【『レフティやすおの左組通信』から】
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(一部、加筆修正[2017.5.11])
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右手使いへの変更(左利き矯正)について
―レフティやすおの左利き私論 2―
(初出)2003.12/2005.7.17(最終)2007.7.17
1・(かつては「左利き矯正」と呼ばれた)右手使いを試みる行為について:
「〈矯正〉すべきは〈右利き社会〉」
2・「(左利きの)矯正」を死語にしよう
3・再び「(左利きの)矯正」を死語にしよう―生きた言葉として使わないようにしよう
4・「レフティやすおのお茶でっせ」における左利きの右手使いに関する最新記事
その他の「利き手判定/判別」に関する「レフティやすおのお茶でっせ」の記事
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート
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1・
(かつては「左利き矯正」と呼ばれた)右手使いを試みる行為について:
「〈矯正〉すべきは〈右利き社会〉」
左利きの私にとっては残念なことですが、右利きの人で左利きに関心を持つ人は非常に少ないものです。
こういう数少ない人々の大半は、その身内に左利きの人を持っている人々です。
たとえば「親友が左利き」「パートナーが左利き」「子供が左利き」という場合です。
そして「子供が左利き」という人々が左利きに関して最も知りたいことは何か。
ひとつは、
「左利きは日常生活において不便ではないのか/人生において不利ではないのか」ということ。
そして、
できることならわが子には苦労させたくない、そこで「左利きを右利きに直せないか」というこの二点です。
かつては左利きを「右利きに直そう」とする行為は、(右手使いが「正しい作法」であり、左手使いは誤りであり「正すべき」こととして)
「矯正」と呼ばれ、子供が左利きとわかった時点でほぼ強制的に親(保護者)もしくは教育者によって行われてきました。
特に漢字を書き、お箸で食事をする東アジアの諸国では、この二つの行為に関してはほぼ百パーセントの割合で行われていました。
・人前に出たとき肩身が狭いから
・見苦しいから
・親は何をしていたのかと親の躾け不足とまで言われ世間から冷たく扱われるから
・社会に出たとき苦労するから
―等々。
といった理由で、「せめて字を書くこと箸を使うことぐらいは右手でできるように」、という“親心”によって。
そしてその試みに失敗した子は、「協調性のない子」「強情な子」「不器用な子」等々、落ちこぼれとして
劣等感を植え付けられてきたものです。
近年、左利きは生来のもので、固有の特質、ひとつの個性として尊重されるようになり、強制的に一律に特定の作業に右手使いを行うことは少なくなってきました。
無理な訓練(矯正)がさまざまな弊害を与え、マイナスに働くという考えが普及したからでしょう。
しかし現在でもこの右手使いを試行する行為(「矯正」)を当然のことのように考える人がいます。
特に年配の人に多く見られます。
漢字は右手で書くものだから、お箸は右手で持つものだ、といった固定観念に縛られてひとつの躾けとして右手使いを行おうとする人がいます。
ここで「字(特に漢字)は右手で書くもの」という見方を取り上げて見ましょう。
本来文字というものはひとつのシンボルにすぎず、具体的なものから抽象的なものへ元の形を徐々に簡略化して成り立ったもので、初めからは右手書きに偏向したものではなかったはずです。
それが右利きの人が多かったため、より右手で書きやすいように工夫され、今日の(右手で書きやすい)筆順や(右手書きの癖をもって)美文字の基準が作られていったもの、と考えられます。
もし左利きがもっと多かったら――半々ぐらいだったら、当然違った形のものになっていたのではないでしょうか。
「字は右手で書くもの」というのは「右利き社会」が作り上げたルールにすぎないのです。
わが子が苦労するのを回避するためには、わが子を無理に社会に従わせる「矯正」ではなく、
社会そのものを右利きも左利きも等しく共存できるものに「矯正」すべきなのです。
もし仮に一部の作業で右手使いに成功したとして――右手で字が書ける、箸が使えるようになったとしても、「使える」と「使いやすい」は違います。
「右手も使える」イコール「右手が使いやすい」ではないのです。
右利きの人でも左手は使えるでしょう。
しかし本当に使いやすいのはどちらの手でしょうか?
当然右手です。
それが
利き手というものです。
「左利き」の人は、「左手が利き手」の人です。
左手が
「使いやすい」手なのです。
それがその人の
持ってうまれた能力なのです。
それを活かすのが
「教育」です。
もちろん非利き手も使えた方が便利なのは事実です。
しかしそれは左利きの人だけのことではありません。
右利きの人も同じです。
左利きの子にそれを言うのなら、右利きの子にも同じように指導してあげるべきです。
私は(「矯正」と呼ばれた)左利きの子に右手使いを試みる行為には反対です。
無理な「矯正」は「強制」以外のなにものでもありません。
無理な訓練(「矯正」)はやめましょう。
ただ利き手の研究はまだまだ途上にあります。
利き手が確定するのは七、八歳だという研究結果を発表している科学者がいました。
わが子が左利きのようだとわかった時点で無理な押し付けでなく、右手も使う機会を与えることを一方的に否定するものではありません。
(人により、持って生まれた「左利き度」は異なります。
「右利き」に近い「弱い左利き」の人――右利きと左利きの「中間の人」もいるのです。)
ただ、本当にわが子がかわいいのなら「矯正」はわが子に施すのではなく、
左利きを不利に追い込むこの「右利き社会」の方を「矯正」すべきなのです。
「左利き宣言」で、キング博士のスピーチを紹介しました。
彼はかわいい自分の子が肌の色の違いだけで差別されるということがない社会の実現を訴えました。
私は利き手の違いによって差別されることのない左右共存共栄社会の実現をめざしています。
もしあなたが右利きの親で、かわいいわが子が左利きであれば、利き手の違いだけでわが子が苦しむことのない社会の実現こそを願うべきではないでしょうか。
〈わが子より 右利き社会に 愛の鞭〉~「左利き川柳」より~
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2・「(左利きの)矯正」を死語にしよう
2004.4.2
3・再び「(左利きの)矯正」を死語にしよう―生きた言葉として使わないようにしよう
2004.4.7
4・「レフティやすおのお茶でっせ」における左利きの右手使いに関する最新記事
2004.11.26
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
2004.12.8
左利きを右手使いに変えさせる理由
その他の「利き手判定/判別」に関する「レフティやすおのお茶でっせ」の記事
2004.5.13
子供の利き手を見極めよう
2004.5.17
「左利き矯正」成功者は利き手誤認?
(2004.10.16)
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
右手使いへの変更(左利き「矯正」)について-1-
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