レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

フェリシモ新・左きき友の会ウェブサイト

2011-04-26 | 左利き
[画像]フェリシモ左きき友の会ウェブサイト

わが週刊ヒッキイの読者さんでもある、こちら(「手の道具だけなら」)の情報から。

左手・左利き用品の通販でおなじみ「左ききカタログ」フェリシモさんですが、
カトサンのつぶやき030:新・左きき友の会と、定規セットリニューアル
によりますと、
フェリシモの左きき友の会のウェブサイトが3月に開設されていたそうです。
《『フェリシモ 左きき友の会』は、左ききの人、左ききのお子さまをお持ちのお父さん、お母さんを応援しています。/新しい左きき商品の開発や情報交換、お悩み相談を通じて、みんなの使いにくいを一緒に減らしていきませんか?》
・左ききの暮らし調査
・左きき商品モニターの募集
・左ききのお悩みアンケート
・「身の回りの使いにくい」はありませんか?アンケート

というように、アンケートやモニター募集など実施中です。
他にも「左ききでも使いやすいキッチンアイテム」の紹介などもあります。
(オクソー(OXO)が多いようですが、このメーカーの商品は左右平等思想に裏打ちされているようです!)

最近は、左手使い・左利きの情報を専門に扱うところが少なくなっています。

フェリシモ・左ききカタログのような左手・左利き用品を扱った商用サイトは増えていますが、
純粋に左手使いの人、左利きの人のための情報を中心に提供するところは余りありません。
それだけに、今後の展開が楽しみです。

「左きき友の会」なので、「左きき」中心になるのは、致し方ない面もあります。
それだけ冷遇されてきたという過去があるので、納得の部分もあります。

ただ突っ込んで言えば、右利きと左利きとの中間的な人もいます。
また、これからの時代は多様性の時代ですので、プラス・アルファとして、左側使用者への取り組みも必要でしょう。

できれば左利きだけでなく、左手使いの人・左側使いの人への視点も加味していただければ、よりベターかと思います。

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「フェリシモ新・左きき友の会ウェブサイト」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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週刊ヒッキイhikkii257 見えぬけれどもあるんだよ

2011-04-23 | 左利き
◆編集後記(のようなもの)◆

-見えないものを大切に-

利き手について、生まれたての赤ちゃんには利き手はない、とか
生まれたときは右利き左利き半々なんだ、
それが右手を使わせることで右利きになるんだ、といったことをいう人がいます。

私は、そうではなく、利き手は生まれたときにはもう既に決まっている、と考えています。
遺伝が関係している、と。

まあ、遺伝と言いましても、右利きの遺伝子や左利きの遺伝子があるといった単純なものではなく、
引鉄になるものが遺伝するとでも言いましょうか。

右利きになるのは、
右利きそのものを選んだのではなく、右利きにつながる何かを選んだ結果で、
左利きになるのは、
左利きそのものを選んだ結果でも、右利きそのものを選ばなかった結果でもなく、
右利きにつながる何かを選らばないで、他の何かを選んだ結果かもしれません。


その辺の成因については、ともかくとして、
赤ちゃんの利き手です。

赤ちゃんには利き手がないように見えるだけで、実は利き手は決まっている、のです。

それはちょうどこんなものです。

通りすがりにビルの工事現場を見て、どんなビルが建つのか「見える」人はいないでしょう。
でもどんなビルになるのかは、あらかじめ決まっています。
設計図はできているのです。
それに従って建築中なのです。

子供の利き手も同じです。
設計図はできていて、それに従って成長してゆくのです。

それは見えないだけです。


金子みすゞの童謡詩「星とたんぽぽ」にあるように、
「見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。」
―なんですね。

その見えないものを大切にしてほしい、と私も思うのです。

その見えないものが見え始めたときになって、親たちは色々と悩むようです。
その見えなかったものが、どうやら「左利き」だったりすると…。


でも、見えなかったものが見え始める、ということは、
その時、既に工事が本格化している、ということです。

そこで手を加えるということは、本来の設計を勝手に変更することになります。

隣りが15階建てになったから、うちも10階建てを15階建てにしよう、
あるいは20階建てにしよう、とするようなものです。

既に設計図通り基礎工事が済んでいるものに勝手に継ぎ足すのは、危険です。

もちろん安全率を多めに掛けているので問題ない場合もあるでしょう。
しかし、ダメな場合もあるでしょう。

うまくいけばいいのですが、ダメなときはどうするのでしょう?


