風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

楽書き雑記「自由を求めた土佐人たちの偉業を知る=高知市の自由民権記念館へ」



                 
      高知市の市立由民権記念館 

高知市で開かれた母校の同窓会総会に出席した機会に、近代日本を切り開いた自由民権運動を先導した土佐人たちの功績を、資料などで後世に引き継いでいこうという高知市立自由民権記念館(高知市桟橋通4丁目)を訪ねてきました。

「自由は土佐の山間より」
明治維新からまもなく、「人間の平等」「言論・集会の自由」「租税の軽減」「外国との不平等条約反対」「女性参政権の実現」などを求めて全国に広がった自由民権運動。とりわけ、土佐は維新後に実権を握った薩摩、長州らの藩閥政治に対する反発もあって、上記の言葉を遺した植木枝盛、板垣退助、後藤象二郎、中江兆民、片岡健吉らが全国を飛び回り、自由民権運動の中核的役割を果たしました。

展示コーナーには国会開設を求めた「民撰議院設立建白書」、運動が本格化して植木枝盛が起草した「立志社建白書」、憲法案である「東洋大日本国々憲案」、祖税軽減や言論集会の自由、外交失策の挽回を掲げた「三大事件建白運動」、さらに女性参政権を求めるたくさんの書籍や文書、絵画などが並びます。
民権運動がブームになって、民権踊りや民権都々逸、巷に現れた「自由水」(化粧水)のチラシや「自由万歳」の文字入り徳利なども展示されています。

1881年、板垣退助らは日本最初の近代政党である自由党を結成、板垣が初代総理に。
しかし内部抗争もあって3年後に解党、自由民権運動も下火になりますが、すぐに土佐の民権派によって再燃し、土佐の一部の地方選挙では婦人参政権が実現しています。

板垣は82年、東海地方を遊説中に暴漢に襲われました。記念館には暴漢が手にしていた短刀が保存されています。
岐阜事件といえば、先月の水彩画スケッチ会で出かけた岐阜県美濃加茂市の中山道太田宿にある国の重要文化財・脇本陣林家住宅に、板垣が事件前日に泊まっていた、いう史実を知ったばかり。この奇遇には驚きました。

その際に板垣が口にした「板垣死すとも自由は死せず」は有名ですが、展示室内には土佐の民権家たちが残した言葉や文、憲法草案の一節を目にすることができます。

「生きて奴隷の民たらんよりは死して自由の鬼たらん」(高知県三大事件建白書)
「頼む所は天下の輿論 目指すかたきは暴虐政府」(馬場辰猪)
「自由は取る可き物なり 貰う可き品にあらず」(中江兆民)
「未来が其の胸中に在る者 之を青年という」(植木枝盛)


女性参政権を
求めて


板垣退助が襲われた岐阜事件の錦絵


自由民権の演説会



「自由」の旗を手にと国会議事堂の模型を掲げる女性

自由の文字が躍る広告

   ※資料写真は、いずれも自由民権会館発行の常設展案内から


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