1862年に再版された切絵図によると、天龍寺の門前に高札場が記されています。
現在の地図に置き換えてみると、ちょうど甲州街道と明治通りが交差する付近、新宿四丁目の交差点あたりです。
【高札場跡(新宿四丁目交差点付近)】
写真、真っ直ぐ進めば甲州街道、新宿駅南口へ。左は明治通りで、天龍寺門前を通ります。このあたり、かつては追分とも呼ばれ、甲州街道と青梅街道の分岐点でした。だから高札場にはもってこいの場所だったと思われます。
1852年、追分の女郎屋から出火、高札場にも延焼し高札2枚を焼失したそうです。幕末期には太宗寺の向かい側に設置されているようなので、この火事がきっかけで場所が移動したのかもしれませんね。
1862年の切絵図は「再版」とあるため、1852年以前の絵図をそのまま擦り直したということでしょうか?
ちなみに、記録を追うと立返り後、高札場の普請は5回あったそうです。
新宿四丁目、太宗寺門前、いずれも高札場の痕跡は皆無です。