それと同じことを、左利きの子供についても考えるのです。

アカデミー賞を受賞した映画『英国王のスピーチ』の例もあります。
重度の吃音に悩むジョージ六世は、
幼少時、左利きとⅩ脚を「矯正」させられた苦い体験が一因だった、と言います。


あるがままに子供の姿を受け入れるのが一番だと思うのです。

左利きというのは、身体的な性質です。
背が高いとか低いとか、やせ型とか太り型とか、血液型の違いとかと同じです。

この子背が低そうだからといって、
牛乳を飲ませたら、バレーボールやバスケットボールをでもやらせたら背が高くなる、
というものでもありませんよね。

それはそれとして受け入れるしかないのです。
それを認めることで、長所として活かしてやれば、「輝く」のです。


「矯正」の「矯」という字には、
「ゆがみを正す。ためる。」という意味のほかに、
「うわべをかざる。いつわる。」という意味もあります。

左利きの子に右手を使わせて、「右利きに矯正する」ということは、
右手を使うことを正しい作法とする昔の考えから言えば、「欠点を正す」ことです。
けれど、
左利きの子供から見れば、「うわべをかざって、自分をいつわる」ことでもあるのです。

「角(つの)を矯(た)めて牛を殺す」(小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにする)
ということわざもあります。

たかが利き手です。
右でも左でもいいじゃないですか!

でも、されど利き手です。
右利きの子は右利きとして、左利きの子は左利きとして、
そして、その中間的な子はその中間的な子として、
自分らしく生きる道を進ませてあげたいものです。


★左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii★
第257号(No.257) 2010/4/23「見えぬけれどもあるんだよ」

※【本誌で取り上げた本】
『みすゞさんへの手紙』矢崎節夫/選 JULA出版局 1998.7.24

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「週刊ヒッキイhikkii257 見えぬけれどもあるんだよ」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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左手で(それらしい)字を書く方法(左手書字考)1ペンを持つ手の構え

2011-04-22 | 左利き
【左手書字考】-左手で字を書くために(その3)-

左手で私自身左手で字を書く者として、左手でそれらしい(見栄えの良い)字を書く方法を色々と考えてきました。(※)

ここでそのまとめを画像を入れて紹介します。

以前から「画像を入れて説明して欲しい」というリクエストがありました。
希望に応えたいと思いつつも、なかなか手ごろな、他人様に見せられるような画像を作れず、延び延びになっていました。

できれば、写真よりも図解する方がわかりやすいと思うのですが、まずは手始めとして、この程度の写真で申し訳ないのですが、スタートとします。


従来、左手で字を書く場合の大きなマイナス・ポイントとして言われてきました点は、主に以下の三点ではないかと思います。

(1)現行規範に則った書き方(*1)では、横画が左から右へ「押す」形になり、ペン先が引っ掛かるなど、書きにくい。
   (右手では、スッと「引く」形で書きやすい。)
(2)きれいとされる文字の形(*2)が、右手で書く時の癖を反映したものであるために、左手でまねにくい。
(3)文字は左から書く規則になっている(*3)ので、書いた文字が手で隠れることもあり、全体のバランスが取りにくい。

注(*):
(*1)現行規範に則った書き方
 =書道や学校書写の授業等で示される、運筆の規則や筆順(書き順)等に従った書き方。
(*2)きれいとされる文字の形
 =右上がりの横画や右手書きに合わせた筆順からくる筆勢によるお手本の文字の形など。
(*3)文字は左から書く規則になっている
 =(1)に書いたように、横画は左から右へ引く。
  漢字を書くときは左の偏から右の旁に進む。
  横書きの文章は左から右へ綴る。


これらのポイントを克服することができれば、大きな前進になると考えられます。

そこで、私が長年の左手書字経験(*)から導き出した書き方をこれから紹介してゆきます。
(*:左利き歴50数年、左手書字歴50年超、左利きライフ研究歴20年超。)

