ベートーヴェン:アデライーデ/あきらめ/こまやかな愛(君を愛す)/キス
シューベルト:夕映えの中で/リュートに寄せて/ます/
双子座の星に寄せる舟人の歌/ミューズの子
シューマン:歌曲集「詩人の恋」
テノール:フリッツ・ヴンダーリッヒ
ピアノ:フーベルト・ギーゼン
LP:ポリドール(グラモフォンレコード) MGW 5186
録音:1965年10月31日~11月3日、ミュンヘン高等音楽院
このLPレコードは、不世出の名テナーのフリッツ・ヴンダーリッヒ(1930年―1966年)が、1965年にウィーンとザルツブルク音楽祭で行ったリサイタルと全く同じ曲目と伴奏者で録音した、最期のLPレコード。ヴンダーリッヒは、不慮の事故死を遂げてしまうのだが、当時、戦後ドイツが生んだ最高のリリック・テノールと評され、将来が嘱望されていただけに、その突然の死は多くの人に驚きと悲しみを与えた。フリッツ・ヴンダーリヒは、ドイツ出身のテノール歌手。フライブルク音楽大学で声楽を学ぶ。1954年、モーツァルト:歌劇「魔笛」のタミーノ役でオペラ・デビューを果たす。1955年シュトゥットガルト州立歌劇場と契約し、同じくタミーノ役でデビューを果たし、一晩にしてスターとなった。その後、バイエルン州立歌劇場、ウィーン国立歌劇場と契約。ザルツブルク音楽祭にも定期的に出演した。しかし、1966年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューを数日後に控え、自身の誕生日を目前にして、友人の別荘の階段から転落して頭蓋骨を骨折し、翌日死亡した。ヴンダーリヒとしばしば共演した名バリトンのフィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)は「ヴンダーリッヒは、大きな希望であり、才能ある人物の出現が永く希求されていた声楽界にあって、その成就でもあった。彼の永遠の沈黙は、それ故に、私たちにとっての限りない衝撃であり、悲しみである」と、このLPレコードのジャケットのライナーノートに記されている。ヴンダーリヒは、この録音の後、グラモフォンに「椿姫」「皇帝と船大工」などのオペラの抜粋版を録音し、カラヤンの指揮でハイドンのオラトリオ「天地創造」を録音中に亡くなった。ヴンダーリッヒは、20世紀最大のリリコ・テノールと目されており、ドイツの歌手史上最も重要な歌手の一人とされている。ルチアーノ・パヴァロッティは、インタビューで、歴史上もっとも傑出したテナーはと聞かれ「フリッツ・ヴンダーリッヒ」と答えたほど。このLPレコードでのヴンダーリッヒの歌声はビロードのように美しく、また優しくリスナーを包んでくれる。LPレコード特有の温かみのある音質が、ヴンダーリッヒの例えようもない美しい声を今に伝えてくれる貴重な録音である。特に、B面に収められたシューマン:歌曲集「詩人の恋」は、ヴンダーリッヒの澄んだ美しい歌声が、シューマンの心情を余すところなく表現した、今でもこの曲の代表的録音の一つに挙げられる。(LPC)
~フォーレの歌曲から~
漁夫の歌
ひめやかに
オーラ
ゆりかご
リディア
秋
ノクチュルヌ
夕ぐれ
夢のあとに
墓場で
消え去らぬ香り
月の光
憂鬱
恍惚
歌曲集「幻想の地平線」
バリトン:シャルル・パンゼラ
ピアノ:マドレーヌ・パンゼラ
LP:ANGEL RECORDS GR-34
このLPレコードは、“世紀の巨匠たち”シリーズ(GRシリーズ)の一枚である。同シリーズは、EMIがSPレコード時代に収録した巨匠と呼ばれていた名演奏家の録音を、新たにLPレコードに収録し直したもの。バリトンのシャルル・パンゼラ(1896年―1976年)が、妻のマドレーヌ・パンゼラのピアノ伴奏で、フォーレの歌曲を歌ったのがこのLPレコード。シャルル・パンゼラは、スイス出身。パリ音楽院で学ぶことになるが、この時の院長がフォーレであった。このことからパンゼラは、フォーレから歌曲集「幻想の水平線」の献呈を受け初演し、絶賛を浴びた。このことで、パンゼラの名前は一躍知れ渡ることになる。また、同窓生には後でパンゼラの妻となるピアニストのマドレーヌ・バイヨがおり、生涯に渡ってパンゼラのピアノ伴奏役を演じた。同音楽院で学び始めたころ、第一次世界大戦が勃発し、パンゼラは志願兵として一時参戦することになる。戦争から戻り、その後、同音楽院を終了し、1919年にパリのオペラ・コミック座でデビューを果たす。