「高知の詩人たち」と題したミニ講演会に耳を傾けてきました。卒業した高知学芸高校の中部支部同窓会の例会。講師も聴講者も同窓会員という内輪の集いですが、講演会後の席もこのテーマを肴に楽しいひとときでした。
講師は森田明さん。僕より1期下ですが、東大大学院を出てドイツのボン大学に留学、名古屋市立大学国際文学科の教授などを務めた才人。とりわけゲーテやハイネ、ヘッセら多くの詩人を生んだドイツ文学の研究に打ち込んできたそうです。
また、高知=土佐は板垣退助らによって明治初期にから中期にかけて展開された自由民権運動を生み育てた地域だけに、政治運動や社会運動、労働運動家だけでなく、詩や小説など文学の世界でも多くの逸材を生み出しました。
詩の世界では岡本弥太、大江満雄、槇村浩(まきむらこう=本名・吉田豊道)、上田秋夫、島崎曙海、片山敏彦ら。民権思想を広めた植木枝盛も近代詩の先駆けだったと言われています。
森田さんはこの中から岡本弥太、槇村浩を取り上げました。
岡本は成人してから詩を書き始め、小学校の教員をしながら同人誌の発行や全国の詩人とのやりとりなどで、自らの詩の精神を掘り下げていきました。
詩集「瀧」が高い評価を受け、「東の宮沢賢治、西の岡本弥太」ともいわれたのですが、43歳で亡くなりました。岡本が生まれた香南市にある岡本の詩碑は、親しかった高村光太郎の揮毫によるものです。
槇村は3歳の時、医師の書を読みこなし、当時の新聞に「神童現わる」と報じられたといわれています。また、10歳の時には高知を訪れた皇族に話す役割を与えられた席で、進行役の「それではアレクサンダーの話を・・・」の言葉に「その名前の人は世界に何人もいます。どのアレクサンダーですか」と返し、アレクサンダー3世の大遠征をテーマに原稿なしで話した、との逸話も残っているそうです。
この大変な才能で詩の世界に飛び込んだ槇村は、プロレタリア詩家として反戦活動に傾注し、反戦詩を次々に発表。理想と正義感溢れる詩は高く評価されましたが、獄中で病に会い26歳で亡くなりました。
森田さんは、2人の詩を朗読しながら、それぞれの生い立ちや詩に対する考え方、歩んだ軌跡などを解説。「岩手県が生んだ宮沢賢治にしても、詩で生活するのは厳しい。なのに、高知では多くの詩人を生んだ。あえてゼニにならない道を歩もうとするのは、土佐人らしいですね」と話しました。