 ・・・

まず第一回目は、ペンを持つ時の手の構えについて考えてみます。

1・ペンを持つ手の構え

簡単に説明をしておきます。

(A)リスト・レストを使用する例 
―画像[1]


 ―リスト・レストを使うことで、
  手首から先を自由に動かすことができるようになります。
  画像では、マウスに付属していたものを利用しています。

  これは本来、てのひらを伏せて、その上に手首を乗せて書く
  書道でのやり方を踏まえたものです。

  これでかなり可動範囲が広がると思います。
  ただリスト・レストをその都度移動させなければいけない、
  という欠点があります。

(B)支点は二つ(小指の第一関節先側面とてのひらの角) 
―画像[2]


 ―字を書くとき、てのひらの側面全体をつけている人がいます。
  これは、手の動きが制限されます。
  また、横書きの際、書いた文字の上をこすり、
  手や字が汚れる可能性が高くなります。

  手首の関節を内側にひねり、小指の第一関節の先側面
  てのひらの角の出っ張りの部分で支えるようにします。
  てのひらの側面は浮いています。          
―画像[3]


  こうすることで、手全体の動きが良くなり
  書いた字の上をこする率も減り、手や字の汚れが軽減します。

  最大の長所は、
  正面から見たときのペンの角度が垂直に近くなり
  左から右への動きに対して、
  ペンが紙面に突き刺さるような角度にならないで、
  横に滑らせるような感じになり、書きやすくなります。 
―画像[4]


  てのひら側面をベッタリつけた状態でペンを持ちますと、
  ペンの角度がどうしても左上から右下への角度(\)
  になります。
  これでは、どうしても左から右への横画を書くときに、
  ペン先が引っ掛かりやすくなり、書きにくくなります。 
―画像[5]


※ 参照:
~『左利きを考える レフティやすおの左組通信』~
<私論4> 左手で字を書くために
<私論4> 左手で字を書くために(その2)実技編
『レフティやすおのお茶でっせ』カテゴリ:左手書字
「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii(レフティやすおの左組通信メールマガジン)」
第253号(No.253) 2010/3/5【左手書字考】(2)左手で字を書くこと「左利き/左手書きは字が汚いか?」

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左手で(それらしい)字を書く方法(左手書字考)1ペンを持つ手の構え」を転載したものです。
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メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』再開

2011-04-08 | 左利き
4月2日より、東日本大震災でお休みしていました、
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』を再開しました。

第254号(No.254) 2010/4/2「特別編・左利きの活動はちっちゃいことか?」

今回は特別編として、この大震災のような危急の時期に、
左利きの問題と取り組むことはどうなのか、
という疑問を持ち悩んだ点について、私なりに考えたことを書いています。

3月30日の「ブログ・メルマガ再開のお知らせ」のなかでも書きましたように、
人それぞれ当事者であるところの、自分の思うところのものと取り組んで行くことが、
それぞれの道ではないか、と思います。

被災した人は被災した人なりに、被災しなかった者は被災しなかった者なりに、
自分でこれはと思う道を進んでゆくことが大切ではないか、と思います。
もちろん、手が足りない時、手が届かない時には、お互いに助け合うことは、当然のことですが…。

私はやはり、左利きの問題と今まで通り取り組んで行こうと思います。

プラス何かできることがあれば、このたびの震災についても、微力ながらできる範囲のことをしたいと考えています。

では、これからもよろしく!

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』再開」を転載したものです。
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メルマガ『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』再開

2011-04-07 | 新しい生活のために
3月31日より、東日本大震災でお休みしていました、
古典の名作名著と読書について書いているメルマガ
『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』を再開しました。

2011年3月31日号(No.54)-110331-特別編 宮沢賢治の詩「永訣の朝」

今回は特別編として、大震災でお亡くなりになられた方々を思い、
東北の代表的な詩人・童話作家、宮沢賢治の詩
―最愛の妹を喪った際に綴った「永訣の朝」の一部と、
生き延びた人々、および日本に住む人々へのエールとして、
サミュエル・スマイルズ『自助論』からの言葉を、
この大震災に対する、私なりの気持ちとして紹介しています。

今後は、従来通り月二回の発行を続けます。
よろしく!

