未だに「左利きの子供を右使いにしましょう」というバカな教えを広めよう、という教師経験を持つ人がいます。
今の時代でも「小さい子どもの左利き」は直した方がいい理由
この方を個人的に批判しようと言うつもりはありませんが、左利きに対するあまりの無知さ、およびその意見のあまりのバカさ加減に、あえて個人攻撃してみます。
この方、「自閉症児の子どもを持つ1児の母」でもあるそうです。
この方の考え方によりますと、《左利きを直した方がいい理由》として、《■左利きはそのままだと右利きよりお金がかかる》だそうです。
《世の中の商品が右利き用にできてい》るので、左利き用は割高だ、だから損をするという理屈でしょう。
●病気の子供の場合
この理屈をこの方に当てはめますと―
この方は病気の子供を持っておられます。
悲しいかなこの世の中は、病気持ちには不利で、どうしてもお金がかかります。
この方の理屈で言えば、だから「病気の子供は小さいうちに治しましょう」ということになります。
でも、実際に治せと言われても、困るでしょう。
治るものもあれば、治らない、もしくは治りにくい場合もあります。
人の力でどうにもならないものです。
努力すればなおせる、医者にかかれば治せるというものではないでしょう。
それを「他人からなおしなさい」と言われても困る、というのが、ホントのところでしょう。
左利きの問題も同じです。
左利きと言っても軽度の場合は、努力で右使いにかえて「克服」できる人もいるでしょう。
軽度の病気、治る病気の場合があるのと同じです。
それに対して、強度の左利きの場合、努力だけではどうにもなりません。
重度の病気、治らないあるいは治りにくい病気の場合と同じです。
左利きというのは、身体的性質です。
持って生まれたものです。
左利きに生まれてこようとした結果ではないのです。
病気だってそうですが、病気になろうとしたものではないのです。
そういう意味では、同じことです。
(念のために書いておきますが、私は左利きは病気と同じと言っているのではありません。同じように身体的なもので、まわりの人の助力と本人の意思や努力で決まるものではないし、即どうにかなるものではない、と言いたいだけです。)
●まちがった発想・前提
《■親が子どもにやってはいけない左利きの直し方》として、やってはいけないことを書いています。
それらを読んでも、私には納得できません。
なぜか?
それは、左利きというものをどうとらえるかについて、基本的に「発想」といいますか「前提」に誤りがあるように思うからです。
この方の考え方の根底には(1)「左利きは(損得の損も含めて)悪」、(2)「左利きは右使いに変えられる」という前提があるように思えるのです。
(1)「左利きは(損得の損も含めて)悪」についてですが、本来右利き左利きといった問題に、「善悪」とか「正邪」といった価値判断を持ちこむものではないのです。
どちらがいいとか悪いとかいうものではなく、単なる身体的性質に過ぎないのです。
ところが、《理想は右利き》といった発言をされています。
人間は、恵まれないことや不利なことなどには敏感で、逆に恵まれていることは当たり前のことと考え、恵まれているのだ幸運なのだという事実を無視しがちです。
右利きは偶然、社会の多数派・主流派になっているので、何かと便宜を図られる存在になっているだけなのです。
何も右利きが上位にあるわけではないのです。
善でもないのです。
単に、現状の社会では優遇されているだけです。
(2)「左利きは右使いに変えられる」については、後半で、《簡単に右利きに直る子どももいれば、そうではない子どももいます》と発言されています。
しかし、変えようとする発想の裏には「変えられる」という思いがあるからです。
現実に比較的簡単に変えられる子供もいるでしょう。
しかし、だからと言って、それが正当化されるというものでもないでしょう。
本来、どっちがいいとか悪いとかいう性質のものではないのですから、子供の好きなようにさせればいいのです。
まわりのものがあれこれ言う必要のないものなのです。
●「字は右手で書きやすい」の傲慢さ
これは再三言われることです。
《文字の筆順が右利の人が書きやすいようにできているから》
確かにその点は否定はしません。
ですから、元々右が得意だったり左右の手の機能がまったく同じ力量を持っている場合は、右が有利でしょう。
しかし、元々右が不得手で、左が得意という場合には、変わってきます。
右が書きやすく、左が書きにくいという事実を知っているのなら、右の書きやすさを押し付けるのではなく、左の書きにくさを克服する方法を考えて、教えてやって欲しいと思うのです。
それが左利きの子供に対する教育の王道というものでしょう。
●「諦める勇気」とはどういう意味か?
