★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇黄金コンビ ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のシベリウス:交響曲第1番/交響詩「トゥオネラの白鳥」

2022-08-04 09:40:53 | 交響曲

シベリウス:交響曲第1番
      交響詩「トゥオネラの白鳥」

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

イングリッシュホルン(ソロ):ルイス・ローゼンブラット

LP:CBS/SONY SOCT 16

 シベリウスは、生涯に7つの交響曲を書いた。このほかにクレルボ交響曲と名付けられた曲がある。ドイツ・オーストリア系を除き、ベートーヴェン以来これほど体系立って交響曲を書いた作曲者はいなかった。それだけにシベリウスは、作曲家として歴史に残る偉大な仕事を成したと高く賞賛されている。7つの交響曲の中では、第2番が最もポピュラーで聴く機会も多い。このLPレコードに収められた交響曲第1番は、第2番に次いで聴きやすい内容となっている。そのためリスナーの中でクラシック音楽を聴き始めて間もないジュニアクラスでも充分楽しめるし、同時にビギナーやシニアクラスのリスナーでも楽しめるような幅広い内容の交響曲となっている。このLPレコードは、ハンガリー出身の名指揮者ユージン・オーマンディ(1899年―1985年)が手兵のフィラデルフィア管弦楽団を指揮した録音であり、一般に“フィラデルフィア・サウンド”と呼ばれているフィラデルフィア管特有の明快で輝かしい音色が誠にもって耳に心地良く響く。特に、LPレコードで聴くと、この“フィラデルフィア・サウンド”の真価がより一層鮮明となる。ユージン・オーマンディは、ハンガリー出身のアメリカ人指揮者。ブダペスト王立音楽院で学び、同音楽院卒業後、ヴァイオリニストとして演奏活動を開始。その後、アメリカに渡り、1924年以降は指揮者に転向。1927年にはアメリカ国籍を取得。1936年、レオポルド・ストコフスキーと共にフィラデルフィア管弦楽団の共同指揮者となる。1938年、ストコフスキーの辞任により後任としてフィラデルフィア管弦楽団音楽監督に就任。以後、1980年に勇退するまで42年の長期にわたって同管弦楽団の音楽監督を務めた。4回ほど来日している。このシベリウスの第1番の交響曲は、ロシア音楽的な色彩が濃い曲と言われることがあるが、実際に聴いてみると後期ロマン派的な雰囲気も漂い、伝統的な交響曲の良さが滲み出ている。オーマンディ指揮フィラデルフィア管のコンビによるこのLPレコードでは、明快極まりない聴きやすい演奏となっており、起伏のある盛り上げ方は他の追随を許さない圧倒的名演を聴かせてくれる。一方、交響詩「トゥオネラの白鳥」は、レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)の中の1曲で、イングリッシュ・ホルン、オーボエ、バス・クラリネットの演奏を中心に、フィンランドの幻想的な美しさを、音そのものによって醸し出しおり、その魅力的な演奏に深く心を揺さぶらされる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のビゼー:交響曲ハ長調/プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」

2022-07-07 09:41:47 | 交響曲


ビゼー:交響曲ハ長調
プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」

指揮:ネヴィル・マリナー

管弦楽:アカデミー室内管弦楽団

オーボエ:ニール・ブラック

発売:1981年

LP:キングレコード K18C‐9203

 このLPレコードには、ビゼーとプロコフィエフのともに第1番の交響曲が収録されている。これはなかなか良いカップリングだと思う。ビゼーは歌劇「カルメン」や劇音楽「アルルの女」など、不朽の名作の作曲者として知られているが、交響曲も3曲書いたと言われている。しかし、現在残っているのは通常第1番と呼ばれている、この曲だけだ。17歳の時に作曲した草稿がたまたまパリ音楽院において発見され、日の目を見ることになった。聴いてみると若々しさに溢れた内容となっており、実に聴きやすいし、何といっても聴いていると自然に心が浮き浮きとしてくるのがいい。これはビゼーの若さの勝利であると同時に、ビゼーの天分が何の衒いもなく、自然に沸きあがってくる様が聴いて取れる。そんな交響曲をマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団は、明快に弾むように演奏している。ビゼー:交響曲ハ長調はこういう風に演奏しなくてはならない、とでもいうような演奏内容だ。一方、プロコフィエフは、生涯で7曲の交響曲を作曲したが、このLPレコードでは第1番の「古典交響曲」が聴ける。丁度、ソヴィエト革命が起こった最中に作曲されたのがこの「古典交響曲」であり、ハイドンの交響曲を現代に再現しようとして書き上げた作品だという。内容は実に堂々とした“古典的交響曲”に仕上がっており、将来のプロコフィエフの活躍を予告するかのような秀作である。マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団は、「古典交響曲」の持つ、奥行きの深さをたっぷりと表現しており、満足いく出来栄えとなっている。これら2曲ともにマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の特質にぴったりと合った選曲だ。ネヴィル・マリナー (1924年―2016年)は、イギリス・イングランド出身の指揮者・ヴァイオリニスト。王立音楽大学に学んだ後、パリ音楽院に留学。フィルハーモニア管弦楽団やロンドン交響楽団においてヴァイオリニストを務める。その後、米国メイン州ハンコックのピエール・モントゥーの音楽学校で指揮法を学ぶ。1959年にアカデミー室内管弦楽団 (Academy of St. Martin-in-the-Fields) を結成し、以後長年わたりその指揮者を務めた。そのほかロサンジェルス室内管弦楽団、ミネソタ管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、カダケス管弦楽団などの指揮者も務めた。1985年にはナイト号を授与されている。1972年にはアカデミー室内管弦楽団と初来日を果たし、以後しばしば日本を訪れている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ペーター・マーク指揮ロンドン交響楽団のメンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」/交響曲第3番「スコットランド」

