きれいに整備されています。
そういえば、「ブラタモリ」で渋谷川の源流をたどってみたら、ここにたどり着いたってやっていましたね。天龍寺にあった池がそれだったそうですが、今は存在しないそうです。
それと、1805年の記録に天龍寺の境内に一里塚があると記されています(「壱里塚宿内西之方天竜寺境内ニ壱ヶ所 但江戸より左之方片塚立木焼木」)。日本橋から2つ目の一里塚ということになります(ひとつめは半蔵門付近)。境内と言っても、門前の街道沿いということでしょうか?残念ながらこちらもその痕跡は残っていないようです。

【追い出しの鐘】

天龍寺で有名なのがこの梵鐘。
時刻を知らせる時の鐘で、1700年に常陸笠間藩主・牧野貞長が寄進しました。現在の鐘は改鋳された2代目に続く3代目の鐘(1767年鋳造)とのこと。江戸三名鐘のひとつに数えられています。残りふたつは、上野寛永寺と市ヶ谷八幡の鐘。但し、違う鐘を組み合わせる場合もあるようです。
そしてこの鐘、江戸っ子たちに「追い出しの鐘」とネーミングされていました。
内藤新宿で夜通し遊興にふけった遊び人たちは、朝、この鐘の音に追われるようにこの地を出て行ったことから(あるいは、実際に鐘を合図に追い出されたとも)、「追い出しの鐘」と呼ばれたとか。
また、この鐘は明け六つを時刻より早めに撞いたそうです。江戸城へ登城する武士が時間に遅れないように…との配慮だったとも言われています。

そうそう、私も目覚まし時計は通常の時計より少し進ませてあるし、その音に急かされるように布団から追い出されるし、まるで現代版・追い出しの鐘。
または「追い出しの目覚まし時計」。
なんてね。





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