ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
指揮:フェレンツ・フリッチャイ
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
LP:ポリドール MH5009(SE 7211)
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」ほど録音の数が多い交響曲も滅多にあるまい。それだけ多くのリスナーに愛されている曲であることの証明にもなろう。ドヴォルザークはニューヨークの国民音楽院の院長の就任のため招かれ、アメリカに滞在している時に聴いたアメリカン・インディアンなどの民謡が、この交響曲作曲の切っ掛けであるという。ドヴォルザークの生まれ故郷のハンガリーやボヘミアは、優れた音楽土壌に恵まれた土地柄であり、その土壌をベースとして、当時「新世界」と言われていたアメリカの民謡とが、巧みなオーケストレーションによって、新しい交響曲として誕生したのである。このため、多くのリスナーにとって分りやすい曲想であることが人気の源となっているようだ。このようにドヴォルザークは、常に民謡など国民音楽を重視する姿勢に貫かれているが、ただ単に民謡を真似て作曲するのではなく、「一旦それを昇華させ、作曲家の独自のものとして新たな構想の下に作曲されるべきだ」という持論を持ち、自ら実践した人であり、そしてその最も成功した曲の一つが「新世界交響曲」なのである。このLPレコードでベルリン・フィルを指揮しているのが、49歳の若さで世を去ったハンガリー出身の名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)である。ハンガリー国立交響楽団音楽監督、ヒューストン交響楽団音楽監督、ベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者 、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督、バイエルン国立歌劇場音楽総監督などを歴任。フリッチャイは、フルトヴェングラー亡き後のドイツ指揮界をカラヤンと二人で支えた実力者であり、当時の聴衆もフリッチャイの将来に大きな希望を抱いていた。その指揮ぶりは、常に躍動的であり、ダイナミックな表現力に優れ、聴く者に圧倒的なインパクトを与えずには置かないものがあった。晩年になり、その傾向はますます深まり、そのスケールの大きな指揮ぶりは、巨匠と呼ばれるに相応しいところに到達した、と皆が感じた正にその時に、白血病のため多くの人々に惜しまれつつこの世を去ってしまったのだ。このLPレコードには、晩年のフリッチャイの特徴である、スケールが大きく、陰影が濃く、そして深い精神性に支えられた、類稀なる演奏内容が収録されている。「新世界交響曲」の代表的録音として永遠の生命力を有している、と言っても過言でない。録音状態も良い。(LPC)
ブルックナー:交響曲第9番(原典版)
指揮:ヨゼフ・カイルベルト
管弦楽:ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
発売:1978年
LP:キングレコード GT 9180
このLPレコードは、ドイツの名指揮者であったヨゼフ・カイルベルト(1908年―1968年)を偲ぶ1枚である。カイルベルトは、ドイツ人として生まれ、ウィーン近郊の地バーデンで活躍し、そしてプラハでチェコ音楽を学んだ。第二次世界大戦後のドレスデンまたベルリンにおいて、主にオペラ指揮者としてその才能を開花させ、バイロイト祝祭劇場において名声を確固なものとした。そして終焉の地は、ミュンヘンのバイエルンのオペラ劇場であった。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を振りながら、崩れるように倒れ、間もなく息を引き取ったという。カイルベルトの指揮ぶりは、派手な所がないというよりは、地味な指揮そのものである。音楽自体もごく自然に鳴り響き、奇を衒ったところは微塵も感じられない。凡庸な指揮者なら、ただそれだけで終わるのであるが、カイルベルトのつくり出す音楽は、ただ、それだけで聴くものに強烈な印象を与えるところが凄いのである。これはカイルベルトが、その曲の真髄を誰よりも深く理解していることに他ならない。つまり、ただ表面的な激情を小手先だけでつくり出すような指揮者とは最も遠い存在だったのである。心の奥底からその曲に共感し、そして、脚色することなしに自然な形でリスナーに語りかけてくる。このLPレコードのブルックナー:交響曲第9番の指揮は、このカイルベルトの特徴がよく発揮されており、聴き終わったときのリスナーの感動は、他のどの指揮者にも増して大きなものに感じるのである。これは多分、カイルベルトが、古き良き時代を生きた指揮者だったからなのではなかろうか。