レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

2017-11-27 | 新しい生活のために
11月のNHK100分de名著は、バートランド・ラッセルの「幸福論」です。

名著70 バートランド・ラッセル「幸福論」

プロデューサーAのおもわく。
ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。そして、それらを実践するために必要な思考法や物事の見方などを、具体例を通して細やかに指南してくれるのです。まさに、この本は、人生の達人たるラッセルの智慧の宝庫といえるでしょう。


【講師】小川仁志(山口大学准教授)
【朗読】荒川良々(俳優)
【語り】墨屋 那津子(元NHKアナウンサー)

第1回 11月6日放送
自分を不幸にする原因
ラッセル自身の人生の歩みを紹介しながら、人々を不幸にしてしまう原因を明らかにしていく。

第2回 11月13日放送
思考をコントロールせよ
不幸に傾きがちなベクトルをプラスに転換する「思考のコントロール方法」を学ぶ。

第3回 11月20日放送
バランスこそ幸福の条件
極端に走りがちな人間の傾向性にブレーキをかける、ラッセル流のバランス感覚を学んでいく。

第4回 11月27日放送
他者と関わり、世界とつながれ!
ラッセルのその後の平和活動にもつながる、自我と社会との統合を理想とした、独自の幸福観を明らかにしていく。


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『ラッセル『幸福論』 2017年11月』小川 仁志

―客観的に生きよ
 「自分」のなかに閉じこもる――それが不幸の原因だ。

自分の「外部」に没頭せよ
核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴えた「ラッセルアインシュタイン宣言」でも知られる知の巨人、バートランド・ラッセル。彼が自らの人生を通じて実証した、幸福を「獲得」する方法とは? 「究極のポジティブシンキング」で、論理的に幸福をつかめ!



【講師:小川仁志さんの関連著作】
小川 仁志『ポジティブ哲学! ―三大幸福論で幸せになる―』清流出版 2015/6/19
―アラン、ヒルティ、ラッセルの「三大幸福論」から得る幸せの見つけ方

『幸福論』 B・ラッセル/著 堀秀彦/訳 角川ソフィア文庫 2017/10/25
―解説:小川 仁志



 ●三大幸福論

哲学の三大幸福論と言われるのが、フランスの哲学者・アラン『幸福論』(1925)、スイスの哲学者ヒルティ『幸福論』(全三巻 1891-99)と、イギリスの哲学者・ラッセルの本書です。

一番とっつきやすいのは、アラン『幸福論』でしょう。
文庫本で2~3ページという短文を集めたもので、読みやすいというのが特徴の一つです。

内容は、哲学的・文学的で、アランの主張は、自分で作る幸福は決して裏切らない(「47アリストテレス」)といい、自分が幸福になるのは義務だ(「92幸福になる義務」)といい、子供には幸福になる方法を教えるべきだ(「91幸福となる方法」)といい、幸福になるにはまず気持ちの持ち方である(「66ストイシズム」)といい、幸福だから笑うのではなく笑うから幸福になるのだ(「77友情」)、と教えます。


*参照:『お茶でっせ』記事
2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!


ヒルティ『幸福論』も各巻8本ずつの論文が集められたものです。
キリスト教的な見地からの実用的な幸福論という気がします。

「人間だれ一人として幸福を求めないものはない」(第三部「二種類の幸福」)といい、「幸福こそ、人間の生活目標なのだ」(第一部「幸福」)といい、「仕事は人間の幸福のひとつの大きな要素だ」といい、「あなたは額に汗してパンを食べねばならぬ」(創世記三の一九/同)と。
第一部が「仕事の上手な仕方」で始まるように、幸福への道は、まず仕事に励むこと、といいます。

そして、不幸は人生につきものであり、逆説的にいえば、不幸は幸福のために必要だ、とも言います。

第三部「二種類の幸福」で、「価値の低い幸福」に至る道については古くから述べられているといい、彼は「永続的な幸福」について書いています。
それは、「神のそば近くにあること」「偉大で真実な思想に生きる」ことだと言います。


 ●『ラッセル幸福論』

これらの著作と異なり、本書は、一冊を費やして幸福について論を張る長編の論文です。

「はしがき」によりますと、自身の経験と観察によって確かめられた処方箋で、《周到な努力によれば幸福になりうる》(『ラッセル幸福論』安藤貞雄/訳 岩波文庫より―以下同じ―p.5)という信念に基づき、本書を書いたといいます。

この本の目的は、
普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案することにある。》p.14
といいます。

いかにして幸福を獲得するか? その積極的で具体的な方法を伝授すること、だそうです。

特別な不幸――恐怖政治や戦争、社会の貧困といった大きな問題、個人的には病気やケガ等、あるいは親しい人の死等の、単純には乗り越えられない種類の不幸は取り上げない。
あくまでも個人の力で改善できる問題に置いて、です。

