ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
チェロ:エマヌエル・フォイアマン
指揮:ミハエル・タウベ
管弦楽:ベルリン国立歌劇場管弦楽団
録音:1927年、ベルリン
LP:キャニオン・レコード(ARTICO RECORDS) YD‐3010
その全盛時代には、カザルスおも凌駕するとまで言われたエマヌエル・フォイアマン(1902年―1942年)は、ロシア出身のオーストリアおよびアメリカで活躍した名チェリスト。フォイアマンが5歳の時の1907年に一家でウィーンへと移り住み、1914年11歳の時にフェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルと共演しデビューを飾る。1917年、フォイアマンはライプツィヒの高等音楽院で学び、その後、ギュルツェニヒ管弦楽団首席チェリストに就任。1920年にベルリンにおいてフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルとドヴォルザークのチェロ協奏曲を共演したが、これによって名声を確立させたという。現在、サイトウ・キネン・オーケストラにその名を残す齋藤秀雄(1902年―1974年)は、この時フォイアマンに師事している。フォイアマンはユダヤ系であったため、ナチスが台頭した1933年にロンドンに移住し、さらに米国へとその活動拠点を移すこととなる。この間、来日も果たしている。米国での活動が本格化する中、ハイフェッツ、ルービンシュタインと有名な“100万ドル・トリオ”を結成。しかし、1942年に米国籍を取得した直後、腹膜炎でこの世を去った。この時まだ38歳という若さであった。当時のチェリストとしてまず名前が挙がるのがカザルスであるが、フォイアマンはカザルスに匹敵する、人によってはそれを凌駕するチェリストとして、高い評価を受けていた。チェリストのダニイル・シャフランなどは「カザルスは神様だが、フォイアマンはそれ以上だ」と賞賛したという。しかし現在、カザルスは”チェロの神様”として名を残すが、現在、フォイアマンの名は忘れ去られつつある。これは、38年という短い生涯からきていることは疑いがない。フォイアマンがあと20年~30年生きていたとしたら、多くの録音を行い、現在でも多くの人々がその名を忘れなかったろう。このLPレコードの録音は、1927年、ベルリンで行われた。今から80年以上前の録音であるので、歴史的名盤の範疇に入る。オーケストラの音は今の録音からすると、貧弱な音で鑑賞には不向きだが、幸いにもフォイアマンのチェロの音は、鮮明とは言えないまでも、鑑賞に充分に耐えられる程度に収録されている。ここでのフォイアマンは、実に格調高く、正統的で力強いチェロの演奏を聴かす。演奏技術の高さは圧倒的で、あたかもヴァイオリンの演奏の如く軽々とチェロを弾くのには驚かされる。もし、録音の質がもうちょっと良かったなら、現在でもドヴォルザーク:チェロ協奏曲の名録音の1枚に数えられていただろう。(LPC)