ブルックナーは、交響曲第9番を1889年に着手し、第1楽章を書き上げるのに3年の年月を要した。第3楽章は1894年11月に完成したが、終楽章を完成させることなく、この世を去ってしまう。ブルックナーが最後にたどり着いたのが第9交響曲であったが、ベートーヴェンの第九と同じくニ短調で書かれていた。初演は、何と死後6年後の1903年にウィーンで行われたという。ブルックナーが生きていた時代は、ブルックナーの交響曲はなかなか理解されず、演奏不能といった理由で演奏を拒否されることもあったという。ブルックナーの交響曲の真価は20世紀に入ってから次第に認識され始め、1930年以降広く演奏されるようになり、現在では、マーラーのそれと並び、ブルックナーの交響曲は、演奏会にはなくてはならない作品となっている。(LPC)
ブルックナー:交響曲第8番(ハース版)
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1949年3月15日、ベルリン、ティタニア・バラスト(ライヴ録音)
発売:1977年
LP:日本コロムビア OC‐7139~40‐RC
ブルックナーは、生涯9つの交響曲を作曲したが、この第8番は、ブルックナー自ら「最も美しい作品」と自負していたように、聴きこ込めば聴き込むほど、内容が充実した傑作交響曲であることが聴き取れる。そして、管弦楽の編成の規模が大きいことでも特筆できる作品だ。すなわち、4本のワーグナー・テューバやブルックナーとしては初めて用いた3台のハープ、トライアングルや6個のティンパニー、それに3管編成という、限りなく大きな編成で演奏されるのであるから、聴いていてその壮大なスケールに酔いしれるのである。ブルックナーの交響曲第8番は、ブルックナー60歳の誕生日の1884年9月4日、フェクラブルックの町の妹のロザリエの嫁家で着手され、第1楽章のスケッチがその年の10月1日にでき、1885年8月に全曲のスケッチが完成。そしてオーケストラ用スコアが1887年9月4日に完成した。ブルックナーは、交響曲第7番を見事に指揮してくれたドイツの指揮者ヘルマン・レヴィ(1839年―1900年)に第8番の写しを送り、初演をを期待したが、結果は演奏を拒否されてしまった。つまり、ヘルマン・レヴィは、あまりにも巨大な第8番に恐れをなして指揮を辞退してしまったのだった。すっかり彼を信じ切っていただけにひどく落胆したブルックナーは、一時は自信を全く失い、自殺を考えたほどだったという。しかしその後、周囲の意見をを取り入れるなどして、ブルックナーは第8番の全面的な書き換えを行い、1年をかけて1890年3月10日に完成。初演は1892年12月18日、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって行われた。このLPレコードの録音は、フルトヴェングラー(1886年―1954年)とベルリン・フィルのライヴ録音盤という願ってもないものだ。しかし、音質は残念ながら1949年という年代を考慮しなければないもので、現在のレベルからするとおよそ良好とは言えず、何とか鑑賞に耐えられるといったところだ。後年、このライブ録音盤がCD化されたが、音質はLPレコードの方が数段良かったと報告されている通り、このLPレコードの存在価値は高い。演奏内容は、フルトヴェングラー独特の深い洞察力と地の底から湧きあがってくるような迫力に、ただただ圧倒される思いがする。ライヴ録音ならではの1回の演奏に全神経を集中させる緊迫感、テンポを自在に変化させ、音楽自体のスケールを限りなく大きく持っていくところなどは、“神様”フルトヴェングラー以外には到底真似できない、正に神業といっても過言でない。宇野功芳氏も著書で「1日前の放送用ライヴ録音よりもさらに壮絶な表現で、正に“ディオニソス的なブルックナー”である」(「フルトヴェングラーの全名演名盤」講談社+α文庫)と、この録音のことを取り上げ、この録音を高く評価しているのである。(LPC)
ブルックナー:交響曲第5番(原典版)
シューベルト:交響曲第6番
指揮:エドゥアルト・ファン・ベイヌム
管弦楽:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1959年3月12日(ブルックナー)/1957年5月22日、25日(シューベルト)
LP:日本フォノグラフ(フィリップスレコード) 13PC-176~77(M) (6542 126/127)