そして、多くの人はそのような日常的な不幸を抱えて生きている、というのです。
では、そのような日常的な不幸に陥る原因はどこにあるのでしょう。


第一部「不幸の原因」では、「不幸だと感じている人々」がどのような状況にあるか、を分析し原因を追究します。

第1章「何が人びとを不幸にさせるのか」では、
不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。》p.22
といい、その原因を一つずつ挙げ、第2章「バイロン風の不幸」第3章「競争」第4章「退屈と興奮」第5章「疲れ」第6章「ねたみ」第7章「罪の意識」第8章「被害妄想」第9章「世評に対するおびえ」と、分析してゆきます。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。 》(中村融訳 岩波文庫)
と書いていますが、それと同じようなものでしょう。


たとえば第2章「バイロン風の不幸」では、
人生は、ヒーローとヒロインが、信じがたいような不運を乗り越えたのちにハッピーエンドで報われる、といったメロドラマの類推で考えられるべきではない。》p.33
といいます。
第3章「競争」では、
成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる》p.54
といいます。
第4章「退屈と興奮」では、
前の晩が楽しければ楽しいほど、翌朝は退屈になる》p.66
といい、
総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。》p.70
ともいい、
幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである。》p.74
といいます。
第5章「疲れ」では、
きちんととした精神を養うことで、どれほど幸福と効率がいまやすかは、驚くほどである。きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのではなく、考えるべきときに十分に考えるのである。》p.79
といいます。
たとえば心配事に関しても、
最悪の場合でも、人間に起こることは、何ひとつ宇宙的な重要性を持つものはないからである。》p.84
といい、取り越し苦労を否定します。
第6章「ねたみ」では、
他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。何でも楽しいことが起これば、目いっぱい楽しむべきであって、これは、もしかしてよその人に起こっているかもしれないことほど楽しくないんじゃないか、などと立ち止まって考えるべきではない。》p.95-96
といいます。
第7章「罪の意識」では、
他人に対して心の広い、おおらかな態度をとれば、他人を幸福にするだけではなく、本人にとっても限りない幸福の源となる。》p.117
といい、
おのれの能力を最も完全に発揮するときに最大の幸福が訪れる。》p.121
といいます。
第8章「被害妄想」では、被害妄想を治すことが
幸福獲得の重要な部分である。というのは、私たちは万人が自分を虐待していると感じているかぎり、幸福になることはまるで不可能だからだ。》p.124
といい、被害妄想の予防薬となる四つの公理を挙げています。
第9章「世界に対するおびえ」では、世評に対する恐れは、
抑圧的で、成長を妨げるもので(略)真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することは不可能である。》p.151-152
といい、幸福にとって不可欠なのは、
私たち自身の深い衝動から生まれてくる》p.152
ことがら――趣味や楽しみ、希望等によるのだと言います。
幸福は同じような趣味と、同じような意見を持った人たちとの交際によって増進される。》p.151
と。