オペラ・コミック座では、数々の役を演じたが、中でもドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」のペレアス役がはまり役となり、以後、各国でも演じ絶賛を浴びる。パンゼラは、バリトンでもリリック・バリトンと呼ばれる高い音域のバリトン歌手であった。パリ音楽院で学び、フランスを中心に活躍したので、パンゼラは、フランスのオペラや歌曲のスペシャリストとして、日本でも多くのファンを有していた。フランスの歌曲は、ドイツのリートとは異なり、茫洋としたメロディーが延々と続くイメージがあるが、パンゼラにかかると、その印象は一変し、曲の表情が明るく豊かで、明確な輪郭を描くようになる。録音も活発に行い、このLPレコードのフォーレの歌曲のほか、コルトーをピアノ伴奏にシューマン:歌曲集「詩人の恋」のほか、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ベルリオーズなど幅広いレパートリーにわたっており、一般的なフランスの歌手とは少々毛色が違っていた。このLPレコードに収録された時期は、パンゼラの全盛時代。このLPレコードでのパンゼラの歌声は、いずれも表情豊かで、生き生きと、輪郭のはっきりとした歌唱法に徹している。日本人にとって比較的分かりにくいフランス歌曲を、身近に感じさせてくれる歌い方だということが実感できる。このLPレコードの最後に、フォーレが若きパンゼラに献呈した生涯で最後の歌曲集「幻想の地平線」が収録されている。(LPC)
ブラームス:歌曲集
メロディーのように
日曜日
恋歌
とく来れかし
われらさまよいぬ
喜びに満ちたぼくの女王よ
サッフォー風の頌歌
ことづて
夏の夕べ
月の光
セレナーデ
郷愁(2):帰り道はどこ
教会墓地にて
帰郷
さびしき森にありて
お前がほほえめば
裏切り
バリトン:ハンス・ホッター
ピアノ:ジェラルド・ムーア
LP:東芝音楽工業 AB-8020
このLPレコードの歌手のハンス・ホッター(1909年―2003年)は、ドイツ出身の名バリトン。ミュンヘン音楽大学で学び、1930年オペラにデビューを果たす。以後、プラハ国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場などで活躍した。1947年ロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場、さらに1950年メトロポリタン歌劇場でもデビューを果たし、世界的オペラ歌手の地位を確立する。そして1952年からはバイロイト音楽祭に出演。以後15年にわたり主要なワーグナー作品に出演することになる。ここでホッターは偉大なワーグナー歌手として高い評価を受ける。また、ホッターは、オペラだけでなく、ドイツ歌曲のリサイタルもしばしば開催し、聴衆に深い感銘を与えた。1962年の初来日以来、日本でもたびたびリートのリサイタルを行い、多くのファンを有していた。ホッターが歌うリートでは、とりわけシューベルトの「冬の旅」と「白鳥の歌」が絶品との評価が高かった。ホッターは単にバリトンというよりは、バスに近いバリトンであり、“バスバリトン”という表現が一番ぴったりとするのだ。ホッターの声質は、実に奥深く、男性的な包容力を持ち、それが魅力的であった。一度歌いだすとリスナーはその魔力に引き付けられ、ホッターの世界へと知らず知らずのうちに引きずり込まれることになる。通常、ホッターのような個性的な歌手は、独特な歌い回しを強調しがちだが、ホッターはそれとは大きく異なっていた。ホッターは、重厚に、あくまで正統的で、少しの揺らぎもなく歌い切る。そして、一人一人のリスナーに語り掛けるが如く歌う結果、そこには歌手と個々のリスナーの間で親密な空間が生まれる。ホッターは、偉大なるワーグナー歌手であったと同時に、偉大なリート歌手でもあったのだ。このようなことは、ある意味で奇跡的なことなのかもしれない。このLPレコードで、ホッターはブラームスのリートを歌っている。これらの作品は、「帰郷」1曲を除き、全て円熟味を増した後期のリートで、ブラームス特有の渋さや諦観の色合いが強い曲。これらの歌曲は、ブラームスの他の作品でいうと、ピアノ曲の狂詩曲や間奏曲に雰囲気が似ている。そんな重厚な雰囲気を持つリートなら、歌手は、ホッターが一番ぴったりくるというより、ホッター以外では適当な歌手が思い当たらないと言った方がいいかもしれない。ここでのホッターの歌は、内省的であり、独白を聴くようでもある。晩秋あるいは冬の夜に聴くには打ってつけの歌曲であり、そして歌手である。(LPC)