このLPレコードは、オランダの名指揮者エドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901年―1959年)が指揮したブルックナー:交響曲第5番のライヴ演奏に、スタジオ録音のシューベルト:交響曲第6番をカップリングしたものである。ライヴ録音の方は、1959年と今から50年ほど前のものであり、当時はまだライヴ録音は珍しく、音質も良くないのが普通であったが、このLPレコードは、少々我慢して聴けば、鑑賞には差し障りない程度の仕上がりとなっているのが嬉しい。ベイヌムの歯切れ良く、しかも奥深い表現力を持った指揮ぶりに、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団がピタリと寄り添い、一体化した類稀な名演を聴くことができる。ブルックナーの交響曲第5番について、このLPレコードのライナーノートで宇野功芳氏は「作曲者自身、この交響曲を“対位法的”と名づけたが、他にも“カトリック的”“中世風”“コラール風”“信仰告白”などの呼び名がある。敬虔で厳格な多声様式がカトリックの雰囲気を伝えるからであろうし、事実フィナーレには壮麗なコラールが対位法と密接に絡み合ってゆく」と紹介している。このLPレコードは、そんな中期を飾る大傑作であるブルックナーの交響曲第5番を、ベイヌム指揮コンセルトヘボウという歴史的名コンビのライヴ録音で聴くことがでける、またとない機会を我々リスナーに与えてくれる貴重な録音だ。一方、シューベルト:交響曲第6番は、1871年10月に書き始められ、翌年の1872年12月に完成したが、シューベルトが生きているときには演奏されることはなかったようだ。初演はシューベルトの死後1か月後の1828年12月に、ウィーン楽友協会主催の音楽会で行われた。シューベルトの初期の交響曲はというと、16歳から21歳にかけての作品に当たるが、これらの中では、第5番が飛び抜けてポピュラーであり、続いて第2番、第3番、第4番が、ときたま取り上げられ、第1番と第6番は、あまり演奏される機会はないといっていいだろう。このLPレコードでのベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏は、適度な緊張感を保ち、きびきびとした演奏内容が特に印象に残る。エドゥアルト・ファン・ベイヌムは、オランダ出身の名指揮者。第二次世界大戦後の1945年、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した。このほかロンドン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者、ロサンジェルス・フィルハーモニック音楽監督を歴任している。(LPC)
ベルリオーズ:幻想交響曲
指揮:シャルル・ミュンシュ
管弦楽:ボストン交響楽団
録音:1955年
発売:1980年
LP:RVC(RCA) RCL‐1022
名指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891年―1968年)が遺したベルリオーズ:幻想交響曲の録音は、全部で6つある。古い順から挙げると、①1940年代:フランス国立放送管弦楽団(SPレコード)②1955年:ボストン交響楽団③1962年:ボストン交響楽団④1966年:ブタペスト交響楽団⑤1967年10月:パリ管弦楽団⑥1967年11月:パリ管弦楽団。このうち、普段聴くのは、多分⑤か⑥の録音であろう。⑤はセッション録音で、その1か月後のライヴ録音が⑥であり、今日この2つの録音がミュンシュの「幻想」の名盤として高い評価を得ている。今回のLPレコードは、我々が滅多に耳にしない②の録音なのである。つまり、1955年頃、ボストン交響楽団と録音した盤である。この時、シャルル・ミュンシュは、ボストン交響楽団の常任指揮者に就任して6年目であり、コンビとして最も充実した演奏を聴かせ、その名声は世界中に広がり始めた頃に録音されただけに、演奏内容は、極めて充実していることがこのLPレコードから聴き取れる。既にミュンシュは、1952年にボストン交響楽団を率いて最初のヨーロッパ演奏旅行を成功させていた。この録音の翌年、1956年には、アメリカのオーケストラとして最初のソ連訪問を含む第2回目のヨーロッパ旅行を行うなど、その名声を高めた。ベルリオーズ:幻想交響曲(第1楽章「夢、情熱」、第2楽章「舞踏会」、第3楽章「野の風景」、第4楽章「断頭台への行進」、第5楽章「魔女の饗宴の夜の夢」)のLPレコードには、ピエール・モントゥー指揮の名盤があり、このブログでも紹介している。ピエール・モントゥーの指揮は、文字通り幻想的で詩的な演奏で頭抜けていたが、これに対し、シャルル・ミュンシュ指揮のこのLPレコードは、一本芯張り棒が垂直に引かれ、適度にメリハリが利いていて、しかも非常にバランスが良い演奏に終始しており、これはこれとして名演を聴かせてくれている。ボストン交響楽団は最高に緻密な演奏を聴かせ、輝かしい力を存分に発揮していることが聴き取れる。当時のミュンシュのボストン交響楽団とベルリオーズの「幻想」へ対する共感と情熱がストレートに伝わってくるところに、この録音の不滅の価値があると言えるだろう。この幻とも言える幻想交響曲の録音は、これまでのあらゆる「幻想」の録音の中でも、今でも上位に入り得る優れた演奏内容だ。音質もステレオ初期の録音の割には鮮明に捉えられており、充分に鑑賞に耐えられるレベルに達している。(LPC)