第二部「幸福をもたらすもの」で、幸福になる秘訣を説きます。

第10章「幸福はそれでも可能か」では、幸福には2種類あると言います。
一つは、どんな人にも得られるが、もう一つは、読み書きのできる人にしか得られないものだといいます。
前者のそれは、動物にも見られる単純な喜び――生存における快適な充足といったものです。
それに引き換え、後者は、科学者の尊敬に値する業績のような、困難を克服したのちに得られる成功の喜び――自己の能力を高く評価する、といったものです。
しかしこのような成功を一般の人間が獲得するのは難しいものです。
そこで注目すべきは、「趣味に熱中すること」といいます。
それでも、このような趣味や道楽は、現実からの逃避の手段とも言えます。
根本的な幸福は、ほかの何にもまして人や物に対する有効的な関心とも言うべきものに依存している。》p.170
といいます。
そして、この人への関心は愛情であり、
幸福に寄与する愛情は、人びとを観察することを好み、その個々の特徴に喜びを見いだす類の愛情である。》p.170
といい、最後に
幸福の秘訣は、(略)あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。》p.172
といいます。
第11章「熱意」では、幸福な人の最も一般的な特徴として「熱意」を取り上げます。
人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、また、運命に左右されることが少なくなる。》p.176
といいます。
一つを失っても別のものがある、というわけ。すべてのものに興味を持つには人生は短すぎるけれど……。
熱意こそは、幸福と健康の秘訣である。》p.192
、と。
第12章「愛情」では、
人生に対する一般的な自信は、ほかの何にもまして、正しい愛情を、必要なだけ、ふだん与えられているところから生まれる。》p.195
といいます。
ものごとへの熱意の源となる精神の習慣としての愛情において最上のものは、
相互に生命を与えあうものだ。おのおのが喜びをもって愛情を受け取り、努力なしに愛情を与える。》p.202
といいます。
ところが現代は、人との付き合いにおいて用心深さが必要とされる状況にあり、しかし、
愛における用心深さは、ことによると、真の幸福にとって致命的なものであるかもしれない。》p.205
といいます。
第13章「家族」では、
両親の子供に対する愛情と、子供の良心に対する愛情は、幸福の最大の源の一つ》p.206
となりうるにもかかわらず、現代では大きな不幸の源になっている、といいます。
それでも、
個人的に言えば、私自身は、親としての幸福は私の味わった他のどんな幸福より大きいと思っている。》p.218
といいます。
そして、
私たちは、よい人間関係は両方の側にとって満足すべきものでなくてはならないと信じている。》p.222
といい、
本当に子供幸福を希(こいねが)う親は、(略)衝動によって正しく導かれることだろう。》p.225
といいます。
第14章「仕事」では、「仕事」の役割としては、第一に
退屈の予防策として望ましいものだ。》p.231
といい、第二の利点は、
成功のチャンスと野心を実現する機会を提供してくれる。》p.232
といいます。
成功したいという欲望があれば、その仕事に耐えられるといい、
目的の持続性ということは、結局、幸福の最も本質的な成分の一つであるが、(略)これは主として仕事を通して得られる。》p.232
といいます。
そして、
一つの重要な仕事を見事にやり遂げた幸福を、人から奪えるものでは何ひとつない。》p.237-238
といい、
首尾一貫した目的(略)は、幸福な人生のほぼ必須の条件である。そして、(略)主に、仕事において具体化されるのである。》p.241
といいます。
第15章「私心のない興味」では、生活の根底をなしている主要な興味ではなく、二次的な興味について語られます。
これは、主要な仕事での疲れや活力を取りもどすための気分転換、余暇を満たす興味といった意味でしょう。
仕事以外の興味をたくさん持っていれば、持っていない場合よりも、仕事を忘れるべきときに忘れることが断然やさしくなる。》p.244
といいます。
そういう「思考のチャンネルを切り替えること」ができる
魂の偉大さを持ちうる人は、心の窓を広くあけて、宇宙の四方八方から心に風が自由に吹き通うようにするだろう。》p.250
といい、
賢明に幸福を追求する人は、(略)いくつかの副次的な興味を持つように心がけるだろう。》p.253
といいます。
第16章「努力とあきらめ」では、古代中国の『論語』でも、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』においても語られる、古今東西で指摘されてきた「中庸」という教義について語ります。
純粋に個人的な希望は、無数の形で挫折するものであって、避けがたいものかもしれない。》p.260-261
といいます。
人生においては、ことを達成することができず、その努力を半ばで諦めなければならない場合があるということです。
中庸を守ることが必要である一つの点は、努力とあきらめのバランスに関してである。》p.254
といい、
日ごとに信じがたくなる事柄を日ごと信じようとする努力(略)を捨て去ることこそ、確かな、永続的な幸福の不可欠の条件である。》p.265
といいます。
最終章の第17章「幸福な人」は、いよいよ「まとめ」の章です。
外的な事情がはっきりと不幸ではない場合には、人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである。》p.267
といい、
やはり、人生は生きがいがあるのだ、と感じられるように自分に教え込むとよい。》p.270
といいます。さらに、
幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。》p.271
といい、
私は、本書を快楽主義者として、言い換えれば、幸福を善と見る人間として書いた。》p.271
といいます。
これはおおむね、健全な道徳家の推奨する行為と同じだが、私の推奨してきた人生態度と道徳家のそれとでは少し異なる部分があるとも言います。
私たちは、愛する人びとの幸福を願うべきである。しかし、私たち自身の幸福と引き換えであってはならない。》p.272-273
といいます。
自己否定の教義にくみすることなく、世界への興味を持つことで、自己もまた生命の流れを一部であることを認識し、自己と世界を統合したものと実感できる、といいます。
最後に、
幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である。》p.268
といい、
幸福な人とは、(略)自分の人格が内部で分裂してもいないし、世間と対立してもいない人のことである。(略)自分は宇宙の市民だと感じ、(略)宇宙が与える喜びをエンジョイする。》p.273
といい、子孫という生命の連続を信じ、死を恐れない、生命の流れと結合し、大いなる歓喜を見出している、と結論します。


簡単にいえば、幸福な人とは、自分の内に閉じこもらず、自らを客観的に見、広く外に目を向け、興味を持って人や社会と対立することなく友好的につきあい、未来につながる生き方で人生をエンジョイする人のことである、といえるのではないでしょうか。
幸福な人生とは、よく生きることである、と。



 ●よく生きる――幸福こそ最高善である

ソクラテスは、
最も尊重しなければならなぬのは生きることではなくて、善く生きることだ
といい、そのあと続けて
善く生きることと立派に生きることと正しく生きることとは同一である
といいました(プラトン著『クリトン』山本光雄訳 角川文庫)。

「善く生きる」とは、「立派に生きること」「正しく生きること」「美しく生きること」でもあり、「生きがいのある人生」のことであり、「自分にとって望ましい生き方」ということであり、すなわち「幸福に生きる」ことだと言います。

古代ギリシア人は、真・善・美を重んじたといいます。
「真」とは「善」であり「美」である(「真」=「善」=「美」)ということで、人もそのように生きるべきだということでしょう。

「幸福に生きること」が人生における「真理」なのだ、と。


アリストテレス『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫[上巻]第一巻第八章)には、
幸福とはよい人生を送り、立派にやっていくこと
といい、
というのも、[われわれの説では、幸福とは]或る種の善き生であり、善き行為であると大体は語られていたからである。
といいます。
さらに、
われわれにとって幸福は、尊敬に値する、完璧なもののひとつである、ということである。》(第一巻第十二章)
と。
結論として、人間にとっての幸福こそ、「最高善」なのだ(第一巻第七章)、といいます。