※「別冊 編集後記」~『レフティやすおの作文工房』~
3.31 特別編 宮沢賢治の詩「永訣の朝」
―第54号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」


『もう一度読みたい 宮沢賢治』別冊宝島編集部/編 宝島社文庫 2009.4.18
サミュエル・スマイルズ『自助論』竹内均/訳 三笠書房・知的生きかた文庫(2002)

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
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ブログ・メルマガ再開のお知らせ

2011-04-05 | 左利き
以前お知らせしましたように、3月11日の東日本大震災後、しばらく不要不急のブログ更新、メルマガの発行をお休みしていました。
被災地の状況は、依然震度4以上の余震が続き、福島第一原発も改善の見通しが立たない状況です。
復旧も長期戦になりそうです。
しかし、徐々に進みつつあることも事実です。

かかる状況において、日常への復帰は、非常に重要な要素となります。
特に被災しなかった地域こそ、いち早く元気を取り戻し、
復興への確かな足掛かりを作る義務があると思います。

わがホームページやブログの閲覧状況を見ましても、21日以降徐々に回復傾向にあります。
11日を境に半減、日ごろの40-50%程度に落ち込んでいました。
それが、21日以降は、三分の二、60-70%程度に回復しています。

都道府県別が判明する分について見てみますと、
まだまだ東北北関東といった被災地からの閲覧は少なく、せいぜい日に1件あればいい所です。
しかし、皆無ではありません。

よって、少しずつ更新発行を進めていこうと思います。


「左利きの問題と取り組む活動は私のライフワーク」と宣言してきた私です。
ところが、このような非常事態を前にしますと、
「人間としてもっと他にやるべき重要なことがあるのではないか」、
「左利きの問題などは、昔右利きの人に言われたように《右手を使ば済む問題》ではないのか」、
「自分はちっちゃいことにこだわるだけの非常にちっちゃい人間ではないのか」、
と悩み、落ち込んだ時期もありました。

しかし、左利きの問題は、現実に私が取り上げなければ、
多分、他には誰も取り上げない問題であるのかもしれません。

19世紀アメリカの文学者・思想家、H・D・ソローは、
「市民の反抗」(飯田実/訳『市民の反抗 他五篇』岩波文庫 p.22)の中でこう書いています。 
《言うまでもなく、それがいかにけたはずれの不正であろうと、不正の根絶に献身することが人間の義務だというわけではない。ほかにもさまざまなものに関心をいだいて、いっこうにさしつかえないのだ。》
「不正」を「災害」と置き換えてもよいでしょう。
各自自分の考えに基づいて、やらなければと思うことをやればよい、ということです。

ただし、この後に、こういう条件を付けています。 
《しかし、少なくとも不正には関与しないこと、また、今後不正を犯す気がないならば、実際に不正を支持しないようにすることは、明らかに人間の義務である。》
「災害」を発生させたり、拡大・助長したりしないこと、「災害」を見過ごさないこと、
これは人間の義務だ、ということでしょう。
(どっかの週刊誌―"天下の大A新聞"出版のA誌―のように、
売らんかな、とばかりに―としか思えません―
人の恐怖心をもてあそび、
風評被害を与えるようなショッキングな表紙や惹句を付けるバカ者にはなるな! ということです。)

また、こうも書いています。 
《私が他の仕事や思索に専念する場合、私は少なくとも他人に負担をかけていないことを、まず確認しなくてはならない。私はまず他人の負担をとり除いてやり、彼のほうでも思索に専念できるようにしてやらなくてはならない。》
私も、今回の災害に関して、
自分自身が被災地に出かけ、直接援助の手を差し伸べる仕事に関与する立場であれば、
当然それをしなければならないでしょう。
しかし、幸か不幸か、私はその立場になく、
今私に直接できる援助といえば、せいぜい募金ぐらいでしょう。

常日頃から自分のしてきたことを継続することが、
結果的に間接的ではあっても、被災地の方々の支援にもつながるのではないかという気がします。

というわけで、ボチボチですが、日常に復帰し、被災地を日本を後方支援したいと思います。
よろしく!

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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
2011.3.30「ブログ・メルマガ再開のお知らせ」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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