と発言されています。
「諦める」の意味を『広辞苑』第六版で引いてみますと、こうあります。
「諦める」とは「悪い状態を受け入れたりする」こととあるのです。
先に書きましたように、この人の考え方は「左利きは悪」という前提での考え方だ、という私の言い分を立証していると言ってよいでしょう。
何度でも書きますが、左利きというものは、いいとか悪いとかいうものではないのです。
まずは受け入れるものです。
そのうえで、どうする方法がベストかと考えるべきものなのです。
社会に左右平等思想が行き渡れば、それで自然と解決する問題だと言ってもいいかもしれません。
もちろん、現状からはまだまだ隔たりがあるのは事実です。
しかし、例えば、冒頭にあった左利き用は割高だという価格の問題にしても、子供用ハサミに関して言えば、企業努力で右手用も左手用も同一価格で販売されています。
これは、ネットの販売サイトでもメーカーさんのサイトでも、スーパーの店頭でも100円ショップでも簡単に確認できます。
確実に社会は変化しています。
(右利きにも)左利きにも優しい社会の実現はまだまだですが、少しずつ前進しています。
だから、この方のように昔ながらの固定観念にとらわれることなく、柔軟な発想で左利きの子供にとってよりよい方法を考えるように努力して欲しいと思います。
それは今の時代だからこそ、できることなのです。
【左利きを知る本】
*利き手と左利きの研究に関する本:
(日本)
『左ききの神経心理学』八田武志/著 医歯薬出版 1996.11
―左利き研究の専門書。20年余の左利き・利き手研究を研究をまとめたもの。
『左対右 きき手大研究』八田武志/著 化学同人(DOJIN選書 18) 2008.7.20
―『左ききの神経心理学』以降、世界で研究された成果を一般向けに読み物とした本。
(イギリス)
『非対称の起源 偶然か、必然か』クリス・マクマナス/著 大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス 2006.10
―20年にわたる利き手・左利き研究の成果をまとめた本。原著"Righthand Lefthand"
(世界)
『「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎』デイヴィッド ウォルマン/著 梶山 あゆみ/訳 日本経済新聞社 2006.7
―自身左利きの科学ジャーナリストが、左利きの謎に挑み世界を駆けるサイエンス・ノンフィクション。
*左利きの研究:社会学的アプローチの本:
『見えざる左手―ものいわぬ社会制度への提言』大路直哉/著 三五館 (1998/10)
―左利きサイト『クラブレフティ Club Lefty』の管理人による左利き考察の書。巻末に「左利き筆法」の紹介がある。
『左ききでいこう!!―愛すべき21世紀の個性のために』大路直哉・フェリシモ左きき友の会/編著 フェリシモ出版
―『見えざる左手』の著者と、通販「左ききカタログ」のフェリシモによる共著。巻末に、「左利きカタログ」や「左利き筆法」、左利き編み物等の紹介あり。
*左利きの子供のための本:
『左利きの子 右手社会で暮らしやすくするために』ローレン・ミルソム/著 笹山裕子/訳 東京書籍 2009.4
―今までの日本になかった、イギリスの有名左利き用品専門店オーナーによる、左利きの子供を持つ親・先生へ向けた、左利きの子の生活支援のための手引書。
*左利き生活の本:
『左利きの人々』渡瀬 けん/著 中経の文庫 2009.1
―右利き偏重社会における左利きの人の不便「あるある!」エッセイ集。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きへの悲しい誤解:今の時代でも「小さい子どもの左利き」は直した方がいい理由」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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今の時代でも「小さい子どもの左利き」は直した方がいい理由
この方を個人的に批判しようと言うつもりはありませんが、左利きに対するあまりの無知さ、およびその意見のあまりのバカさ加減に、あえて個人攻撃してみます。
この方、「自閉症児の子どもを持つ1児の母」でもあるそうです。