本書のラスト(第二部「第17章」)でも、ラッセルは
幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。
といい、「幸福は善だ」と書いています。

古代西洋哲学以来の考え方なのでしょう。
そして、それが真実なのではないでしょうか。

 ・・・

*私が読んだ本:
『ラッセル 幸福論』B. ラッセル/著 安藤貞雄/訳 岩波文庫 1991/3/18


*「三大幸福論」他の二点:
アラン『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫

『ヒルティ 幸福論』(全三巻)岩波文庫
[第一部] 草間平作/訳 改版 1961/1/1


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38 2017年11月放送:2017.11.6
努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月


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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月
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ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月

2017-11-27 | 新しい生活のために
7月のNHK100分de名著は、ジェイン・オースティン Jane Austen の『高慢と偏見』PRIDE AND PREJUDICE です。

今年はジェイン・オースティン没後200年だそうです。
ということもあっての選択でしょうか。

この機会に読んでみました。
1813年に出版された小説で、しかも執筆はそれより16年も前と言います。
というと、1796年。

18世紀末もしくは19世紀初頭の作品ということで、どちらにしろ既に200年以上前の作品で、タイトルからも「古臭~い観念的な小説かな」と思っていました。

実際に読んでみますと、翻訳(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫)のせいもあるのかもしれませんが、文章もすごく読みやすく、ストーリイの展開も人物の描写も明快で、楽しく読めました。

単純にみても200年以上の歴史を経たものでもあり、オースティンの文章はかなり複雑な構文で難解なものと言われているそうです。
翻訳の違いでかなり読んだ印象も異なるかと思います。
私は、この翻訳が親しめました。

 ・・・

冒頭の一節――
独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要というのが、おしなべて世間の認める真実である。/そうした青年が、はじめて近隣のひととなったとき、ご当人の気持だとか考え方などにはおかまいなく、周辺の家のひとびとの心にしっかり焼きついているのはこの真実であり、その青年は、とうぜんわが娘たちのいずれかのものになると考える。》(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫)

(ちなみに、最新訳ではこうなっています。)
世の中の誰もが認める真理のひとつに、このようなものがある。たっぷり財産のある独身の男性なら、結婚相手が必要に違いないというのだ。/そんな男性が近所に越してきたとなると、当人がどう思っているか、結婚について何を考えているかなどお構いなし。どこの家庭でもこの真理が頭に染みついているから、あの男は当然うちの娘のものだと決めてかかる。》(小山太一訳・新潮文庫 2014)

これを読んで、私はいっぺんにやられてしまいました。
こういう書き出しをさらっと書けるのは、やはりすごいと思います。
一見ありきたりな紋切り型に見えますが、導入部としては、やはりすごいの一言でしょう。

さらにその後に続くベネット夫妻の会話がみごとに作品世界を説明しています。
イメージがいっぺんに定着します。
(あとでふれますが、夏目漱石も引用文を示して激賞しています。)


内容は、年頃の長女と次女を始め、五人娘を持つ上層中産階級(アッパー・ミドル・クラス)の地主階級(ジェントルマン)のベネット家の娘たちの恋愛と結婚のお話です。

タイトルは当初『第一印象』と名付けられていたように、この作品は主人公エリザベスが結婚相手となるダーシー青年に対して見てとったその性格(高慢 PRIDE)と、抱いた誤解(偏見 PREJUDICE)についてのお話という意味でしょうか。
あるいは、ダーシー自身の性格(高慢)と階級差に対する考え(偏見)なのでしょうか。
もしくは、エリザベス自身のダーシーへの見方そのものが、高慢であったり偏見であったりした、ということでしょうか。

その辺は、各自読んだ上での判断ということにしましょう。



 ●結婚観や夫婦像を見る

恋愛小説のジャンルに入るかと思いますが、紆余曲折の恋愛ののち結婚にゴールインしてめでたしめでたしとなる“恋愛と結婚”の小説です。

新潮文庫版の「解説」で作家の桐野夏生さんが
裕福ではないジェントリの娘にとって、結婚とは「シューカツ」である。そして、家族にとっては、少しでもいい条件のところに娘を嫁がせて、自分たちも楽をするための「ファミリー・ビジネス」なのだった。
と書いています。
確かに、ここに登場する何組かの夫婦を見ていますと、結婚のあり方というものを考えさせられます。

エリザベスは経済的にも社会的地位的にもまさに玉の輿に乗るわけですが、姉も経済的にいえばそれでしょう。
アッパー・クラス(上流階級)に属するダーシーと、アッパー・ミドル・クラス(上層中産階級)のジェントリー(地主階級)の娘であるエリザベスの結婚は、身分(階級)違いの結婚となり、多くの障害を乗り越えるためには互いの愛情と覚悟が必要でもあるのです。
姉の場合も同じです。
ダーシーは当初からその自信はあったようです。
問題は女性の側というところでしょう。