2022-06-16 09:39:18 | 交響曲


メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
         交響曲第3番「スコットランド」
           
指揮:ペーター・マーク

管弦楽:ロンドン交響楽団

発売:1980年

LP:キングレコード K15C‐8056

 1829年4月、メンデルスゾーンは、ロンドン・フィルハーモニック協会から招待を受け、ロンドンでの演奏旅行の後、スコットランドの旅を楽しんだが、このときの印象を基に作曲したのが、序曲「フィンガルの洞窟」と交響曲第3番「スコットランド」なのである。ロンドンに招かれたときにメンデルスゾーンは20歳であり、その才能は若いときから人々を魅了していたことがこのことからも分る。イギリス旅行から帰った4年後に「フィンガルの洞窟」、8年後に交響曲第3番「スコットランド」が作曲されている。2曲とも大自然が巧みなオーケストレーションによって描き込まれた作品であり、ワーグナーが「メンデルスゾーンこそは無類の音楽による風景画家」と絶賛したほどだ。しかし、2曲とも単純な表面的風景描写で終わっておらず、一旦メンデルスゾーンの心のフィルターを通して、爽やかな音楽へと昇華されているところが、現在でも人気がある最大の理由であろう。このLPレコードで指揮しているのはスイス出身の指揮者のペーター・マーク(1919年―2001年)である。当時、ペーター・マークは“モーツァルトとメンデルスゾーンのスペシャリスト”として名高かった指揮者である。そんなペーター・マークがロンドン交響楽団を指揮し、十八番のメンデルスゾーンを録音したのがこのLPレコード。2曲とも何のけれんみもなく、清々しく演奏している。あたかも真っ直ぐに伸び切った美しい花のように光り輝く指揮ぶりだ。これによってペーター・マークは、メンデルスゾーンの曲の特徴を、くっきりと浮かび上がらせることに成功している。現在、指揮者はどんな曲でも一通り指揮できなければまっとうに評価されないが、ペーター・マークが“モーツァルトとメンデルスゾーンのスペシャリスト”として評価されていたのは、その時代が古き良き時代であったからかもしれない。ペーター・マークは、スイス東北部のザンクトガレンの出身。バーゼル大学とチューリッヒ大学で哲学と神学を修め、ピアノをアルフレッド・コルトーに、また指揮をエルネスト・アンセルメとウィルヘルム・フルトヴェングラーに師事。1945年からチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団やスイス・ロマンド管弦楽団などを指揮して活躍。1947年スイス・ビールゾロトゥルン歌劇場音楽監督、1952年デュッセルドルフ市立歌劇場第1指揮者、1955年ボン市音楽監督、1964年ウィーン・フォルクスオーパー音楽監督、1984年ベルン交響楽団専任指揮者などを務めた。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団のショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2022-06-09 09:47:57 | 交響曲


ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

指揮:キリル・コンドラシン

管弦楽:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1964年、ソヴィエト連邦、モスクワ、コンセルヴァトワール大ホール