この方の考え方によりますと、《左利きを直した方がいい理由》として、《■左利きはそのままだと右利きよりお金がかかる》だそうです。
《世の中の商品が右利き用にできてい》るので、左利き用は割高だ、だから損をするという理屈でしょう。
●病気の子供の場合
この理屈をこの方に当てはめますと―
この方は病気の子供を持っておられます。
悲しいかなこの世の中は、病気持ちには不利で、どうしてもお金がかかります。
この方の理屈で言えば、だから「病気の子供は小さいうちに治しましょう」ということになります。
でも、実際に治せと言われても、困るでしょう。
治るものもあれば、治らない、もしくは治りにくい場合もあります。
人の力でどうにもならないものです。
努力すればなおせる、医者にかかれば治せるというものではないでしょう。
それを「他人からなおしなさい」と言われても困る、というのが、ホントのところでしょう。
左利きの問題も同じです。
左利きと言っても軽度の場合は、努力で右使いにかえて「克服」できる人もいるでしょう。
軽度の病気、治る病気の場合があるのと同じです。
それに対して、強度の左利きの場合、努力だけではどうにもなりません。
重度の病気、治らないあるいは治りにくい病気の場合と同じです。
左利きというのは、身体的性質です。
持って生まれたものです。
左利きに生まれてこようとした結果ではないのです。
病気だってそうですが、病気になろうとしたものではないのです。
そういう意味では、同じことです。
(念のために書いておきますが、私は左利きは病気と同じと言っているのではありません。同じように身体的なもので、まわりの人の助力と本人の意思や努力で決まるものではないし、即どうにかなるものではない、と言いたいだけです。)
●まちがった発想・前提
《■親が子どもにやってはいけない左利きの直し方》として、やってはいけないことを書いています。
それらを読んでも、私には納得できません。
なぜか?
それは、左利きというものをどうとらえるかについて、基本的に「発想」といいますか「前提」に誤りがあるように思うからです。
この方の考え方の根底には(1)「左利きは(損得の損も含めて)悪」、(2)「左利きは右使いに変えられる」という前提があるように思えるのです。
(1)「左利きは(損得の損も含めて)悪」についてですが、本来右利き左利きといった問題に、「善悪」とか「正邪」といった価値判断を持ちこむものではないのです。
どちらがいいとか悪いとかいうものではなく、単なる身体的性質に過ぎないのです。
ところが、《理想は右利き》といった発言をされています。
人間は、恵まれないことや不利なことなどには敏感で、逆に恵まれていることは当たり前のことと考え、恵まれているのだ幸運なのだという事実を無視しがちです。
右利きは偶然、社会の多数派・主流派になっているので、何かと便宜を図られる存在になっているだけなのです。
何も右利きが上位にあるわけではないのです。
善でもないのです。
単に、現状の社会では優遇されているだけです。
(2)「左利きは右使いに変えられる」については、後半で、《簡単に右利きに直る子どももいれば、そうではない子どももいます》と発言されています。
しかし、変えようとする発想の裏には「変えられる」という思いがあるからです。
現実に比較的簡単に変えられる子供もいるでしょう。
しかし、だからと言って、それが正当化されるというものでもないでしょう。
本来、どっちがいいとか悪いとかいう性質のものではないのですから、子供の好きなようにさせればいいのです。
まわりのものがあれこれ言う必要のないものなのです。
●「字は右手で書きやすい」の傲慢さ
これは再三言われることです。
《文字の筆順が右利の人が書きやすいようにできているから》
確かにその点は否定はしません。
ですから、元々右が得意だったり左右の手の機能がまったく同じ力量を持っている場合は、右が有利でしょう。
しかし、元々右が不得手で、左が得意という場合には、変わってきます。
《箸を持ったりハサミを使ったりボールを投げたりする時は左手でもよいですが、文字を書くのは右で書くよう習慣づけた方がよいですよ》というのではなく、
右が書きやすく、左が書きにくいという事実を知っているのなら、右の書きやすさを押し付けるのではなく、左の書きにくさを克服する方法を考えて、教えてやって欲しいと思うのです。
それが左利きの子供に対する教育の王道というものでしょう。
●「諦める勇気」とはどういう意味か?
