僕が学ぶ水彩画教室の今年初めてのスケッチ会として、愛知県稲沢市の旧国鉄稲沢操車場へ行ってきました。僕は、少年時代を終発着駅のある町で過ごしたこと、勤め人としての最初の任地が操車場のある「国鉄の街」だったこともあって、蒸気機関車が吹き上げる煤煙、どこまでも響く汽笛、何本も伸びる線路など、脳裏にはセピア色の風景とともに石炭の匂いが懐かしくよみがえります。
物流の柱として、日本経済の発展を率いてきた鉄道の貨物輸送。各地にその輸送基地となる操車場がありました。
ウィキペディアなどによれば、旧稲沢操車場は1925年(大正14年)、名古屋駅の機能を当時の稲沢駅校内へ移すかたちで誕生し、全長5.85キロ㍍、最大幅160㍍、敷地21万6000平方㍍。東海道線や中央線を走る列車の輸送基地で、関東の新鶴見操車場、関西の吹田操車場と並ぶ我が国三大操車場のひとつでした。
しかし、1970年代の貨物列車からトラック輸送へ、機関車が石炭から電気・ディーゼルへと移り変わる中で、1986年(昭和61年)に輸送基地を解除されました。今の稲沢駅は、旅客列車もごく一部の快速を除いて各駅停車しか止まりません。
この日は、あいにくの雨。それに構内へ勝手に立ち入ることはできないこともあって、当時のあった蒸気機関車に石炭や水を供給する施設、機関車の向きを変える転車台、車輪の滑り止め砂置き場などの面影を探すのは難しいようでした。
でも、ホームや陸橋に立って、幾筋も伸びる線路、出番を待つ貨物列車の気動車などを見ながら操車場の往時を偲んでいると、「絵になる風景」をいくつか拾うことができました。