私は今日強く思いました。
一灯照隅という精神(世間の暗闇を嘆くより、身近からでも明かりを灯そう。)
という精神自体は素晴らしいし、共鳴します。
しかし、この言葉を強く唱えていた安岡正篤は主に政治界や経済界のリーダーに指導していました。
これは逆のことを言えば、一般庶民には本当に純粋にこの精神を生きることは、けして容易ではなく、ひょっとしたら人格破綻者の様な茨の道になりうると思いました。
こういう言葉があります。
「もっとも賢い処世術は、社会的な因習を軽蔑しながら、しかも社会的因習と矛盾せず生活をすることである。」芥川龍之介
私はあえて言います。
この言葉には一理ある。
私の言葉で言えば
「資本主義の矛盾を感じながら、ある部分では資本主義の中の混濁でも、生活費用を稼ぐ。」
私はダウンシフターの生き方、働き方に本当に強い魅力を感じますが、私はそこでだけで食べられる程、優れた人間ではありません。
ある意味では普通以上に弱者を食い物にしているかもしれませんし、自己欺瞞かもしれません。
しかし、私は今日思ったことがあります。
「我思うゆえに我あり。」(日本社会では異端者になり、生きづらくてもこれは貫きたいです。)デカルト
「素直な心」(意味はあるがままに実相を把握すれば、おのずと何をなすべきか見えてくる。)松下幸之助
「道徳とエゴのバランスとる自我(理性)を鍛えなさい。」
(エゴイズムを根底欲求にする生き物の本能と、非常に相性がいい資本主義によって、滅ぶかもしれない現代社会の流れに逆流しながら、無我では今の時代は生きられません。)フロイト
半アルバイト、半自営(ダウンシフター)、そしてサポートでやっていきたいと、すごく逡巡して思いました。