山すその地下水を、農業用水として分け合うための分水槽です。
以前、南アルプス山麓の長野県伊那市の近郊で見かけた直径6mほどのこれは、横井清水水利組合が管理する円筒分水槽。稲作には欠かせない水をめぐる集落間の争いを避けようと、ひとりの偉人が明治中期に造り上げ、125年後の今も健在です。
水利組合のHPなどによると当時、水田を潤すため農民ら集落同士による水争いは深刻化する一方でした。
そこで大工や養蚕を営んでいた「御子柴艶三郎」という実業家が地下水を集めて地下トンネルで運び、みんなで分け合えるようにと取り組んだのが分水槽の建設でした。
工事は1895年(明治28年)に着手されましたが、水を流す地下トンネルづくりなど莫大な費用に。しかし、艶三郎は「実現できれば我が身は水神に差し上げる」と私財をなげうち5年ほどで完成、艶三郎は水神との約束通り自死したとされたと言われています。
伊那市だけでなく、山裾にあって地下水が豊かな地域では同様の分水槽は数多くあるようですが、「艶三郎の井」は先駆けだったと見られています。
艶三郎は水神宮に祀られ、地域では毎年4月に艶三郎を偲ぶ水神祭を催しています。
訪ねた時は水の需要期ではありませんでしたが、10号で描いた絵では需要期の水槽らしく水が流れ出ているようにしました。
水槽中央の地下水が上がってくる穴の壁面は黄緑色の水苔に覆われ、下の方から気泡が上がっています。