LP:ビクター音楽産業 VIC‐5168

 旧ソ連の大作曲家ショスタコーヴィチ(1906年―1975年)は、生涯で15曲の交響曲を作曲した。この第5番は「革命」の名で親しまれており、現在でもコンサートにおける人気作品の一つに挙げられる。ショスタコーヴィチは幼少から才能を開花させた人だったらしく、恩師のグラズーノフから「我らがモーツァルト」という名称を付けられていたことからも分かる通り、若い頃からその才気を存分に発揮させていたことを窺わせる。そのまま有り余る才能を、何の抵抗もなしに発揮し続けていれば、現在の我々は、今あるショスタコーヴィチの作品群とは大分異なる別の作品群を聴いていたことであろう。つまり、ショスタコーヴィチは、ことあるごとに、時の共産党政権から「作品内容が社会主義リアリズム路線に沿っていない」と批判を浴び続けていたのだ。その批判に応えて作曲したのがこの「革命」交響曲だ。もっとも「革命」という副題は、日本で付けられたものであり、ショスタコーヴィチが付けたものではない。このため現在では「革命」という副題は使われないケースが多い。全4楽章を通して、“人生の苦悩を克服して歓喜を得る”といった曲想が、ベートーヴェンの「運命」交響曲にも似て、分りやすく表現されており、聴くものを感動させずにおかない。ただ、この交響曲の最後でショスタコーヴィチは、時の旧ソ連政府へ対するある隠された抵抗精神をさりげなく挿入していると指摘する向きもある。このLPレコードでは旧ソ連の名指揮者であったキリル・コンドラシン(1914年―1981年)が指揮している。キリル・コンドラシンは、モスクワで生まれる。1943年ボリショイ劇場常任指揮者、1960年モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督に就任。1967年にはモスクワ・フィルとともに初来日し、マーラーの交響曲第9番を日本初演している。モスクワ・フィル在任中には、ショスタコーヴィチの交響曲第4番、交響曲第13番を初演している。また、モスクワ・フィルを指揮して、世界で初めてショスタコーヴィチの交響曲全集を録音を完成させた。1978年、オランダへ渡り、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団常任客演指揮者に就任。このLPレコードにおいてキリル・コンドラシンの指揮は、いたずらに感情的に走らず、曲の持つスケールの大きな音楽空間を巧みに描き切っており、心底からこの曲の真髄に触れることができる名指揮ぶりを聴かせてくれている。第4楽章の最後のティンパニーの深みのある響きなどは、LPレコード以外では絶対聴くことはできない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇イーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団のチャイコフスキー:交響曲「マンフレッド」

2022-04-04 09:50:26 | 交響曲


チャイコフスキー:交響曲「マンフレッド」

指揮:イーゴリ・マルケヴィチ

管弦楽:ロンドン交響楽団

録音:1963年11月、ロンドン

発売:1980年

LP:日本フォノグラフ(フィリップスレコード) 13PC‐235(835 250LY)

 このLPレコードで指揮をしているイーゴリ・マルケヴィチ(1912年―1983年)は、帝政ロシア(現ウクライナ)生まれの名指揮者。育ちはスイスであるが、後にフランスに渡りナディア・ブーランジェのもとで作曲およびピアノを学び、まず作曲家としてスタートを切った。18歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、指揮者としてのデビューも果たした。チャイコフスキーやムソルグスキーなどロシアものの作品の指揮を得意としていた。1960年には初来日し、ストラヴィンスキーの春の祭典などの指揮では、当時の日本の楽壇に大きな影響を与えた。以降度々来日し、日本での人気も高かった指揮者の一人であった。メリハリの効いた颯爽とした指揮ぶりは、当時の日本の多くのファンを魅了したものである。このLPレコードでのマルケヴィチの指揮ぶりは、正に自身の特徴を最大限発揮しており、鮮やかな色彩感を伴った演奏スタイルは、今日に至るまでチャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」の代表的録音であると言って過言でないほど。ところで交響曲「マンフレッド」は、交響曲と名付けられていても第1番~第6番には数えられずに、チャイコフスキーが1885年5月から9月にかけて書き上げた管弦楽曲(交響詩風交響曲)で、バイロンの劇詩「マンフレッド」に基づく標題交響曲という位置づけになっている。交響曲第4番と第5番の間に作曲されたが、番号が付けられていないのである。この曲の正式な曲名は、バイロンの劇的詩による4つの音画の交響曲「マンフレッド」ロ短調作品58。バラキレフに献呈され、1886年3月にモスクワで初演された。作曲者によって4手ピアノ版も作成されている。もともとバラキレフ自身が作曲を思いついたが、何故か自身では作曲せず、チャイコフスキーに作曲を勧め完成したもの。バイロン卿(1788年―1824年)が書いた「マンフレッド」は、自我の苦悩を描いた3幕10場、約3000行からなる長編詩劇。「奇怪な罪を犯し、悶々として世界を放浪する孤独厭世のマンフレッド伯が、アルプスの山中に精霊・魔女を呼んで、忘却を求めるが、与えられず、自殺も許されず、遂に予言の時が来て、悪魔の手に連れ去られる」というのが筋。シューマンも音楽劇「マンフレッド」を作曲しており、その中の「序曲」は演奏会でしばしば演奏される。チャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」の評価は、人により異なるようだ。昔はよく演奏された曲のように思うが、どうも最近あまり聴かれないのは少々寂しい気もする。(LPC)

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