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左利きだった!“怪童”尾崎行雄氏亡くなる

2013-06-19 | 左利き
6月13日、プロ野球の東映フライヤーズ(のち日拓)で投手として活躍、“怪童”と呼ばれた尾崎行雄さんが68歳で亡くなられたという、新聞記事を見ました。

のちに巨人に入団した柴田勲氏と高校一年の時、夏の甲子園で対戦、敗れるが二年の時に優勝。
高校を中退し、昭和37年、東映に入団。
いきなり20勝、3年目から3年連続20勝以上、40年には27勝で最多勝、入団5年で98勝をあげる。
しかし、160キロを超えるとも言われた剛速球も、酷使のせいか、故障には勝てず、29歳で引退、通算107勝で終わる。

産経新聞の小松幹幸氏の記事によりますと―
元は左利き。まわりの右利きから冷やかされるのが嫌で小学5年で右投げにかえ必死に習得した。剛球一途の野球人生の原点だったかもしれない。
とあります。(産経新聞6月14日朝刊スポーツ面より)

ネットの情報(尾崎行雄さん秘話 )によりますと―
近藤唯之さん著『背番号の消えた人生』より/尾崎さんは元々左利きだったそうです。しかし,小学生の時に右利きに治されます。/「左利きだったら咢堂の名が泣くわ」/という理不尽な理由で。


昔の左利きの人の“悲劇”の一つでしょうか。


プロ野球選手には、左利きでも右投げの人や、右利きでも左投げの人が結構いるようです。

理由はそれぞれですけれど、おおむね二種類に分けられそうです。

一つは、その方が有利だから、という「転向」派―例:江夏豊氏。
もう一つは、気が付いたらそうだった、という「自然」派―例:岩隈久志氏。

ほかにも、張本勲氏のように、ケガといった理由もあるようですが。

そういう中にあって、やはり尾崎氏のような例はちょっと考えさせられますね。


ところで、右肩を痛めたのなら『巨人の星』の星飛雄馬ばりに、投げる腕を変えて元々の左利きで投げていたら…、と考えるのは、マンガの見過ぎでしょうか。

 ・・・

ご冥福をお祈りいたします。

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『背番号の消えた人生―栄光の名選手はいま……』近藤 唯之 (新潮文庫)

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きだった!“怪童”尾崎行雄氏亡くなる」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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