私はフリーター兼自営業者ながら、密かにユダヤ人研究家と自称する位に、彼らに不思議な親和性と興味を感じています。
特に私が敬愛するユダヤ教徒になった、弁護士の石角完爾さんの本をたくさん読んでいます。
この[ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集]を読むと、ユダヤ人は強欲や拝金主義的なあり方は厳しく退け、実際はお金持ちばかりではなく貧しい人達もかなりいて、またそういう彼らがいかに「自然にお金を引き寄せる」様になるかというあり方はこうです。
それは、意外にも真っ当な勤勉、勤労、節約を重んじて、正直さ、自身でリスクを取らない株式投資は控えて、また弱者への寄付も大切にする、歴史的な信念やモットーがあることを学びました。
ただユダヤ人は日本人の様に、常識とされる知識や集団の空気を鵜呑みにする民族ではないです。
彼らは社会通念や常識や権威を疑いシニカルに考えて、「なぜそうなのか?」「もっと他の考え方もあるのではないか?」「ひいてはこの事象の本質とは何か?」を自ら深く考えて集団の空気を破ってでも、他者とその事の真理について積極的に議論する民族です。
そういう彼らがこういう言わば正統派的なあり方を、金言として歴史的に重んじているとは、ある意味で意外でした。
しかしシンプルなあり方でも、様々な理不尽な逆境や差別から、しぶとく生き延びてきた彼らの歴史の経験に裏打ちされた、本質的な重いメッセージでずしりと響きます。
なんとなく私は歴史的なユダヤ人と言うと、言われないキリスト殺しの汚名を着せられて、流浪の民や隔離されたゲットーで高利貸しに勤しむ様な、シェークスピアの作品に書かれたシャーロックの様な欲深い金貸しのイメージがありました。
しかし彼らの金融の基本は、借り主の尊厳を傷つけない様に、借り手の立場にも立った融資を行う様です。
またこの本の著者は、ユダヤ人は自分でリスクを取れば必ずしも担保がなくても新しいイノベーションにもかなり投資するが、日本の金融機関は大企業や富裕層には貸しても、イノベーションを果たしたい貧しい個人には滅多に融資をしないシステムが、今の日本の社会の可能性や若者の夢を奪っていると書いていて、まるで今の私の憤りを代弁してくれている様でした。
またユダヤ人は日本にどこかある「お金は汚い。」みたいな価値観ではなく、お金至上主義ではないものの、逆境からサバイバルしてきた経験からかお金の大切さを重視します。
また知恵の重要さをすごく大切にしていて、「懸命で賢明な生き方」という言葉が響きました。
今勉強や登録制アルバイトでも仕事に精を出して、なるべく節約して生きる知恵を学んでいる自分はいい意味で「ユダヤ人に近いかな?」と、なにか意外な正統派なあり方を勇気づけてくれる本でした。