一方、エリザベスの親友の27歳の(当時としては行き遅れ?)シャーロットは、経済的な安定をとったというところでしょうか。
それぞれの結婚観に基づくものでもあるのでしょうけれど、現実的な妥協でもあるという見本でしょう。

他にも、ベネット夫妻やベネット夫人の弟夫妻、結婚したシャーロット夫妻など、いくつかの夫婦が登場します。
こういう結婚観や夫婦像を観察するのも、この作品を読む楽しみの一つでしょう。



 ●夏目漱石の『文学論』から

光文社古典新訳文庫版の小尾さんの「訳者あとがき」によりますと、東京帝大英文科で講師を務めた夏目漱石もその前任者であったラフカディオ・ハーンも、オースティンを評価しています。

夏目漱石は『文学論』のなかで、オースティンの『高慢と偏見』や『多感と分別』にふれ、「Austenは写実家なり」といい、かつ「写実の泰斗なり」と書いています。

『文学論』「第四編 文学的内容の相互関係/第七章 写実法」(岩波文庫 2007)

Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技(わざ)神に入るの点において、優に鬚眉(しゅび)の大家を凌ぐ。余いふ。Austenを賞翫する能はざるものは遂に写実の妙味を解し能はざるものなりと。例を挙げてこれを証せん。》p.167
以下、第一章の冒頭のベネット夫妻の会話が原文とご自身の和訳で紹介されています。
取材既に淡々たり。表現亦洒々(しゃしゃ)として寸毫の粉飾を用ゐず。これ真個に吾人の起臥し衣食する尋常の天地なり。これ尋常他奇なきの天地を眼前に放出して客観裏にその機微の光景を楽しむ。もし楽しむ能はずといはばこれ喫茶喫飯のやすきに馴れて平凡の大功徳を忘れたるものの言なり。》p.175

Austenの描く所は単に平凡なる夫婦の無意義なる会話に非ず。興味無き活社会の断片を眼前に髣髴せしむるを以て能事を畢(おわ)るものにあらず。こう一節のうちに夫婦の性格の躍然として飛動せるは文字を解するものの否定する能はざる所なるべし。(略)――悉く筆端に個々の生命を託するに似たり。》p.176

即ちこの一節は夫婦の全生涯を一幅のうちに縮写し得たるの点において尤も意味深きものなり。ただ縮写なるが故に意味深きのみならず。(略)この一節の描写は単に彼ら性格の常態を縮図にせるの点において深さを有するのみならず、併せてその可能的変態をも封蔵せるの点において深さを有するものとす。》p.177

這裏(しゃり)の消息に通ずるものはAustenの深さを知るべし。Austenの深さを知るものは平淡なる写実中に潜伏し得る深さを知るべし。》p.178



ラフカディオ・ハーンも、オースティンの作品を高く評価しています。
「それはあまりに繊細すぎた」といい、それゆえ、
文学的教養が十分でないと彼女の小説の並はずれた長所を理解することはできない。》『ラフカディオ・ハーン著作集第十二巻』野中涼・野中恵子共訳、千九百八十二年、光文社(「訳者あとがき」p.366より孫引き)

『高慢と偏見』については、
シェイクスピアの芝居のあるもののように面白い。実際、人物たちの劇的な真実といきいきしたようすは、シェイクスピア的と言っていいくらいだ》同
といいます。

 ・・・

なかなか鋭い観察眼と描写力を持つ、達者な作者の名品という感じでした。

さて、この作品を廣野由美子講師がどのように読み説いていただけるのか、楽しみです。

 ・・・

名著67 高慢と偏見

第1回 7月3日放送 偏見はこうして生まれた
第2回 7月10日放送 認識をゆがめるもの
第3回 7月17日放送 恋愛のメカニズム
第4回 7月24日放送 「虚栄心」と「誇り」のはざまで

【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
高慢と偏見 2017年7月
2017年6月25日発売


*私が読んだ本:
『高慢と偏見〈上〉』ジェイン・オースティン/作 小尾芙佐/訳 (光文社古典新訳文庫 2011/11/10)
―唯一の女性訳者の手になる翻訳。小尾さんの翻訳は、エンタメ系小説で多く慣れ親しんでいるので、安心して読めました。
『高慢と偏見〈下〉』(同)

『自負と偏見』ジェイン・オースティン/作 小山太一/訳 (新潮文庫 2014)


*講師・廣野由美子さんのオースティンの本:
『深読みジェイン・オースティン―恋愛心理を解剖する』廣野 由美子 (NHKブックス No.1246 2017/6/22)


