「生きることがどんなに苦しくても、生きる意味がわかる者は、どんな苦労にも耐えうる。」
「夜と霧」という本を書いた、ユダヤ人でアウシュビッツに収容された精神科医のビクター フランクルの言葉です。
私は明日まで横浜の実家に滞在していて、私はビッグサイトでのイベントの出店で疲れ果てて、風邪引いて一日寝込んでいて、ノートに自分の苦しい感情や怒りなどを書いて、感謝すべきことや解決策を書いて考えて、今後のあり方も考えてノートに書いたら、すごく気持ちが楽になりました。セルフ コーチングかもしれません。そこでガクトの様に気晴らしに深夜徘徊?に行きました。
昔28歳くらいの時に私が通っていた、メンタルの人達の働き場や居場所などの作業所に深夜に散歩して行ったりして、
「他人ではなく、過去の自分と比べる。」
と何か自分の足取りへの達成感を、ある程度感じられた気がしました。
そこで、18歳位の苦しい中で冒頭の言葉を噛みしめた、自分のエコや格差是正の活動を始めた、公園の側のおぜを見ました。
当時の私は高校で人間関係がうまくいかず、孤立して、メンタルを患い、病院に通い、なんとか高校には通っていましたが、深刻に自殺を考えた時もあり、そんな中で上記の本の「夜と霧」を読み、生活などの苦しみに耐えるために、生きる意味を真剣に考えました。
そこで当時の私はかなり人間嫌いだったので、人へより社会への貢献を生きる意味にしようと思い、貢献度が高いと思った環境問題の分野にしました。
そこで高校に帰り道で、いわゆる「ぼち公」のぼろぼろの自分を肯定する為にも、街の片隅で空き缶拾いや、今日寄った公園の隅の枯れかけた花達に水をやっていました。
すると何か自分が救われた様な、楽な気分になったことを覚えています。
もちろん貢献だけでなく松下幸之助のいう素直な心の大切さを学び、実相の人生の中からあるべき振る舞いや行動を考える大切さにも、30歳くらいから気が付きました。
しかし自分のある意味の志の原点を感じられて、世間的に見れば貧乏人の独身の30男かもしれませんが、自分なりの目標や尺度や生きがいを再確認できて、深夜徘徊もすごくリフレッシュになりました。(周りから不審者の様に見られるかもしれませんが。)
そんな中で最近私がよく聴いているバンプ オブ チキンの「ロストマン」という曲の歌詞にかなり似た気持ちを感じ、もし皆様に少しでも何か役に立ったら嬉しいのでシェアさせてもらいます。
Bump of chikin
Lost man