信仰の道 大野逸男
再興第101回院展の名古屋展が26日から松坂屋美術館で始まり、さっそく水彩画仲間と2人で鑑賞してきました。12月4日(日)まで。
素晴らしい作品の数々に出会えたうえ、院展の新しい理事長になった田渕俊夫さんのギャラリートークも聞き、充実した一日でした。
同人の作品に素人鑑賞者はただ見入るばかりですが、作品のコメントに目を通し、描かれた風景への思い出などを織り交ぜて楽しみました。
熊野灘の浜に打ち寄せる波を描いた、清水達三さんの「潮騒」に引き寄せられました。お姿を拝見したこともありませんが、清水さんは和歌山県に生まれ、和歌山に住み地元を描き続けている作家とか。97回展の「波嵐」など、ふるさとに寄せる思いを感じながら拝見を楽しみにしています。
実は、僕は20歳の半ばごろ、仕事のため1年半ほど三重県熊野市で、熊野灘の七里御浜から数十㍍のところに居を構えたことがあります。
最初は眠りを妨げられた波の音が、やがて心地よい波枕になった日々を懐かしく思い出しながら、しばし見入りました。
宮廻正明さんのベトナムの川で漁師が投網を打つ風景には、子どものころ高知の四万十川で近所の「おんちゃん」たちが、黙々と無心に網を投げ、潜って魚を追っていた光景がよみがえりました。
松村公嗣さんの「春待つ」に描かれた雪の原に出てきたイタチとその足跡。数年前、水彩画仲間と早春の長野県伊那地方に出かけて、谷川の岸から雑木の山へと続く雪の原に水を飲みに来たらしい動物の足跡を発見。夢中になって絵にし、公募展で入選できたことを思い出しました。
文部科学大臣賞の大野逸男さん。事前に大野さんのプロフィールをネットで見ると、何と展覧会を見に一緒に来た水彩画仲間と大野さんの三人が、同い年で誕生月も同じだったのです。会ったこともなく、すごい画家なのに親近感を覚え、受賞作品の「信仰の道」をじっくり鑑賞しました。
「一気に半分ぐらい描いて少し休む。体力の衰えを感じる。手がしびれるような寒さのなかで・・・」
写生した時の様子が書かれたコメントに、エールを送りました。
取り留めのない鑑賞記ですが、田渕理事長のギャラリートークでは、趣味のお絵かきを楽しむ我々にとっても大切な心構えを聞くことができました。
田渕さんは教鞭をとったことのある愛知県立芸大の卒業生や生徒たちが今回も約50人が入選したことを紹介。自身の作品「飛鳥川心象 春萌ゆ」を前に、「今回は墨だけで描いた。白の丸いは塗ったわけではありません」と絵の中の若葉の表現について説明してくれました。
無数の白い点々。水墨を知らないとはいえ、白い絵の具を使ったのかなと思っていた僕は赤面する思いでした。水彩画では塗り残して白を表現しますが、未熟な僕はついガッシュに頼ってしまいます。それが、こんな大きな画面に無数の塗り残しをされるとは・・・。
田渕さんは「努力賞かな」と会場の笑いを誘うと、地元作家の作品を中心に講評に入りました。
樹木をテーマにした作品には「きれいに描けているが、この樹の葉を知っていればもっと良い作品が描けたはず」とひとこと。
鳥を描くために動物園に通い、動く鳥を細かにスケッチしたという自身の体験を話し、「写真では、風に揺れる葉でも波でも止まってしか見えない。やはり観察して十分に知らないと描けない」「人物も服や着物の中(身体)が見えるように描くこと」と続けました。
「とにかく『うまい』と言われて、褒められたと思ってはダメ。思えば、そこで止まってしまう」「展覧会に合わせてだけ描いているのではなく、人生をかけて絵にしがみついて欲しい」
「取材は、目をつむってもその様子や風景が浮かび、描けるだけの観察が必要」「絵の具の色が豊かになったが、それに頼ってばかりでない技法も編み出してもらえれば」
カルチャーセンターや画塾で日本画を学ぶ人ら大勢の聴衆に、新理事長として「日本画とは何か」を今一度考え、取り組んで欲しい、との思いを込めて話しているようでした。
また、ここ数年、僕が院展での鑑賞を楽しみにしている平田望さんや川島優さんといった愛知県立芸大出身の新鋭作家に対しては、大きな期待の言葉をかけました。
「従来の院展では受け入れにくかった新しい絵の流れをつくり、日本画の良さを取り入れて励んでいる。日本画の幅を広げてほしい」
※写真は展覧会のチラシと院展全作品集から掲載しました。