*他のNHKテレビ「100分 de 名著」の記事:
1 2011年11月放送:2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!
2 2011年12月放送:2011.12.6
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK
3 2012年1月放送:2012.1.5
吉田兼好『徒然草』両面から物事を見よ!-「100分 de 名著」NHK
4 2012年2月放送:2012.1.29
新渡戸稲造『武士道』日本的思考の根源を見る-「100分 de 名著」NHK
5 2012年3月放送:2012.3.6
仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月
6 同:2012.4.2
NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで
7 2012年4月放送:2012.4.3
紫式部『源氏物語』NHKテレビ100分de名著
8 2012年5月放送:2012.5.2
確かな場所など、どこにもない―100分 de 名著 カフカ『変身』2012年5月
9 2012年6月放送:2012.6.6
<考える葦>パスカル『パンセ』NHK100分 de 名著2012年6月
10 2012年10月放送:2012.10.2
鴨長明『方丈記』NHK100分 de 名著2012年10月
11 2012年12月放送:2012.12.5
<心で見る努力>サン=テグジュペリ『星の王子さま』NHK100分de名著2012年12月
12 2013年1月放送:2013.1.11
呪文に頼るのもよし?~100分de名著『般若心経』2013年1月
13 2013年2月放送:2013.2.5
待て、そして希望せよ~NHK100分de名著『モンテクリスト伯』2013年2月
14 2013年3月放送:2013.3.28
どんな時も、人生には、意味がある。フランクル『夜と霧』~NHK100分de名著2013年3月(再放送)
15 2013年4月放送:2013.4.11
真面目な私とあなた―夏目漱石『こころ』~NHK100分de名著2013年4月
16 2013年5月放送:2013.5.20
水のように生きる『老子』NHK100分de名著2013年5月
17 2013年6月放送:2013.6.5
生きる喜びは、どこにあるのか?『戦争と平和』トルストイ~NHK100分de名著2013年6月
18 2013年7月放送:2013.7.9
哲学とは、愛である『饗宴』プラトン~NHK100分de名著2013年7月
19 2013年11月放送:2013.11.10
「物語」に終わりはない『アラビアンナイト』~NHK100分de名著2013年11月
20 2013年12月放送:2013.12.11
切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月
21 2014年1月放送:2014.1.21
花とは何か~『風姿花伝』世阿弥~NHK100分de名著2014年1月
22 2014年3月放送:2014.3.4
戦わずして勝つ『孫子』~NHK100分de名著2014年3月
23 2014年12月放送:2014.12.3
生きるべきか、死ぬべきか-シェイクスピア『ハムレット』~NHK100分de名著2014年12月
24 2015年4月放送:2015.3.29
自分を救えるのは自分自身である-NHK100分de名著『ブッダ 最期のことば』2015年4月
25 2015年5月放送:2015.5.5
何もないことを遊ぶ『荘子』-NHK100分de名著2015年5月
26 2015年6月放送:2015.6.2
運命と人間―ギリシア悲劇/ソポクレス「オイディプス王」NHK100分de名著2015年6月
27 2015年7月放送:2015.6.30
ラフカディオ・ハーン/小泉八雲『日本の面影』NHK100分de名著2015年7月
28 2015年8月放送:2015.8.5
自然淘汰による進化「生命の樹」-ダーウィン『種の起源』NHK100分de名著2015年8月
29 2015年9月放送:2015.9.1
恋と革命~太陽のように生きる-太宰治『斜陽』NHK100分de名著2015年9月
30 2015年10月放送:2015.10.7
処世訓の最高傑作「菜根譚」NHK100分de名著2015年10月
31 2016年1月放送:2016.1.4
真面目なる生涯~内村鑑三『代表的日本人』NHK100分de名著2016年1月
32 2016年4月放送:2016.4.4
弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月
33 2016年5月放送:2016.5.1
人に勝つ兵法の道-宮本武蔵『五輪書』NHK100分de名著2016年5月
34 2017年2月放送:2017.2.6
欲望から自由になれ-ガンディー『獄中からの手紙』NHK100分de名著2017年2月
35 2017年3月放送:2017.3.5
永久の未完成これ完成である〈宮沢賢治スペシャル〉NHK100分de名著2017年3月
36 2017年4月放送:2017.4.4
人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月
37 2017年7月放送:2017.7.3
ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月
38 2017年11月放送:2017.11.6
努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月


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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月
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人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月

2017-11-27 | 新しい生活のために
NHK『100分de名著』2017年4月は、名著64 三木清「人生論ノート」です。

三木清(1897-1945)は、今年生誕120年を迎えるという、戦前の哲学者です。
1897(明治30)年、兵庫県に生まれ、一高を経て、西田幾多郎に師事し、京大哲学科入学、卒業後大学院へ進む。
1922年、岩波書店の岩波茂雄の出資を受けドイツ留学。その後パリに移る。
帰国後、三高や大学の講師を歴任。期待された京大に職を得られず、法大教授となる。
しかし、1930年に共産党への資金援助により治安維持法で検挙、有罪となり、法大をやめ、在野の哲学者となり、新聞雑誌への寄稿が増える。
また岩波文庫の発刊に協力、発刊の言葉の草稿も書いたという。
1945(昭和20)年6月、治安維持法違反の容疑者をかくまい逃亡させた嫌疑で検挙、投獄され、敗戦後も釈放されないまま、48歳で獄死。
『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫)『哲学入門』(岩波新書)『人生論ノート』(新潮文庫)『語られざる哲学』(講談社学術文庫)などの著作がある。