《理想は右利きですが、無理な場合は”諦める勇気”を持って左で文字を書かせましょう。》
と発言されています。
「諦める」の意味を『広辞苑』第六版で引いてみますと、こうあります。
《(「明らめる」2の意から)思い切る。仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする。「進学を―・める」「こうなるのも運命と―・める」》
「諦める」とは「悪い状態を受け入れたりする」こととあるのです。
先に書きましたように、この人の考え方は「左利きは悪」という前提での考え方だ、という私の言い分を立証していると言ってよいでしょう。
何度でも書きますが、左利きというものは、いいとか悪いとかいうものではないのです。
まずは受け入れるものです。
そのうえで、どうする方法がベストかと考えるべきものなのです。
社会に左右平等思想が行き渡れば、それで自然と解決する問題だと言ってもいいかもしれません。
もちろん、現状からはまだまだ隔たりがあるのは事実です。
しかし、例えば、冒頭にあった左利き用は割高だという価格の問題にしても、子供用ハサミに関して言えば、企業努力で右手用も左手用も同一価格で販売されています。
これは、ネットの販売サイトでもメーカーさんのサイトでも、スーパーの店頭でも100円ショップでも簡単に確認できます。
確実に社会は変化しています。
(右利きにも)左利きにも優しい社会の実現はまだまだですが、少しずつ前進しています。
だから、この方のように昔ながらの固定観念にとらわれることなく、柔軟な発想で左利きの子供にとってよりよい方法を考えるように努力して欲しいと思います。
それは今の時代だからこそ、できることなのです。
【左利きを知る本】
*利き手と左利きの研究に関する本:
(日本)
『左ききの神経心理学』八田武志/著 医歯薬出版 1996.11
―左利き研究の専門書。20年余の左利き・利き手研究を研究をまとめたもの。
『左対右 きき手大研究』八田武志/著 化学同人(DOJIN選書 18) 2008.7.20
―『左ききの神経心理学』以降、世界で研究された成果を一般向けに読み物とした本。
(イギリス)
『非対称の起源 偶然か、必然か』クリス・マクマナス/著 大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス 2006.10
―20年にわたる利き手・左利き研究の成果をまとめた本。原著"Righthand Lefthand"
(世界)
『「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎』デイヴィッド ウォルマン/著 梶山 あゆみ/訳 日本経済新聞社 2006.7
―自身左利きの科学ジャーナリストが、左利きの謎に挑み世界を駆けるサイエンス・ノンフィクション。
*左利きの研究:社会学的アプローチの本:
『見えざる左手―ものいわぬ社会制度への提言』大路直哉/著 三五館 (1998/10)
―左利きサイト『クラブレフティ Club Lefty』の管理人による左利き考察の書。巻末に「左利き筆法」の紹介がある。
『左ききでいこう!!―愛すべき21世紀の個性のために』大路直哉・フェリシモ左きき友の会/編著 フェリシモ出版
―『見えざる左手』の著者と、通販「左ききカタログ」のフェリシモによる共著。巻末に、「左利きカタログ」や「左利き筆法」、左利き編み物等の紹介あり。
*左利きの子供のための本:
『左利きの子 右手社会で暮らしやすくするために』ローレン・ミルソム/著 笹山裕子/訳 東京書籍 2009.4
―今までの日本になかった、イギリスの有名左利き用品専門店オーナーによる、左利きの子供を持つ親・先生へ向けた、左利きの子の生活支援のための手引書。
*左利き生活の本:
『左利きの人々』渡瀬 けん/著 中経の文庫 2009.1
―右利き偏重社会における左利きの人の不便「あるある!」エッセイ集。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左利きへの悲しい誤解:今の時代でも「小さい子どもの左利き」は直した方がいい理由」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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