 ・・・

名著64 三木清「人生論ノート」

「プロデューサーAのおもわく。(4月の名著:人生論ノート)」より
三木はこの本で一つの「幸福論」を提示しようとしていました。同時代の哲学や倫理学が、人間にとって最も重要な「幸福」をテーマに全く掲げないことを鋭く批判。「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。... /哲学者の岸見一郎さんは、「人生論ノート」を、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福とみなされがちな今だからこそ、読み返されるべき本だといいます。一見難解でとっつきにくいが、さまざまな補助線を引きながら読み解いていくと、現代を生きる私たちに意外なほど近づいてくる本だともいいます。/...「人生論ノート」を通して、「幸福とは何か」「孤独とは何か」「死とは何か」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに生きる方法を学んでいきます。

第1回 4月3日放送 真の幸福とは何か
幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。... 第一回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく。
第2回 4月10日放送 自分を苦しめるもの
三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。... 第二回は、自分自身を傷つけてしまうマイナスの感情と上手につきあい、コントロールしていく方法を学んでいく。
第3回 4月17日放送 虚無や孤独と向き合う
人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できる...「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だ... 第三回は、人間の条件である「虚無」や「孤独」との本当のつきあい方に迫る。
第4回 4月24日放送 死を見つめて生きる
死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。... 第四回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで、「死とは何か」を深く問い直していく。

【指南役】岸見 一郎(哲学者)…「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の著者。
【朗読】市川猿之助(歌舞伎役者)


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」人生論ノート 2017年4月 (2017年3月25日発売)
理想こそが現実を変える
人生は実に旅である。未知への漂白である。



◆三木清「人生論ノート」:
『人生論ノート』新潮文庫 改版 1978/9
『人生論ノート 他二篇』角川ソフィア文庫 2017/3/25
―『語られざる哲学』、『幼き者の為に』所収。 解説/岸見一郎


◆岸見 一郎/著:
『三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2016/6/28
『希望について: 続・三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2017/4/13

 ・・・

三木清の『人生ノート』です。
1938年から『文学界』に連載した短文をまとめたものです。

哲学書というよりは、もう少し一般的なエッセイに近いものでしょうか。

三木清の著作の中でも比較的読みやすいものでしょう。
(といっても私は、これと『哲学入門』しか読んだことがありません。)

三木清については、ほとんど知りません。
(今回、『三木清 人と思想』清水書院センチュリーブックス177 を読んで知ったことぐらいです。)

『嫌われる勇気』等でアドラー心理学の紹介者として有名になられた観のある、指南役の岸見一郎さんですが、実は哲学者でこちらの方が専門のようです。
実際にどのように読み説かれるか楽しみです。
(といいながら、第一回放送は終了しましたが。)


第一回について少しだけ書いておきますと――

1938(昭和13)年という、戦争前夜とでもいうべき、言論が弾圧され、個人が圧殺される全体主義の時代に書かれたもので、ストレートな表現は当局から目をつけられ発禁処分になる危険性もあり、難解な言葉遣いで著した、その分わかりにくいところがある、と解説されています。

その中で、幸福について語りにくい時代であるということ、それでも幸福とは徳であり、愛する人のためにこそ自分が幸福であるべきで、自分が幸福であること以上の善いことを為し得ない。
そして、幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福だ、という(「幸福について」)。
成功と幸福を不成功と不幸と同一視するようになり、真の幸福とは何かが理解できなくなった。幸福とは人それぞれオリジナルなものだ、という(「成功について」)。

――といった内容でした。

 ・・・

新潮文庫版『人生論ノート』から、私の心に残った文章をピックアップしておきましょう。

「死について」
執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。》p.11

... 死は観念である。それだから観念の力に頼って人生を生きようとするものは死の思想を掴むことから出発するのがつねである。すべての宗教がそうである。》p.12-13

「幸福について」
... 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。... 》p.16

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。... 》p.18-19

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。》p.22

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。》p.22

「懐疑について」
人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。自由人といわれる者で懐疑的でなかったような人を私は知らない。... しかるに哲学者が自由の概念をどのように規定するにしても、現実の人間的な自由は節度のうちにある。古典的なヒューマニズムにおいて最も重要な徳であったこの節度というものは現代の思想においては稀になっている。懐疑が知性の徳であるためには節度がなければならぬ。一般に思想家の節度というものが問題である。モンテーニュの最大の智慧は懷疑において節度があるということであった。また実に、節度を知らないような懐疑は真の懐疑ではないであろう。度を越えた懐疑は純粹に懐疑に止まっているのでなく、... 一つの独断である。》p.24

「習慣について」
... 生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとって一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるということは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味している。... 》p.32-33

「虚栄について」
虚栄によって生きる人間の生活は実体のないものである。言い換えると、人間の生活はフィクショナルなものである。それは芸術的意味においてもそうである。というのは、つまり人生はフィクション(小説)である。だからどのような人でも一つだけは小説を書くことができる。普通の人間と芸術家との差異は、ただ一つしか小説を書くことができないか、それとも種々の小説を書くことができるかという点にあるといい得るであろう。》p.39

しかし人間が虚栄的であるということはすでに人間のより高い性質を示している。虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうする人間的なパッションである。それは仮裝に過ぎないかも知れない。けれども一生仮裝し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に対する金貨ほどの意味をもっている。》p.42

「名誉心について」
人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を抛棄しないであろう。ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである。その区別ができない場合、ストイックといっても一つの虚栄に過ぎぬ。》p.45

「怒について」
怒ほど正確な判斷を亂すものはないといはれるのは正しいであらう。しかし怒る人間は怒を表はさないで憎んでゐる人間よりもつねに恕せらるべきである。》p.53

ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相対して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同樣の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。》p.53

「人間の条件について」
虚無が人間の条件或いは人間の条件であるものの条件であるところから、人生は形成であるということが従ってくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるというのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとって現実的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみずから形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与える。かような形成は人間の条件が虚無であることによって可能である。》p.60

古代は実体概念によつて思考し、近代は関係概念或いは機能概念(函数概念)によって思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は単なる実体でなく、単なる関係乃至機能でもない。形はいわば両者の綜合である。関係概念と実体概念とが一つであり、実体概念と機能概念とが一つであるところに形が考えられる。》p.53p.61

「孤独について」
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。》p.65

東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜との対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違っている。》p.66

孤独には美的な誘惑がある。孤独には味いがある。もし誰もが孤独を好むとしたら、この味ひのためである。孤独の美的な誘惑は女の子も知っている。孤独のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
その一生が孤独の倫理的意義の探求であったといい得るキェルケゴールでさえ、その美的な誘惑にしばしば負けているのである。
》p.66

物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済であるといったが、表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。かようにして、孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある。》p.67

「嫉妬について」
もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。》p.68

嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。》p.72

「成功について」
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。》p.74

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。》p.74

純粹な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はそうではない。エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合成功主義と結び附いている。》p.75-76

「瞑想について」
ひとは書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。そして精神には仕事と同樣、閑暇が必要である。余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとって有害である。》p.81

「噂について」
噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである。》p.84

「利己主義について」
愛情は想像力によって量られる。》p.89

我々の生活は期待の上になり立っている。》p.90

利己主義者は期待しない人間である、従ってまた信用しない人間である。それ故に彼はつねに猜疑心に苦しめられる。
ギヴ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である。
》p.91

利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる。主義というものは自分で称するよりも反対者から押し附けられるものであるということの最も日常的な例がここにある。》p.92

「健康について」
誰も他人の身代りに健康になることができぬ、また誰も自分の身代りに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその点において平等のものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。すべての養生訓はそこから出立しなければならぬ。》p.93

健康の問題は人間的自然の問題である。というのは、それは単なる身体の問題ではないということである。健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である。》p.95

健康というのは平和というのと同じである。そこに如何に多くの種類があり、多くの価値の相違があるであろう。》p.98

「秩序について」
外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。》p.104

人格とは秩序である、自由というものも秩序である。... 》p.104

「感傷について」
感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。主観主義者は、どれほど概念的或いは論理的に裝おうとも、内実は感傷家でしかないことが多い。》p.109

あらゆる情念のうち喜びは感傷的になることが最も少い情念である。そこに喜びのもつ特殊な積極性がある。》p.109

感傷には個性がない、それは真の主観性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。だから大衆文学というものは本質的に感傷的である。大衆文学の作家は過去の人物を取扱うのがつねであるのも、これに関係するであろう。彼等と純文学の作家との差異は、彼等が現代の人物を同じように巧に描くことができない点にある。この簡単な事柄のうちに芸術論における種々の重要な問題が含まれている。》p.109

感傷には常に何等かの虚栄がある。》p.110

「仮説について」
常識を思想から区別する最も重要な特徴は、常識には仮説的なところがないということである。》p.113-4

思想は仮説でなくて信念でなければならぬといわれるかも知れない。しかるに思想が信念でなければならぬということこそ、思想が仮説であることを示すものである。常識の場合にはことさら信仰は要らない、常識には仮説的なところがないからである。常識は既に或る信仰である、これに反して思想は信念にならねばならぬ。》p.114

仮説という思想は近代科学のもたらした恐らく最大の思想である。... 》p.115

「偽善について」
... 人生において証明するということは形成することであり、形成するということは内部と外部とが一つになることである。ところが偽善者にあっては内部と外部とが別である。偽善者には創造というものがない。》p.118

「娯楽について」
生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同樣である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えることによって生活を楽しむということは可能になる。
娯楽といふ観念は恐らく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。
》p.121

「希望について」
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。... 》p.127

人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。》p.127

それは運命だから絶望的だといわれる。しかるにそれは運命であるからこそ、そこにまた希望もあり得るのである。》p.128

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味いたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。》p.128

希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるというのは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。... 希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕わすものである。
希望に生きる者はつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している。
》p.129

絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。》p.130

... 断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。
》p.131

「旅について」
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。... いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。... 》p.136

... 旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。》p.138

「個性について」
個性を理解しようと欲する者は無限のこころを知らねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは對象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して對象において自己を生かすのである。... 》p.147


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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
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